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アメリカの歌 〜ピルグリムの船・メイフラワー、植物のメイフラワー、そしてナサニエル・ホーソーン「緋文字」を巡る不思議(?)な展開

今年はアメリカ合州国(以下、アメリカと略します)の建国神話の中核にあるイングランドのピルグリム・ファーザーズのメイフラワー号がアメリカに渡った 1620年から数えて、ちょうど 400周年の年に当たります。本投稿では、「メイフラワー」に纏わる諸々(まさしく諸々)を書いてみようと思います。

過去 2回、ユダヤ系アメリカ人ミュージシャン、ポール・サイモン Paul Simon が作曲した「アメリカの歌」 "American Tune" を取り上げました。前者では、歌詞を紐解きつつ、アメリカの歴史や同国の昨今の社会情勢などに絡めながら。最後にはあの歌のメロディの源流にも触れました。また、後者では、アフリカ系アメリカ人ミュージシャン、アラン・トゥーサン Allen Toussaint による同曲のカヴァーを取り上げました。若干ながら、再びアメリカの歴史や昨今の情勢などに絡めつつ。本投稿の最後に、それぞれの投稿へのリンクを貼ります。

今日は、あの歌の歌詞に登場する言葉、「メイフラワー」 "Mayflower" に拘ってみたいと思います。

いきなりの要約

まずは、いきなり本投稿の要約を書いてしまいます。というのも、一旦書き出したら、色んな方面に大風呂敷を広げてしまったことで収拾がつかなくなりそうな内容になってしまい、まぁ結局は無理矢理「収拾をつけた」のですが、あまりのカオスなテキストに読者の方に「これって一体何を言おうとしているのか」、「最後まで読むのは疲れそう」などと思われて、途中で読むのを止めてしまわれるような結果になるのを避けたいと思ったからです。

この投稿で書いていることは今からちょうど 4年ぐらい前に思いついたことで、その元々の発想が大風呂敷型だったのですが、この 4年間その発想・着想がずっと頭の片隅にありながらもそれを誰かに語るというレベルではほぼ放置状態にしていて(自分の Facebook では投稿したことがありました、しかし英語それも 4年前)、今回ようやくそれを日本語で書いた文章にしてみようと思い立って始めてみたら、当時は気づかなかったことに気づいたり、新たなところに目が行ったりで、ますます風呂敷のサイズが広がってしまったのです。

妙な釈明はこの辺にして、さて、要約、というより要点なのですが、それはつまり、こういうことです。

以下、まずは思い切り乱暴に、思いつくままの箇条書きで表わしてしまいます。

・「メイフラワー」という言葉には、いくつかの意味がある。

・1620年にイングランドのピューリタンたち(ピルグリム・ファーザーズ:イギリス国教会とイングランド国王による宗教弾圧から逃れ、彼らにとっての「新天地」で彼らが考えるところの「キリスト教の理想」を実現する社会を作ろうとした清教徒たち、実際には清教徒以外の人間も乗船しましたが)がアメリカに渡った時に乗った船、その船の名前。それが一つ目。

・その他に、特定のいくつかの植物を指す言葉として、メイフラワーという言葉が使われる場合がある。

・一つは、上に書いた船「メイフラワー」号に乗ってイングランドのピューリタン(清教徒)たちがアメリカに辿り着いた1620年の翌年、つまり 1621年の春にその地でいち早く花を咲かせ、それが切っ掛けでメイフラワーと呼ばれるようになった、そして今現在その土地、現在のアメリカのマサチューセッツ州の州花となっている、アメリカイワナシ。

・その他の植物でも、「メイフラワー」と呼ばれるものがある。イギリスにおけるサンザシ、アメリカにおけるアネモネといった、文字通り 5月に花を咲かせる植物がそれに当たる。

・1620年にイングランドからアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)たちが乗った船「メイフラワー」号の船内に、サンザシの絵が描かれていた、それでサンザシが「メイフラワー」と呼ばれることになったという説がある。

・日本でサンザシというと通常は中国を原産地とするサンザシ(山査子)を指すが、上に述べたサンザシは厳密に言うとセイヨウサンザシ(西洋山査子)。その原産地は、ヨーロッパ、西アジア、北アフリカ。

・上記の前者のサンザシ(山査子)も後者のセイヨウサンザシ(西洋山査子)も、英語では Hawthorn と呼び、共にバラ科サンザシ属の落葉低木で、5月に花を咲かせ、秋に緋色の実が成ることは共通している。

・Hawthorn の thorn は刺のことだが、Haw は「垣根」を意味する古い英語 Haga に由来する。一方で、Haw という綴りの英語は現存し、「左へ曲がれ」「左へ曲がる」「左に曲がらせる」といった意味がある。

・筆者は 4年前の 2016年の初夏、1973年にリリースされて以来 40年以上聴いてきた Paul Simon の曲 "American Tune" を聴きながら、その歌詞に登場する船 "Mayflower" の意味するものについてあらためて気になったことが切っ掛けで、「メイフラワー」と呼ばれる植物を買って、自分の家の小庭でその「5月に咲く花」を咲かせようとした。買った「メイフワラー」は今も元気だが、しかしこの間、花は一度も咲いていないし、実も成ったことがない(笑)。

・筆者は「メイフワラー」の花を咲かせるつもりでサンザシ(山査子)を買おうとしたが、その時たまたま直ぐに手に入るものが市場になく、筆者が代わりに買ったのは、トキワサンザシ(常盤山査子)と呼ばれる植物。名前からしてこれもサンザシ(山査子)の一種に間違いないだろうと思って買ったものだが、実際にはトキワサンザシ(常盤山査子)はバラ科トキワサンザシ属の植物で、バラ科サンザシ属のサンザシ(山査子)とは微妙に異なる。ただ、花期が 5月(正確にはどれも 4~5月)で、秋に緋色の実が熟す落葉低木という点はサンザシ(山査子)やセイヨウサンザシ(西洋山査子)と共通しており、かつ、原産地がヨーロッパや西アジアであることは、中国原産のサンザシ(山査子)でなく、セイヨウサンザシ(西洋山査子)の方とほぼ同じである。

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(2016年5月22日、我が家にメイフラワー号!! が到着した日に撮った記念写真: 届いたばかりの常盤山査子と "Ameican Tune" が収録された Paul Simon 1973年リリースのアルバム "There Goes Rhymin' Simon")

箇条書きを続けます。

・サンザシ(山査子)もセイヨウサンザシ(西洋山査子)もトキワサンザシ(常盤山査子)も緋色の実が成るが、濃く明るい赤色もしくは深紅色を意味する緋色は、英語では Scarlet もしくは Fiery Scarlet という。

・サンザシ(山査子)やセイヨウサンザシ(西洋山査子)は上に書いた通り英語で Hawthorn というが、一方、トキワサンザシ(常盤山査子)の英語名は、Scarlet Firethorn である。

・ところで、19世紀のアメリカを代表する小説家 Nathaniel Hawthorne (日本での表記はナサニエル・ホーソーン)の代表作は、The Scarlet Letter である(日本ではそのタイトルは「緋文字」と訳されている)。

・彼の本名は Nathaniel Hathorne だったが、改名して Ha の後ろに w が入り、Nathaniel Hawthorne と名乗るようになった。Hawthorne は、綴り上、「メイフラワー」 "Mayflower" であるサンザシ(山査子)の Hawthorn とほぼ同じ、Hawthorn の語尾に England の E (e) が付いただけである。

・代表作のタイトル The Scarlet Letter の Scarlet は、日本でのタイトルにある通り、緋色を意味する。サンザシ(サンザシやセイヨウサンザシ)や トキワサンザシ の実の色と同じ色、緋色である。また、トキワサンザシ(常盤山査子)の英語名 Scarlet Firethorn の Scarlet と重なる言葉でもある。

・Nathaniel Hawthorne の代表作 "The Scarlet Letter" は、17世紀のアメリカのニューイングランド地方(主にボストン)のピューリタン(清教徒)たちの社会を舞台に、消息を絶った夫の不在中に地元の牧師との間で姦淫の罪(旧約聖書におけるモーセの十戒のうちの一つであり、新約聖書においてはマタイによる福音書で配偶者以外への性的関心を含み厳しく罰せられるものとされている罪)を犯した女性を主人公とする物語である。

・「緋文字」 "The Scarlet Letter" の物語は、イングランドから「メイフラワー」号 "Mayflower" に乗ってピューリタン(清教徒)たちがアメリカに渡った 1620年から 22年しか経過していない、1642年のボストンで始まる。

・1620年にイングランドのプリマスの港から「メイフラワー」号 "Mayflower" に乗ってアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)たちが辿り着いたのは、マサチューセッツ州のプリマスで、そのマサチューセッツ州に、メイン州、ニューハンプシャー州、ヴァーモント州、ロードアイランド州、コネチカット州の 5州を合わせた アメリカの 6つの州は、ニューイングランド New England と呼ばれるようになった。ニューイングランドの中心都市はボストンである。

・Nathaniel Hawthorne は 1804年7月4日に、1620年にピューリタンたちの「メイフラワー」号 "Mayflower" が着いた地プリマスがあるマサチューセッツ州に所在するセーレムという名の地方都市(セイラムとも表記、1692年に同地でピューリタンたちが行なった「魔女狩り」「魔女裁判」で有名)で生まれ、1864年5月19日、同じニューイングランド地方のニューハンプシャー州にある、マサチューセッツ州のプリマスと同じ名の地方都市プリマスを旅行中にこの世を去った。なんだか出来過ぎた話だなぁ、と思いつつ、しかしまぁ史実ではあります。

・というわけで、一気に、かつ乱暴に、本投稿の内容の要約を箇条書きにしてきたが、アメリカの「建国神話」の中核に位置する "Mayflower" を巡って、偶然にも(それぞれをきちんと検討もしくは精査していくと「偶然」でなく「必然」に過ぎないものも少なくないように思うが)連想ゲームのように色々なものが重なり合ってくる。そして、その全てではないが、過半に宗教の匂いがする。宗教、キリスト教、プロテスタント、ピューリタン。

・元々、筆者がこの「メイフラワー」 "Mayflower" という言葉に拘ることになったのは、4年前の2016年の初夏、それまで 40年以上聴いてきた Paul Simon 1973年リリースの "American Tune" というタイトルの曲を聴いていて、その歌詞に登場する Mayflower があらためて気になったことが切っ掛けだった。

・ Paul Simon の "American Tune" のメロディ・ラインには元ネタがあって、それはドイツ人の Paul Gerhardt が 17世紀(船の「メイフラワー 」号 "Mayflower" と同じ時代)に作曲した讃美歌 "O Haupt voll Blut und Wunden" だが、その歌自体にも元ネタがあって、それはやはりドイツ人の Hans Leo Hassler が 17世紀初頭に作曲した "Mein G'müt ist mir verwirret" というタイトルの恋愛の歌である。つまり、元々は世俗的・非宗教的な歌だったものをリメイクした宗教音楽(讃美歌)のメロディをベースに、Paul Simon は "American Tune" を作曲した。

・一方、Johann Sebastian Bach (ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)も賛美歌 "O Haupt voll Blut und Wunden" のメロディをベースにマタイ受難曲 "Matthäus-Passion" を作曲しており、Paul Simon が "American Tune" でモチーフにしたのはこのバッハの「マタイ受難曲」の方だという説もある(どれが真実なのか、Paul Simon 自身が何処かで具体的に語っているかもしれないし、もしかしたら曖昧にしたままで語っていないかもしれないが、Paul Simon ファン歴半世紀の筆者もそれ以上突き詰めて調べたことがない)。

・というわけで、アメリカ「建国神話」において重要な役回りをする "Mayflower" の背後には宗教(キリスト教、プロテスタント)的なものが錯綜しているが、アメリカの歌 "American Tune" の背後にも(そのメロディだけでなく解釈のしようによっては歌詞にも)(歌詞の中身については以前のあの歌に関する投稿で拙訳を掲載しつつ紐解きましたが、但しその時は宗教的な意味合いを探るような試みはあまりしませんでした)、同様に宗教(キリスト教、プロテスタント)的なものを感じ取れる面がある。

・それがどうした?

と、薮から棒に Miles Davis の "So What" をかけてしまいました。それがどうした, So What!

・まぁしかし、イングランドの信仰心篤いピューリタン(清教徒)たちがアメリカに渡った時に乗った船の名は "Mayflower", "Mayflower" はサンザシ(山査子)のことでもあり、サンザシは "Hawthorn", "Hawthorn" の "Haw" は「左へ曲がれ」「左へ曲がる」「左に曲がらせる」、今のアメリカの左派はどうも宗教に寛容過ぎるきらいがあるけれども(例えば彼らの一部はイスラムの社会やその教義にある反民主的な要素に目を瞑ることが 911テロ以来右派から謂れ無き差別を受けてきた一般のムスリムたちへの差別意識がないことの証左になるとばかりの Islamophobia ならぬ Islamo-philia 的なところがある)、本来の左派は宗教からもっと距離を置き、かつ政治や公の場での政教分離の原則を大事にする人たちのはず、アメリカよ、”Mayflower" よ、今こそ舵を取れ、Haw, Haw, 左へ、左へ。

・今の言い方、何かトゲあったかな、"Mayflower" さん。"Mayflower" は "Hawthorn", "Haw" には "thorn" 刺が付き物なんだよ。

.. というわけで、以下、色々と脱線しながらのカオスの投稿を続けます。これから書いていくことの要点は、もう上に書いてしまっているのですが .. 単にこれは言葉遊びをしているだけなのか(笑)。

船のメイフラワー、植物のメイフラワー ... S&G 「アメリカ」(歌詞和訳)

このメイフラワーという言葉は、どのくらいの人にとって親しみのある言葉でしょうか。「親しみのある」というのは必ずしも「好きだ」とかいったポジティヴなイメージを伴ってということではなく、知っているかどうかという程度のことなのですが。そして、具体的に意味を知っている人にとって、メイフラワーと聞いて真っ先に思い浮かべるものは何でしょうか。

おそらくは、多くの方が、1620年に当時のイングランド王国からピューリタンたち(清教徒たち、実は清教徒以外の人も乗っていました)、後にピルグリム・ファーザーズと呼ばれた人たちが、(あくまで彼らにとっての)「新天地」「新大陸」である北アメリカ大陸に渡った時に彼らが乗った船の名、「メイフラワー」号 "Mayflower" を想起するのではないでしょうか。

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(Pilgrim Fathers boarding the Mayflower, painting by Bernard Gribble: born May 10, 1872 - died February 21, 1962)

メイフラワーと聞いて、「あ、文字通り 5月に咲く花のことでもあるね」「あの植物だよね」と考える人も少なくないかもしれませんが、上述の船の方のメイフラワーでなく、花もしくは植物のメイフラワーの方を先に思い浮かべる人はあまり多くないと思います。

いま超絶久しぶりに昔々使っていた「紙の」英語の辞書を引いてみました。1967年初版、1977年第4版12刷の「新英和中辞典」(研究社)。私は 1960年911生まれなので、17歳になった年のもの。高校2年の時に買い換えたものかな。最後の頁に懐かしの大学時代の私の学生番号(という言い方だったかどうかすら忘れましたが)と名前が直筆で書いてあるので、大学に入学した時にそのまま持って行って使ったのか、あるいは大学入学時に買い替えた(「買い換える」のか、「買い替える」のか、日本語とか漢字も微妙だな)ものか、思い出せません。私は高校時代は英語と数学が得意科目で、某進学校で 360名ほどの学年でそれぞれ 2番になったことがありました。エヘン、え?変、だな、完全に脱線、ついでにくだらない駄洒落。しかし兎に角、その後、勉強というものを完全に怠ってしまった。

今の英語力の言い訳というより、「昔は俺はなぁ」という、還暦近いぐらいの歳のオヤジにありがちな与太話(出鱈目な話ではないが莫迦話!!)になってしまいました。

兎にも角にも、そういうわけで、いまだ辞書を引き引き英文を読むタイプの(この件に関しては、笑)多数派の日本人の一人なのです。

さて、長過ぎた脱線はこのくらいにして、上記の辞書で引くと、Mayflower (mayflower) はこうなっています。

n. 1 [しばしば m~] 5月に花の咲く草木, (特に) [英] さんざし, [米] いわなし. 2 [the~] メーフラワー号 (1620年 Pilgrim Fathers を乗せて英国から新大陸へ渡航した船の名). 

「メーフラワー」とは勿論、メイフラワーのこと、当時はああいう表記だったのでしょう。 

さて、言葉がどのように定義されているのかということは実はけっこう厄介なトピックのようで、多くの辞書が微妙に異なる解説をしているわけですが、オンラインで引ける数々の辞書のうち、例えば複数の辞書による語句説明を表示するという総合辞書サイト Dictionary.com を使うと、Mayflower の意味は以下のようになります。

noun
1. (italics) the ship in which the Pilgrims sailed from Southampton to the New World in 1620.
2. (lowercase) any of various plants that blossom in May as the hepatica or anemone in the U.S., and the hawthorn or cowslip in England.
3. (lowercase) the trailing arbutus, Epigaea repens: the state flower of Massachusetts.

italics はここでは頭文字が大文字ということで Mayflower と表記する場合を言い、lowercase (lower-case) というのは mayflower と小文字で表記された場合のことを意味しています。

Mayflower なら上に書いた船の名ですが、mayflower であれば植物、後者の方は更に 2つの定義が書かれていて、「アメリカ合州国におけるユキワリソウ(雪割草)あるいはミスミソウ(三角草)や アネモネ、イングランドにおけるサンザシ(山査子)や キバナノクリンザクラ(黄花九輪桜)(というのは cowslip, 辞書で調べてググりました、笑)のように、5月に花を咲かせる様々な草木のこと」を指す場合と、「アメリカのマサチューセッツ州の州花となっているアメリカイワナシ(Epigaea repens はその学名)」を指す場合があるようです。

ここで、それぞれの植物がどんなものなのか、見ておきます。

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(Hepatica: ユキワリソウ, ミスミソウとも呼ばれます)

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(Anemone: アネモネ, 現在 イスラエルの国花。何故かな)

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(Hawthorn: サンザシ, 花は白ですが、熟した実は真っ赤。緋色です。この写真のものは実際には中国原産のサンザシだと思います。詳細は後述)

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(Cowslip: キバナノクリンザクラ)

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(Trailing arbutus, Epigaea repens: アメリカイワナシ)

そういうわけで、Mayflower (mayflower) には 3つの意味があると言っていいかなと思いますが、因みに、上述の例の 3番目のアメリカイワナシが mayflower と呼ばれることになった謂れは 1番目の意味と関係があって、1620年にピルグリム・ファーザーズが「メイフラワー」号 "Mayflower" と名づけられた船に乗って当時のイングランドのプリマスの港を発ち、現在のアメリカのマサチューセッツ州プリマスに着いたその翌年の春に真っ先に咲いた花が、trailing arbutus (Epigaea repens, アメリカイワナシ) の花だったことから、そのイワナシが、彼らが乗った船の名前 "Mayflower" を記念して "mayflower" と名付けられたということです。

言葉絡み、地理絡み、歴史絡みでもう少し書き加えると、そのアメリカ東海岸のマサチューセッツ州の他、同じくアメリカ北東部の州であるメイン州、ニューハンプシャー州、ヴァーモント州、ロードアイランド州、コネチカット州の 5州を合わせた 6つの州は、ニューイングランド New England と呼ばれる地方です。つまり、文字通り、「新イングランド」、新しいイングランド。

ニューイングランドの中心都市はボストン。

また脱線した(笑)。

脱線ついでに以下、2つの脱線トピック。しかし下記の 2つは、あながち脱線というわけでもなく、本投稿の内容に関わる話ではあります。

脱線トピック (1): 脱線とは言え、後の方でちょっと関係してきます(笑)。4年前も今回ももう一歩のところで民主党のアメリカ大統領候補に指名されるところまで行ったアメリカの上院議員バーニー・サンダース(Bernie Sanders, 下院議員を務めた時代と合わせ、無所属議員としてアメリカ史上最長のキャリアを継続中、しかもアメリカではかなり珍しい方の本格左派)は 1941年9月8日にポーランド系ユダヤ人家庭の息子としてニューヨークで生まれ、ニューヨークで育ち、大学はシカゴ大学ですが、1968年にヴァーモント州に移住しており、下院議員の時代も上院議員となって以降も、ヴァーモント州選出のアメリカ連邦議会議員です。つまり、New England 選出の議員。

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(若き日のバーニー・サンダース: 1963年、シカゴ大学学生、21歳の時に人種差別に抗議するデモに参加し、警官に逮捕され署に連行される時の写真。2016年、前回の次期大統領候補争いの最中にシカゴ・トリビューン紙が公開したもの)

脱線トピック (2): 脱線とは言え、上に書いた (1) と関連し、且つ、そもそも本投稿のタイトルにもある「アメリカの歌」とも関連。「アメリカの歌」 "American Tune" の作者ポール・サイモンは、上記のバーニー・サンダースが生まれた翌月の 1941年10月13日にハンガリー系ユダヤ人の両親のもとにニュージャージー州ニューアークで生まれ、1945年からはバーニーと同じくニューヨーク州ニューヨーク育ち、彼らがその頃に互いに面識があったかどうかは知りませんが(面識はなかったと思う、多分、笑)、この二人は同じ時代に同じ場所ニューヨークで、「青春時代」(後段に書くことに関わる言葉)を過ごしていることになります。

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(この写真はよく見る有名な写真の一枚ですが、ポール・サイモンのファン歴が既に半世紀近いという筆者、しかしちゃんと調べないといつ何処で撮られた写真か分かりません。サイモン&ガーファンクル時代のものであるのは確かだと思います)

閑話休題。言葉の意味に戻ります。と言っても、Mayflower の中の "May" (may) についてです。

May と言えば 5月ですが、この言葉には、 the early part of one's life, especially the prime という意味もあります。すなわち、「青春」です。

Mayflower はすなわち、「青春の花」。アメリカは、いつまでも「青春」の夢、希望、孤独を抱えた国でしょうか。アメリカという国は、そしてアメリカ人は、今もアメリカを探す「青春」の旅をしているのかもしれません。

ここは「但し書き」が必要で、アフリカ系アメリカ人やネイティヴ・アメリカンにとっては「アメリカ」という国から連想される言葉の一つとして「青春」という言葉が相応しいのかどうか、そこは甚だ疑問ではありますが。

Mayflower はあくまでアングロサクソン、そしてアメリカの建国神話にとって大切なものなのかもしれません。彼らは皆、アメリカを探しにやって来たのです。みんなアメリカを探しに来たんです。みんなアメリカを探しに来たんです。

"They've all come to look for America. All come to look for America. All come to look for America."  

というわけで、ここで、Paul Simon が作詞作曲し、Simon & Garfunkel が 1968年4月3日にリリースした彼らの 4作目のアルバム "Bookends" に収録された歌、 "America" を聴いてみましょう。 この歌を取り上げた私の以前の投稿 2本へのリンクを、本投稿の最後の最後に添えました。些か牽強付会(笑)の展開。

いや、この歌はやはり「アメリカの歌」 "American Tune" とともにアメリカのアンセムといえるものであって、「アメリカの歌」とメイフラワーについて取り上げる本投稿の内容に、直接関係がある歌なのです。

以下、歌詞と拙訳を併せて掲載します。この歌を聴いた後で、アメリカを探す旅を続けたいと思います。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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「僕達、恋人になって結婚しよう
 未来を一つにしてパートナーになろう
 お金なら何とかなるさ
 バッグに少し持ち合わせているんだ」

そして僕らは タバコを一箱と
ミセス・ワグナーのパイを買いました
それから歩き始めたのです
アメリカを探すために

「キャシー」と僕は言いました
僕らはピッツバーグでグレイハウンドに乗っていました
「ミシガンは僕には今では夢のようだよ
 前なら4日もかかったんだ
 サギノウからヒッチハイクをしたらね
 僕はアメリカを探しに来たんだ」

バスの中では二人で笑い合って
乗客の顔を見ながらゲームをしました
彼女がギャバジン・スーツの男は
実はスパイなのよと言うので
僕は言ったんです
「気をつけなよ 彼の蝶ネクタイは本当はカメラなんだ」

「タバコを投げてくれないか
 レインコートに1本残っているはずだから」
「私達、最後の1本を吸ってしまったのよ
 1時間も前にね」

だから僕は窓の外を眺めたんです
彼女は雑誌を読んでいました
外では大地の彼方を月が昇っているところでした

「キャシー、僕はわからなくなってしまったよ」
彼女が眠っているのは知っていました
「僕は空っぽで 苦しくて
 おまけにどうしてなのかもわからないんだ」

ニュージャージー・ターンパイクでは
走る車を数えたりしましたが
彼らもみんな アメリカを探しにやって来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです
みんなアメリカを探しに来たんです

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さて、"All come to look for America, All come to look for America" 「みんなアメリカを探しに来たんです, みんなアメリカを探しに来たんです」と歌われる、Simon & Garfunkel の往年の名曲 "America" を聴いたところで、再び「メイフラワー」という言葉に拘りつつ、「アメリカ」を探す旅を続けます。

アメリカを探す旅、「アメリカの歌」 〜 歌詞和訳

またまた歌ですが、ここで、まずは Paul Simon の "American Tune" をかけます。

この歌の後で、この歌の歌詞の内容などについて拙訳と併せて note に投稿した私の以前のテキストから(リンクは本投稿の最後に)、歌詞の最後の節とその最初のラインで使われる言葉「メイフラワー」について書いた部分を、転載したいと思います。

「アメリカの歌」 "American Tune" は Paul Simon が 1973年5月5日にリリースした彼の(Simon & Garfunkel 時代のソロ・アルバムを含めて)通算3作目のアルバム "There Goes Rhymin' Simon" に収録された曲ですが、そのオリジナルのスタジオ録音音源は YouTube 上にありません。

いや, 今はある(この段落と以下のスタジオ・ヴァージョンに関する部分は 2022年8月6日に編集・加筆 〜 その後に, 投稿時から載せているライヴ・ヴァージョンが続く)。以下がその音源と筆者による歌詞和訳。

*この歌の歌詞には「メイフラワー」ほか様々な言葉が、「アメリカ的なもの」を表現するためのメタファーとして用いられている(本投稿の最後にリンクを置く過去の投稿をご参照)。

American Tune 〜 from Paul Simon's third solo studio album "There Goes Rhymin' Simon" released in May 1973 ♫ ( ... May, May of Mayflower

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

..............................

何度も何度も間違いを犯し
そして繰り返し混乱の中をやり過ごしてきた
そうなんだ, 見捨てられたと感じることもよくあった
虐げられていると感じたことさえもね
でも大丈夫だよ, 平気なのさ
ただ疲れが骨の隋まで染み込んでるだけなんだ
期待なんかしてないよね, 華やかなに生きて美食家になるだなんて
家からこんなにも遠く離れた場所で
そう, こんなにも遠く離れてしまったんだ

打ちのめされたことがない人なんているだろうか
穏やかな心持ちの友達なんかいないんだ
打ち砕かれたことのない夢なんて知らない
崩れ落ちたことのない夢なんて
でも平気さ, 大丈夫だよ
うまくやって長いこと生きて来れたんだ
それでも, 僕らが旅しているこの道のりを考えるとき
いったい何が間違っていたんだろうって思うのさ
思う他ないのさ, どこで道を誤ったんだろうって

そうして僕は自分が死にゆく夢を見たのさ
そうして僕の魂が不意に空高く舞い上がる夢を見たのさ
魂は僕を見下ろしていたよ, 僕を安心させようと微笑みもしたんだ
そうして僕は僕が空を飛んでいる夢を見たのさ
そうして上空で僕の目ははっきりと捉えたんだ
遠くの海へと去って行く自由の女神を
そうして僕は僕が空を飛んでいる夢を見ていたんだよ

おお, 僕らはメイフラワーと彼らが呼ぶ船に乗って
僕らは月にまで航行した船に乗って
この最も不確かな時代にやって来た
そしてアメリカの歌のメロディーを口ずさむんだ
おお, 大丈夫だよ
平気さ, 大丈夫なんだ
誰だって幸運であり続けるなんてことは出来ないのさ
それでも明日はまたやるべき仕事があるんだね
それで僕は今ただ少し休もうとしてるってわけさ
僕はただ少し休もうとしているだけなんだ

...... ♫ ...... ♫ ...... ♫

以下は、彼が 1974年3月にリリースしたライヴ・アルバム "Paul Simon in Concert: Live Rhymin'" に収録されたヴァージョン、そして、その歌詞と拙訳です。

この歌の歌詞には、「メイフラワー」だけでなく、様々な言葉が、アメリカの「何か」、つまり「アメリカ的なもの」を表現するためのメタファーとして、用いられています(本投稿の最後にリンクを置く過去の投稿をご参照いただければ幸いです)。 

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

..............................

何度も何度も間違いを犯し
そして繰り返し混乱の中をやり過ごしてきた
そうなんだ、見捨てられたと感じることもよくあった
虐げられていると感じたことさえもね
でも大丈夫だよ、平気なのさ
ただ疲れが骨の隋まで染み込んでるだけなんだ
期待なんかしてないよね
華やかなに生きて美食家になるだなんて
家からこんなにも遠く離れた場所で
そう、こんなにも遠く離れてしまったんだ

打ちのめされたことがない人なんているだろうか
穏やかな心持ちの友達なんかいないんだ
打ち砕かれたことのない夢なんて知らない
崩れ落ちたことのない夢なんて
でも平気さ、大丈夫だよ
うまくやって長いこと生きて来れたんだ
それでもこの道のりを考えるとき、
つまり僕らが旅しているこの道のりをね
いったい何が間違っていたんだろうって思うのさ
思う他ないのさ、どこで道を誤ったんだろうって

そうして僕は自分が死にゆく夢を見たのさ
そうして僕の魂が不意に空高く舞い上がる夢を見たのさ
魂は僕を見下ろしていたよ
僕を安心させようと微笑みもしたんだ
そうして僕は僕が空を飛んでいる夢を見たのさ
そうして上空で僕の目ははっきりと捉えたんだ
自由の女神をね
遠くの海へと去って行く自由の女神を
そうして僕は僕が空を飛んでいる夢を見ていたんだよ

おお、僕らはメイフラワーと彼らが呼ぶ船に乗って
僕らは月にまで航行した船に乗って
この最も不確かな時代にやって来た
そしてアメリカの歌のメロディーを口ずさむんだ
でも大丈夫だよ
平気さ、大丈夫なんだ
誰だって幸運であり続けるなんてことは出来ないのさ
それでも明日はまたやるべき仕事があるんだね
それで僕は今ただ少し休もうとしてるってわけさ
僕はただ少し休もうとしているだけなんだ

ピルグリムの船・メイフラワー (1620年)

以下は、先月 6月9日に私が note に投稿した「アメリカの歌 ー Paul Simon "American Tune" (拙訳)」と題するテキストから、この歌の歌詞の最後の節とその中で使われている言葉「メイフラワー」について書いた部分の引用です。

.... 引用、ここから ....

The Last Verse ー Mayflower, Uncertain hour, American tune..
さて、The last verse, この歌詞の最後の節についてです。

"Mayflower", "Uncertain hour", "American tune" .. "I’m trying to get some rest", この歌の中の話における最後の章を見てみましょう。

半世紀近く前にもなる 1973年、今年2020年 911 に還暦を迎える私がまだ中学 1年生だった時から聴き続けているこの曲、一昨日、その歌詞を自分なりに翻訳してみようと思って久しぶりにじっくりと歌詞を見ていて、この最後の節が、そのとりわけ最初の一文の動詞が、現在形になっているという事実にあらためて気づき、そのことが妙に気になりました。

今まで自分でこの歌詞通りに口ずさんでいたのだとは思うのですが、頭の中では、"Oh, we've come on the ship they call(ed) the Mayflower" もしくは "Oh, we came on the ship they call(ed) the Mayflower" と理解していたかもしれません。

なお、この "Mayflower" に関わって念のため先に書いておくと、Paul Simon 自身は 1941年10月13日にハンガリー系ユダヤ人の両親の息子としてニュージャージー州ニューアークで生まれ、4歳の頃にニューヨーク州ニューヨーク市に移り住んだユダヤ系アメリカ人であって、17世紀にアメリカに渡ったイングランドのピューリタンたちとは全く関係ありません。

話を戻します、"Mayflower" です。

"Mayflower" は文字通り(幾つかの)特定の花(もしくは植物)を指す名詞でもありますが、"The ship they call the Mayflower" といえば、当然ながらこれは船の名前です。

1620年、イングランド国教会とイギリス国王の弾圧から逃がれ、信仰の自由を求めたイングランドのピューリタン(Puritan, 清教徒)たちを中心とするピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)の一団が、イギリス南西部プリマスから彼らにとっての「新天地」アメリカを目指し、現在のアメリカのマサチューセッツ州プリマスに渡ったときの船の名、メイフラワー号(Mayflower)を指すことになります。

彼らピルグリム・ファーザーズは、彼らにとっての「新天地」において、彼らが考えるところの「キリスト教徒にとっての理想社会」を建設することを目指したようですが、そもそも「新天地」という発想、その言葉は「新大陸」と同意ではないものの、歴史を踏まえれば、アメリカ大陸の先住民族にとっては随分と迷惑な話に違いありません。

事実、ピルグリム・ファーザーズは上陸地の先住民族から食糧や物資の援助を受け、当初は融和的な関係を持ちましたが、その後、入植者たちが入植範囲を拡大していったために先住の様々な部族との紛争が起きるようになり、先住民の多くが虐殺され、土地を奪われていく歴史につながります。言わば、先住民族の各部族に対する、時間をかけた民族浄化(Ethnic Cleansing)です。

入植者たちが彼らの宗教である「キリスト教」の考えに基づく「理想社会」を作ろうとした、その目標や文字通り「理想」については、それはそうだったのかもしれませんが、彼ら「キリスト教徒」たちにとっての「理想社会」の建設が、彼ら「入植者」たちにとっての「新天地」アメリカ大陸に遥か昔から住み続けてきた先住民族にとっては何を意味したのか。「皮肉」という言葉ではあまりに言い足りない、残酷な意味合いがそこにあるのは確かです。

"Mayflower" についての背景をごちゃごちゃと書きましたが、兎に角、この歌詞において、上記のような歴史を持つ "Mayflower" に言及した最後の節の冒頭が、現在形の動詞を使って表現されていることに何か深い意味があるのかどうか。

あるのかもしれないし、それほど深い意味はないのかもしれません。というのは、英語の表現においては「ある」ことかもしれないし、「詩」の中で何らかの意味合いを込めて現在形になった可能性はあるものの、上に書いたような "Mayflower" の一連の歴史の全てあるいはその一部分と何らかの関係性を持った「意味」ではないかもしれないのです。さんざん書いておいて、関係ないかも、とは筆者の私自身が今、「なんなんだよ」と自分に向かって呟いているところです(笑)。

真面目に考えてみよう(キリッ、笑)。意味はありますね。ここはやはり現在形です。

アメリカ人は今もメイフラワー号という名の船に乗って旅をしていて、月にまで行った船に乗って今も旅をしていて、この最も不確かな時を航行しながら、「アメリカの歌」を歌っている。でも大丈夫だよ、平気さ。幸運であり続けるなんてことは望めやしないけれど、それでも明日になれば、またやるべき仕事があるんだ。今はただ少し休もうとしてるだけなんだ ...

そんなふうに歌っているのでしょうが、しかし、この歌詞の世界と今の 2020年の現実を対比させると、後者はより厳しくなっていますね。アメリカ人は今、休むことができないところに来ています。

ところで、先に述べた通り、"Mayflower" はある種の花を意味する名詞でもありますが、単純に「5月に咲く花」を意味するとともに(正確に言うと「5月に花を咲かせる植物」、この括弧内については本投稿に転載した際の加筆)、アメリカのマサチューセッツ州の州花であるイワナシ(上記のピルグリム・ファーザーズの船 "Mayflower" 号が辿り着いたのが現在のアメリカのマサチューセッツ州なのですが)を含む、幾つかの具体的な特定の植物を指す言葉でもあります。

そのうちの一つがサンザシ属(山査子属)と呼ばれるバラ科の属の一つに属する植物なのですが、私は 4年前の初夏、この歌の歌詞の中の "Mayflower" が気になったことが切っ掛けで、植物の方の "Mayflower" の一つであるトキワサンザシ(常盤山査子)を買い、我が家の小庭でその花を咲かせることを試みたことがあります。試みたと言っても、たまに水をやってきた程度なのですが、実はいまだ一度も花を咲かせたことがありません。今後も咲かないかもしれませんが、どうなんだろう。

話が脱線しましたが、実はこの「メイフラワー」(Mayflower)という言葉が持つ様々な意味、そして植物の Mayflower の一つであるトキワサンザシの英語名などを調べていくと、そこに非常に面白い展開があることをその植物を買った 4年前の 2016年に発見したのですが、これを始めるとますます話が脱線してしまいます。いつか、別の投稿の機会に、それについて書きたいと思います。

脱線した話の方が文字数が多そうだな(笑)。

歌詞の話に戻ります。

"We come on the ship that sailed the moon"

これはもちろん、人類の月面上陸を初めて成功させた国、アメリカということの意味が込められていますね。

"We come in the age’s most uncertain hour, and sing an American tune"

「僕らはこの時代の最も不確かな時を進んでる, そしてアメリカの歌のメロディーを口ずさむんだ」

この歌を Paul Simon が書いたのはリチャード・ニクソン(Richard Nixon)がアメリカ大統領になった直後、そしてベトナム戦争がまだ終結していない時期です。そう言えば、この歌のリリースから 4年後の 1977年に刊行された経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith)の著書が "The Age of Uncertainty", 日本では「不確実性の時代」と訳され、かなり売れた本だと思います。懐かしい。私は本自体は読んでいません。またまた話が脱線した(笑)。

確かに 1973年は、相当に、その「現在と未来」が不確かな時代だ、不確かな時代になるのだと、リアルタイムで認識されていた時かもしれません。そして、今、2020年という年も、またそういう時代に入っているようです。

"You can’t be forever blessed"

この "blessed" は、1620年に "The ship they call the Mayflower" に乗ってアメリカに渡ったイングランドのピューリタン(Puritan, 清教徒)たちに関連づけて、宗教的な表現としての「祝福を受けた」という意味と受け取ってもいいのですが、私の訳詞の中では、キリスト教的な言葉を超えて普遍的な意味合いで、「幸運な、恵まれた」といった感じにしてみました。

ところでこの "You can’t be forever blessed", 私は意地悪かもしれませんが、以前、"You" を「アメリカ」と解釈した上で、この一文を「アメリカよ、君は永遠に祝福されることのない運命なんだよ」と解釈した時がありました。

しかし、これはそもそも "not .. forever" という部分否定的なもので、その解釈は有り得ないんでしょうね。もしも、"You can’t be forever blessed" ではなくて、"You can’t be blessed, forever" と歌われていたら、どうなのでしょうか。ま、いいか(笑)。

私はアメリカの音楽や映画で育ったような人間ですが、アメリカの政治や外交政策などは、一言で思い切り単純に言えば、相当に誤っているし、不当だし、かなり「嫌い」だと思っているような人間です。日本人よりもずっと、眼の前の現実の政治社会と向き合って闘っているように見えるアメリカ人を(これも比較して実際どうなのか、実は単純には言えないし、そもそも比較することにさして意味はないかもしれませんが)リスペクトはしていますが。

「それでも明日はまたやるべき仕事があるんだね。それで僕は今ただ少し休もうとしてるってわけさ。僕はただ少し休もうとしているだけなんだ」

.... 引用、ここまで ....

植物のメイフラワー、山査子・西洋山査子、常盤山査子

さて、本投稿の前半で、英語の Mayflower (mayflower) には大きく言って 3つの意味があって、ということを書きました。一つは直前の章でも取り上げている船のメイフラワー、そして残る 2つは植物です。うち一つは、船のメイフラワー、つまり 1620年にイングランドからアメリカに渡ったピルグリムが乗った船が辿り着いた現在のアメリカのマサチューセッツ州の州花になっているアメリカイワナシ、そして残る一つは、アメリカにおけるユキワリソウ(ミスミソウ)や アネモネ、イングランドにおけるサンザシや キバナノクリンザクラのように 5月に花を咲かせる様々な草木のことを意味して使われる「メイフラワー」です。

ピルグリムが「メイフラワー」号に乗ってアメリカに渡る前に彼らが住んでいたイングランドにおける植物のメイフラワーと言えばサンザシ、ということのようですが、日本でサンザシと言えば漢字では山査子と書き、中国中南部が原産のバラ科サンザシ属の落葉低木のことを指します。

直前の章で触れていますが、4年前の初夏、ちょうど 5月でしたが、Paul Simon の曲 "American Tune" の歌詞に登場する船のメイフラワーが気になったことが切っ掛けで、植物のメイフラワーを買って我が家の小庭でその「5月の花」を咲かせてみようと妙なことを考えて、トキワサンザシ(常盤山査子)を買ったことがあります。

ネットでググってサンザシ(山査子)を購入しようと試みたのですが、直ぐに手に入るものがその時たまたま無く、トキワサンザシ(常盤山査子)にしました。

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(2016年5月22日、我が家にメイフラワー号!! が到着した日に撮った記念写真: 届いたばかりの常盤山査子と "Ameican Tune" が収録された Paul Simon 1973年リリースのアルバム "There Goes Rhymin' Simon")

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(2016年5月23日、常盤山査子を鉢植えにして我が家の小庭に出しました。パレスチナ人のアーティストがデザインした "We are all Palestinian" メッセージ入りのTシャツを着ているのは私です。いわゆる「パレスチナ問題」は多くの方に関心を持っていただきたいテーマです、是非とも私の note の中のマガジン「パレスチナと中東、その過去・現在・未来」など覗いてみてください、とやや? 脱線したキャプション!!)

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(何故か暗くなってから撮った、2016年5月23日夜の我が小庭の常盤山査子)

さて、ここでちょっと、私のような門外漢にはややこしい話になりますが、植物学上の細かいことを書いておきたいと思います。

サンザシは漢字で山査子と書き、中国中南部が原産のバラ科サンザシ属の落葉低木なのですが(学名は Crataegus cuneata, 4~5月に花が咲きます)、Mayflower を辞書で調べると載っているサンザシは、厳密に言うとサンザシ属の一部の種の総称であるセイヨウサンザシ(ヨーロッパや西アジア、北アフリカを原産とする落葉低木、漢字では西洋山査子)のことになるようで、具体的にはアカバナサンザシ(学名 Crataegus laevigata)もしくはヒトシベサンザシ(学名 Crataegus monogyna)がそれに当たり、それが英語名で Hawthorn と呼ばれているものになるようです。花が 4~5月に咲き、秋に赤い実が成るのは同じです。

そして、実は私が 4年前に買ったトキワサンザシ(今も我が家の小庭で元気にしていますが、私のトキワサンザシはずっと花が咲かず、実も成りません!)は植物学上、厳密にはサンザシの中の一種とは言えない可能性があります。可能性があります、とはいい加減ですが、なにぶん門外漢なので(笑)。

トキワサンザシは漢字で常盤山査子と書き、名前からしてサンザシ(山査子)の一種のように思いたくなりますが、しかし植物学上の「属」は異なるようです。「科」は同じですが、「属」が違うということです。

トキワサンザシ(常盤山査子)は、上の写真にある通り、バラ科の属の一つであるトキワサンザシ属に属する種の一つで、学名を Pyracantha coccinea と言う落葉低木です。トキワサンザシ属にはトキワサンザシの他に、タチバナモドキ(ホソバノトキワサンザシ, 学名は Pyracantha angustifolia)、カザンデマリ(ヒマラヤピラカンサ または インドトキワサンザシ, 学名は Pyracantha crenulata)などがあり、どれも花が咲くのはやはり 4~5月頃のようです。

トキワサンザシ属の学名は Pyracantha で、この属はラテン名のままピラカンサ属とも言うようですが、植物に関して単にピラカンサと言った場合、トキワサンザシ属の中の種の一つであるトキワサンザシ(常盤山査子)を指すことが多いとのことです。

というわけで、トキワサンザシ(常盤山査子)はサンザシ(山査子)と異なる属の植物なのですが、一方で、サンザシの原産が中国中南部であるのに対し、トキワサンザシの原産はヨーロッパ南部~西アジア地方であって、そこはセイヨウサンザシと重なります。花期が 4~5月頃、そして秋に赤く実が熟すことは、サンザシ、セイヨウサンザシ、トキワサンザシ、どれにも共通です。

因みにこれらの実の赤さは日本語では「緋色」と表現されることが多く、英語ではこの緋色は Scarlet もしくは Fiery Scarlet と言います(これは実は、「みは」でなくて「じつは」、後の章で記述することに関わってくるのです)。

日本語は実に豊かな表現力を持つ言語で、例えば青でも赤でも、微妙に異なる色合いを表わすことができるように、様々な単語があります。緋色もその一つですが、残念ながら、そして憂うべきことに、現代の日本人はこうした日本語をあまり使わなくなってきています。

私自身は「緋色」に関しては子どもの頃から親しみを持っている言葉ですが、理由があって、それは日本の伝説的ロックバンド「はっぴいえんど 」の歌のお陰です。松本隆作詞、細野晴臣作曲の「風をあつめて」。2番の歌詞の中に「緋色の帆を掲げた都市が 碇泊してるのが 見えたんです」を含む一節があります。

曲もいいですが、歌詞も素晴らしい。しかし本投稿のテーマからは離れてしまうので、歌詞は載せず、ここでは曲だけリンクを貼りました。歌詞は以下のサイトで確認できます。

話を戻します。

サンザシ、セイヨウサンザシ、トキワサンザシの見た目はこんな感じです。以下の写真はアングルとか光の具合などの影響による差異はありますが、どれも球形の緋色の実が成るあたり、かなり似ているものではあります。

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(サンザシ, 山査子)

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(セイヨウサンザシ, 西洋山査子)

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(トキワサンザシ, 常盤山査子)

次に、これらを英語でどう言うか、みておきます。

サンザシ(山査子)は英語にすると Hawthorn ですが、あえて中国原産もしくは日本のサンザシと特定したければ、Chinese hawthorn, Japanese hawthorn と言う場合もあるようです。

セイヨウサンザシ(西洋山査子)も Hawthorn ですが、English hawthorn という言い方もあります。

トキワサンザシ(常盤山査子)については、属の名前のトキワサンザシは学名が Pyracantha, 英語名は Firethorn, その中の種の名前としてのトキワサンザシ(常盤山査子, 私が 4年前に買って今も庭で世話しているもの)は学名が Pyracantha coccinea, 英語名は Scarlet Firethorn というようです。

兎にも角にも、我が家の小庭にあるのは山査子でも西洋山査子でもなく、常盤山査子。

常盤というのはもともと永久不変な岩の意で、転じて永久不変を意味するようになった言葉ですが、その他、常緑樹を指すときもあり(常葉とも書きます)、また、「ときわ」とも「じょうばん」とも読んで常陸国(ひたちのくに, 現在の茨城県の大部分)と磐城国(いわきのくに, 現在の福島県東部)にあたる地域を指す言葉としても使われます。

私は静岡県生まれですが、私が通った小学校の校歌は「常葉(ときわ)の森の庵山(あんやま)の」で始まる歌でした(私の母校の裏山がその山)。大学は北海道、就職してからの住まいは神奈川県と茨城県ですが、この25年間はずっと茨城県、小庭に 4年前に買った常盤山査子がある我が家は茨城県にあります。私が電車で東京に出かけるときに乗るのは常磐線。それがどうしたって? .. 何か問題でも? 

So What!?

展開的にぶっ飛び過ぎですかね(笑)。

まぁ要するに、植物学上は微妙に属が異なるようですが(科は同じバラ科!!)、我が「メイフラワー」を育てようと 4年前に買って今も我が家の小庭に置いて世話している(水をあげているだけですが)常盤山査子は 4~5月頃に花が咲き、秋に緋色の実が成ることにおいては西洋山査子や山査子と同じ、まぁ「メイフラワー」として扱ってほぼ問題ないんじゃないかと。我が家の常盤山査子はこれまで何故か一度も花を咲かせていないし、実も成っていないですが(笑)。

さて、もう少し、言葉に拘っておきます。

山査子にしろ、西洋山査子にしろ、英語において一つの単語で表すなら Hawthorn となり、それは Mayflower とも呼ばれるのですが、May だけでも山査子を意味することができるようです。 つまり、Mayflower も May も、Hawthorn を意味することができます。

そういうわけで、「船のメイフラワー、植物のメイフラワー」の章で触れた通り、May (may) には 5月という意味の他に、「青春」という意味もあるわけですが、may はその他に mayflower である山査子を指すこともできるということになります。

山査子の一般的な英語名 Hawthorn の由来は何かというと、thorn が刺であることは直ぐに察しがつきますが(何しろバラ科だし)、

Eric Clapton の名曲 Layla を生み出した Derek and the Dominos の美しいバラッド、Thorn Tree in the Garden ...

また脱線したな。

さて、では Hawthorn という単語の前の部分 Haw の由来はというと、それは「垣根」を意味する古い英語 Haga から来ているようです。というのはウィキペディアに書いてあったのですが、大丈夫かな。正直、それ以上は深く調べていません。

Haw という単語については、ざくっと調べてみました。

分かったことの一つは、Hawthorn の Haw だけでもサンザシ(山査子、もしくはその実)を意味することができる、ということです。

そのサンザシ(山査子)を意味する Haw, 他にも色々と意味があります。

名詞としては他に「瞬膜」を意味する場合があるのですが、これはウィキペディアによれば「まぶたとは別に水平方向に動いて眼球を保護する透明又は半透明の膜。第三眼瞼(英語: third eyelid)ともいう。鳥や爬虫類が瞬きをするとき、目の内側から瞬間的に出てくるため『瞬膜』と呼ばれる。両生類や魚類の一部(サメの仲間)、及び鳥類、爬虫類は発達した瞬膜をもつが、哺乳類では瞬膜が痕跡器官となっている種も多く、霊長類では一部の種に限られる。ただし哺乳類でもラクダやホッキョクグマ、ツチブタ、鰭脚類(アシカやアザラシの仲間)には完全な瞬膜がある。鳥は自由に瞬膜を動かすことができる。ヒトの場合、半月襞(はんげつひだ、plica semilunarisまたはsemilunar fold)とそれに繋がる筋肉がおそらく他の瞬膜に対応する器官ではないかと考えられている。霊長類のほとんどの種はこの半月襞をもつが、キツネザルやロリス下目の種は十分に発達した瞬膜をもつ」。というわけで、瞬膜はこれ以上は突っ込みません(笑)。

話を戻します。上に書いた通り、Mayflower メイフラワーであるサンザシ(山査子)を意味する Hawthorn から刺(トゲ, thorn)をとった Haw だけでもサンザシ(山査子)、つまり Mayflower メイフラワーを意味するのですが、その Haw のその他の意味について。

我々日本人が口籠る時は「えー」という感じでしょうか、英語の世界で口籠った時に使うのが Haw で、これを間投詞や自動詞として使います。

その他、馬などへの掛け声としての間投詞でも Haw が使われます。ホーホー、というやつですかね。意味としては「どうどう!! 左へ曲がれ」ということになります。右ではありません。左です、左。

その他、自動詞として「左へ曲がる」、他動詞として「左へ曲がらせる」。

さて、左派ってのは伝統的には「政教分離」を守るはずですよね。

イングランドのピューリタン(清教徒)たちが彼らにとってのキリスト教の理想世界を実現すべくアメリカに渡った時の船の名がメイフラワー なのですが、どうやらメイフラワーは左派的傾向があるようで、アメリカ合州国さんよ、そろそろ本当の意味で政教分離して、大統領就任式での宣誓の際に左手(左手!!)を聖書の上に置くとか、上院議員や下院議員が連邦議会で行なう就任宣誓でも聖書を使うとか、あんな神政国家まがいのことはやめたらどうか。

もっとも近頃はムスリムの議員もいて聖書でなくコーランを使ったりもするんだろうし、そもそもユダヤ人のユダヤ教徒の議員はユダヤ教の教典を使ったりもしている。稀に無神論者の議員が宗教色無しで宣誓する場合もあるようですが。

しかし、大統領や議員の就任の時だけではないですね。裁判の時の証人、「あなたは真実のみを語ることを誓いますか?」と訊かれて宣誓するあの儀式、あれも聖書を使ってますよね。

バカバカしい。アメリカ合州国ってのは、バチカンとかサウジやイラン(そのほかイスラム教徒が多数を占める多くのイスラム教圏の国々)のような神政国家ではなくて、歴とした近代的「政教分離主義」「世俗主義」国家じゃないのかよ。

Haw, haw, turn left .. どうどう、左へ曲がれ。

HAW と書くと High Activity Waste, つまり高レベル放射性廃棄物。「聖書」の扱いは難しいので、hem and haw 躊躇してしまうんですかね。

言葉遊びが過ぎたか。

真面目な話、アメリカ合州国の成り立ちにはそもそも(それこそ後年1948年に建国されたイスラエルもそうですが)選民思想があり、その建国神話の真ん中に「メイフラワー」号でアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)たちのピルグリム・ファーザーズの物語が鎮座しています。

1620年にイングランドから出て(彼らにとっての)キリスト教による理想社会を作ろうとピューリタン(清教徒)たちがアメリカに渡航した時に使ったメイフラワー号には、航海の無事を祈ってセイヨウサンザシ(西洋山査子)が描かれていたそうです。以来、アメリカではセイヨウサンザシのことを「メイフラワー」と呼ぶようになったとの説を見ました。先日たまたま、しかもあの栄養ドリンク、ユンケルにセイヨウサンザシが配合されているというわけで、ユンケルの公式ホームページの植物性生薬の解説のところで見たのですが、佐藤製薬株式会社さん、とりあえず信用して大丈夫ですか(笑)。

セイヨウサンザシ(西洋山査子)とキリスト教との関係でいうと、キリスト教の世界の物語の中での話ですが、キリストが処刑された時の荊冠(イバラの冠)がセイヨウサンザシであったという逸話があり、これは色んなところで書かれているので、(あくまでキリスト教の世界においては)定説なのでしょうか。

上記のユンケルのホームページのところには、キリストが処刑された時の荊冠にはセイヨウサンザシが使われていて、キリストの血によって清められたとされたため、中世ヨーロッパでは厄除けの木といわれるようになった、イギリスでは傷や腫れを治すと信じられていた、と書かれていますが、他の様々な解説の中でも、キリストが処刑される際にセイヨウサンザシの冠を被っていたとされ、西洋山査子は西洋のキリスト教圏においては神聖な樹木として保護されてきた歴史があるといった趣旨のことが書かれています。ロックフェスで有名なイギリス、イングランドのグラストンベリーなどに名木が残る、と書かれていたけれど、まぁそうなんでしょうね。

とにかく、アメリカの「建国神話」における重要な存在、メイフラワー(まぁ「神話」における、と言っても、船自体は実在したものでありますが)を巡る「連想ゲーム」みたいなものをしていると、矢鱈と宗教、キリスト教、プロテスタント、ピューリタンに繋がるものが浮き上がってくる。だんだんアメリカが近代的な民主主義、民主制度の国 democracy ではなく、theocracy 神政政治、神政国家にすら見えてくる。

と言ったら乱暴に過ぎるかな。しかしアメリカって国は、近年ますます、宗教勢力に政治が動かされているような面がありますね、実際。その現代アメリカの神権政治的な側面の主役は福音主義のキリスト教徒たち、アメリカの人口の実に 1/4を占める(人数にして 8,000万人ほど!!)と言われる Evangelicalism の人たち、聖書の字面を重視し、字句通りに信じ、その信仰を実践しようとするキリスト教右派、キリスト教保守、キリスト教原理主義の人たちです。

彼らは外交政策にすら大きな影響力を持ち、アメリカのイスラエル一辺倒の偏った中東政策も、彼らと彼らと交わるイスラエル支持のロビイストの活動によるところが大きいわけで。

乱暴ついでにもう一言。しかし、1620年にピューリタン(清教徒)たちがイングランドからアメリカに渡った時に乗った船はメイフラワー Mayflower, 植物のメイフラワー Mayflower はイングランドにおいてはサンザシ(山査子)、サンザシ固有の英語名は Hawthorn, トゲ thorn のある言い方をしましょう(強引だ、別にトゲのある言い方なんかじゃない、単なる乱暴な展開)、"Haw" の意味は「左へ曲がれ」「左へ曲がる」「左に曲がらせる」、アメリカよ、左に行こう。

2020年のアメリカ大統領選挙、民主党の候補はバーニー・サンダースがなるべきだったな。そろそろ、アメリカには本格左派の大統領が必要なのだ。中東政策も変わるべき。

さて、バーニーはともかく、元々、近現代の左派は宗教から距離を置きます。

近年のアメリカの左派は宗教に寛容過ぎるきらいがありますが(つまり、例えば、右派から不当に差別を受けるムスリムのアメリカ市民に寄り添う姿勢を示そうとするからか、イスラム教圏の国々やイスラムのコミュニティにおける宗教絡みの人権抑圧の問題に彼らアメリカ左派の多くは非常に甘い)、そろそろアメリカは神政国家的な側面が強過ぎる伝統から脱却するべきです。ま、アメリカ市民ではない私個人の意見ですが。

メイフラワーとナサニエル・ホーソーンと「緋文字」 (1850年)

そろそろ、紙幅が尽きてきました。な訳ないか。しかし長過ぎ。一気に行きます。その為には横着をする。まずは本投稿の冒頭で書いた今日のこの投稿テキストの乱暴な要約、「いきなりの要約」の中の該当部分を持ってきて、ちょこっと編集しただけで以下に纏めてしまいます。しかも箇条書きの形式もそのまま踏襲。で、その後、少し話を続けます。

・19世紀のアメリカを代表する小説家 Nathaniel Hawthorne (日本での表記はナサニエル・ホーソーン)の代表作は、The Scarlet Letter である(日本ではそのタイトルは「緋文字」と訳されている)。

・彼の本名は Nathaniel Hathorne だったが、改名して Ha の後ろに w が入り、Nathaniel Hawthorne と名乗るようになった。Hawthorne は、綴り上、「メイフラワー」 "Mayflower" であるサンザシ(山査子)の Hawthorn とほぼ同じ、Hawthorn の語尾に England の E (e) が付いただけである。

・代表作のタイトル The Scarlet Letter の Scarlet は、日本でのタイトルにある通り、緋色を意味する。「メイフラワー」 "Mayflower" である Hawthorn (サンザシやセイヨウサンザシ)や トキワサンザシ の実の色と同じ色、緋色である。また、トキワサンザシ(常盤山査子)の英語名 Scarlet Firethorn の Scarlet と重なる言葉でもある。

・Nathaniel Hawthorne の代表作 "The Scarlet Letter" は、17世紀のアメリカのニューイングランド地方(主にボストン)のピューリタン(清教徒)たちの社会を舞台に、消息を絶った夫の不在中に地元の牧師との間で姦淫の罪(旧約聖書におけるモーセの十戒のうちの一つであり、新約聖書においてはマタイによる福音書で配偶者以外への性的関心を含み厳しく罰せられるものとされている罪)を犯した女性を主人公とする物語である。

・「緋文字」 "The Scarlet Letter" の物語は、イングランドから「メイフラワー」号 "Mayflower" に乗ってピューリタン(清教徒)たちがアメリカに渡った 1620年から 22年しか経過していない、1642年のボストンで始まる。

・1620年にイングランドのプリマスの港から「メイフラワー」号 "Mayflower" に乗ってアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)たちが辿り着いたのは、マサチューセッツ州のプリマスで、その後、そのマサチューセッツ州に、メイン州、ニューハンプシャー州、ヴァーモント州、ロードアイランド州、コネチカット州の 5州を合わせた アメリカの 6つの州は、ニューイングランド New England と呼ばれるようになったが、ニューイングランドの中心都市はボストンである。

・Nathaniel Hawthorne は 1804年7月4日に、1620年にピューリタンたちの「メイフラワー」号 "Mayflower" が着いた地プリマスがあるマサチューセッツ州に所在するセーレムという名の地方都市(セイラムとも表記、1692年に同地でピューリタンたちが行なった「魔女狩り」「魔女裁判」で有名)で生まれ、1864年5月19日、同じニューイングランド地方のニューハンプシャー州にある、マサチューセッツ州のプリマスと同じ名の地方都市プリマスを旅行中にこの世を去った。出来過ぎた話だが、これは史実ということになっているから、確かな事実なのだろう。

というわけで、ナサニエル・ホーソーン = Nathaniel Hawthorne = Nathaniel Hawthorn + England の e = Nathaniel Mayflower + England の e = Nathaniel Mayflower from England = ナサニエル・イングランドから来たメイフラワー = ナサニエル・イングランドから来た緋色の実が成るメイフラワー という名のアメリカの作家の代表作「緋文字」、原題 "The Scarlet Letter" (直訳すると「緋色の文字」)についての話でした。言葉遊び。WTF! なんてこった。

というより、なんて凝った。要するに、1620年にイングランドからアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)たちがその時に乗っていた船「メイフラワー」号 "Mayflower" と奇妙に符合することばかり。

あまりに乱暴な纏め? ... いや、実は私はこの「緋文字」という小説、読んだことがないのです。映画化された作品すら見たことがない。しかし読む前に跳べ、「見るまえに跳べ」by 大江健三郎(それも読んだことがない、笑)。

読まないでとりあえず物語の具体的な内容を知ろうと思えば ... 

私は 松岡正剛氏についてはその活動を批評するほどの知識を持ち合わせていませんが(私の学生時代に既に論客としても目立つ存在だった松岡正剛の名前はその当時から知っているわけですが、たまたま彼の書いたものをあまり読んだことがありません、しかし学生時代に全盛期だった「朝日ジャーナル」とかに時々登場していたような気もする、曖昧な記憶ですが)、今これもたまたま、彼がナサニエル・ホーソーン とその代表作「緋文字」について解説したテキストを見つけました。

物語の粗筋がわりと詳細に書かれていて、かつホーソーンの生い立ちやアメリカのピューリタリズムについても言及しており、興味深い内容です。

ただ、一部、誤植があります。例えばテキストの真ん中辺り、「ピルグリム・ファーザーズがオランダ・ライデン滞在をへて、1602年にアメリカ東海岸のプリマスの地に渡り、メイフラワー盟約を交わしたときから始まっていたと言わなければならない」というくだり、この「1602年」は、正しくはもちろん、1620年です。その直後の文の「アメリカン・ピュータリニズム」は正しくは「アメリカン・ピューリタニズム」。

テキストは以下の URL 上にあります。

今日(2020年7月11日)たまたま知った松岡正剛氏によるこのテキストですが、メイフラワー について特に書かれていることはないし、もちろんサンザシ(山査子)もセイヨウサンザシ(西洋山査子)もトキワサンザシ(常盤山査子)も、そしてポール・サイモンも「アメリカの歌」 "American Tune" もバッハもマタイ受難曲も出てきませんが、私が今日 note に投稿しようとしているこのカオスのテキストの中で言おうとしていることと、わりと重なっているものがあるような気がします。

https://1000ya.isis.ne.jp/1474.html

ところで、ナサニエル・ホーソーン Nathaniel Hawthorne の「緋文字」 "The Scarlet Letter" の粗筋をざくっと語ってくれているものを、YouTube 上で見つけました。以下の一つ目は9分弱、二つ目は10分間かけて纏めているから、私と比べれば乱暴ではない(笑)。

9分弱の粗筋解説。

10分間の粗筋解説。

次は、「緋文字」 "The Scarlet Letter" を巡るクウェスチョン。Hester というのは主人公の女性の名前、Dimmesdale は、彼女との間で姦淫の罪を犯した牧師のことです。


この小説は、何度も映画化されているようです。最初に映画になったのは 1908年で、その後、何度も何度も映像化されています。

以下は、1920年代のサイレント映画(無声映画)の時代に活躍したアメリカの女優コリーン・ムーア Colleen Moore が主演した、彼女の引退前の最後の出演作(この時は既にトーキー、つまり発声映画)。1934年の作です。タイトルは小説の原題と同じ "The Scarlet Letter" で、この YouTube クリップのタイトルに First Pillory Scene とありますが、Pillory とは日本語では「さらし台」と訳されている、19世紀まで使われていた刑罰の道具のことです。罪人の手と首を固定して「さらし者」にすることを目的とした道具で、罪人は野次馬たちから罵声を浴びせられるだけでなく、身動きが取れないために腐った果物などを投げつけられても避けることができないことになるため、惨めな思いをさせられる刑罰を与えることを可能とした道具でした。

なんと 1934年に映画化・上映されたこの「緋文字」 "The Scarlet Letter" の全編を見ることができます。

次はドイツ語。「パリ、テキサス」 "Paris, Texas" (1984), 「東京画」 "Tokyo-Ga" (1985), 「 ベルリン・天使の詩」 "Der Himmel über Berlin" (1987) のドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders が、1973年に「緋文字」を映画化しています。この YouTube のクリップには 1972 とありますが、正しくは 1973 だと思います。映画のタイトルは Der Scharlachrote Buchstabe, 英語にすれば The Scarlet Letter ということで、やはり小説の原題と同じようです。

(以下のクリップにつき, 2020年7月31日編集: 当初リンクを置いたクリップが削除されていた為、置き換え。ドイツ語)

以下の YouTube Clip では、1979年にテレビ映画化された「緋文字」 "The Scarlet Letter" が紹介されています。 メグ・フォスター Meg Foster 主演。

次は、1995年の映画化作品。デミ・ムーア Demi Moore が主演し、第16回ゴールデンラズベリー賞(アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」映画を選んで表彰する、例のアレ)で最低主演女優賞にノミネートされました。この映画、映画そのものが同賞で最低作品賞にノミネートされており、その他にも最低監督賞、最低助演男優賞、最低脚本賞などにノミネートされ(全て「惜しくも」受賞はしていません)、極め付けは、最低リメイク・続編賞にもノミネートされ(リメイク作品だから他の様々な部門で華々しくノミネートされた以上はこの部門でもノミネートされて当然か)、これは見事に受賞しています。散々な結果だったようで。これも見ていませんが、映画の内容が原作である小説の内容やテーマの核心から著しく逸脱していたというようなことが、酷評された原因だったのかもしれません。

ウィキペディアによれば、一方で第5回MTVムービー・アワードでデミ・ムーアが「魅惑的な女優」賞という部門でノミネートされたということになっていますが、彼女の無垢と妖艶が入り混じった妖しさだけが(肯定的に?)目立ったのでしょうか。

2015年にも Molly Wilson という名の女優が主人公の Hester 役をして映画化されていますが、ネットをググっても情報があまり多くなく、詳しいことは分かりません。

ざくっとネット上の情報を見た限りでは、1995年のデミ・ムーア主演版と同様、評判・評価は芳しくないようです。もっともこの 2015年版の方は多分そもそもあまり注目されなかった映画なのではと思いますし、そもそもどのくらいの規模、どういうチャネルで公開された作品なのかも、調べないと分かりません。とりあえずこの YouTube クリップのコメント欄を見ると、やや大袈裟に言えば酷評のオンパレードという様相を呈しています。原作はアメリカ文学の大御所の代表作、映画化はいろんな意味で容易ではないようで。

ところで上記の、最後に取り上げた2015年版の映画の予告編ですが、2分47秒のうちの 1分経過のところで、17世紀のアメリカ、ニューイングランド地方のピューリタン(清教徒)社会において姦淫の罪を犯した主人公の女性が、絞首刑に処されそうになることを暗示するシーンがあります。

そのシーンが入っていたからか、ここまで書いてきて、この「緋文字」 "The Scarlet Letter"  の物語からふっと連想されるように、頭に浮かんできたミュージック・ヴィデオがあります。

Personal Jesus というタイトルで、Depeche Mode の 1990年リリースのアルバム "Violator" に収録された曲のミュージック・ヴィデオです。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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話が逸れますが、上にリンクを貼った Depeche Mode のこの歌、歌詞をキリスト教の世界からイスラム教の世界に置き換えて似たような内容の歌を作ったら、それをイスラム教の神政国家(イランやパキスタンや、あるいはサウジ他のアラブ諸国の大勢を占めるシャリアと呼ばれるイスラム法で支配された国々の多くの場合)の国で少なくともその国出身の人がそれをやったら、Blasphemy 冒瀆罪のかどで絞首刑もしくはその他のやり方で死刑、もしくは石打ちや鞭打ちの刑に処されるでしょう。前者の場合は、殺される、ということです。もちろん冗談ではありません。

以下は、remix version の "Personal Jesus" の、敬虔なクリスチャンから顰蹙を買うに違いない内容のミュージック・ヴィデオ ... 西暦1世紀でも7世紀でも17世紀でもなく、21世紀の今現在であっても、もしもあなたがイスラム教の神政国家のもとで生まれ育った人で、しかし何かの切っ掛けで無神論者になった人で(実際、そうした国々には少数ながら無神論者がいて殺されるかもしれない恐怖の中で生活しています)、もしも蛮勇を奮ってイスラム教ヴァージョンの歌詞にリメイクして且つこれと同様のヴィデオを作って流したら、少なくともその国でそれをやったら、あなたの生涯はそこで終わりです。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

アメリカの歌、その源流

上のミュージック・ヴィデオの後で、これ。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach 作曲の「マタイ受難曲」 "Matthäus-Passion" です。

この曲と、歌詞の中でアメリカを象徴する記号の一つとして「メイフラワー」 "Mayflower" が登場するポール・サイモン Paul Simon 作曲の「アメリカの歌」 "American Tune" は、メロディの元ネタが同じです。Paul Simon が "American Tune" でモチーフにしたのはこのバッハの「マタイ受難曲」そのものだという説もあります。

以下、ポール・サイモン Paul Simon の「アメリカの歌」 "American Tune" を取り上げた私の過去の note 投稿から、「この歌のメロディについて、少々」と題した章のテキストを転載します。

さて、けっこう長々と書いてきたこの投稿、ようやく(笑)終盤に差し掛かってきました。ここで、この歌のメロディに関して、少し触れておきたいと思います。

この歌のメロディ・ラインに元ネタがあることは有名です。ドイツ人の Paul Gerhardt という人が 17世紀(いま加筆:イングランドからピューリタンたちが「メイフラワー」号に乗ってアメリカに渡ったのと同じ時代です)に作曲した讃美歌、"O Haupt voll Blut und Wunden" ですが、この歌自体が実は元ネタを持っていて、やはりドイツ人の Hans Leo Hassler という人が 17世紀初頭に恋愛の歌として作曲した "Mein G'müt ist mir verwirret" です。

言わばその非宗教的な歌をリメイクした宗教音楽、讃美歌である "O Haupt voll Blut und Wunden"(邦題「血しおしたたる」、ドイツ語タイトルの訳としては「おお、血と涙にまみれた御頭よ」)のメロディをベースに、Paul Simon の "American Tune" のメロディは作られています。

なお、Johann Sebastian Bach はこのメロディをマタイ受難曲(Matthäus-Passion)に用いていて、Paul Simon が "American Tune" でモチーフにしたのはこのバッハの「マタイ受難曲」の方だという説もあります。

どれが真実なのか、Paul Simon 自身が何処かで具体的に語っているのではと思いますが(いや、もしかしたら曖昧にしたままで語っていないかもしれません)、Paul Simon の音楽を愛好して半世紀ほどになる私ですが、正直、これまでそれ以上に突き詰めて調べたことはありません。決してファンとして興味がないような事柄でなく、その逆で、かなり音楽的あるいは知的好奇心を唆られることではあり、これまでたまたまそれ以上は調べなかったとしか言いようがないのですが。いつか、もっと調べてみるかもしれません。

上に挙げたメロディの元ネタ曲や関連する曲の音源、ざくっとピックアップしてみたので、以下にリンクを貼っておきます。一聴以上の価値はあります。

"O Haupt voll Blut und Wunden"

"O Haupt voll Blut und Wunden" の英語版

"Mein G'müt ist mir verwirret"

(過去の投稿では、ここでバッハの「マタイ受難曲」 "Matthäus-Passion" のリンクを貼りましたが、今日は既に上に載せています)

以下も "Matthäus-Passion" ("St. Matthew Passion"), この YouTube クリップをアップした人は、Paul Simon's 1973 classic recording, "American Tune", is notable for being based on the melody line from Bach's chorale from "St. Matthew Passion." と書いていて、ポール・サイモン が "American Tune" を作曲するに当たって、そのメロディラインを考えるうえで直接的にモチーフにしたのはバッハの「マタイ受難曲」だという説を採用しているようです(確かにこの説は一般的にかなり広く流布していると思いますが)。

Mayflower とは何か? (簡単で散漫な攻撃的演説)

要点は、本投稿の冒頭の「いきなりの要約」に書きました。具体的にはその後の章に色々と書きました。... え? それで終わりかよって? 

また今度、気が向いたら、

Mayflower, America, Puritanism, Evangelicalism などについて、あらためてもっときちんと(!!)深入りして考えてみたいと思いますが、

今日はそろそろ紙幅が尽きてきました。

いや、紙幅なんて元々ないのですが、4年越しの頭の中のモヤモヤを多少とも文字にしたことで(笑)、至福の感覚に襲われてきたものですから。な訳ないか、紙幅、至福、ただの駄洒落です。今日の私は私服。私腹は肥やしていません。とりあえず、雌伏して時の至るを待つ所存です。

駄洒落のオンパレード、文句あっか?  

以上、「簡単で散漫な攻撃的演説」でしたが、それが何か? ー というわけで、以下はこの投稿におけるボーナス・トラックのようなものです。昔々、筆者の学生時代、「の・ようなもの」というタイトルの映画がありました(1981年)、脱線。

So what if it was a simple desultory philippic!?

Paul Simon's "A Simple Desultory Philippic (Or How I Was Robert McNamara'd into Submission)", この曲は Simon & Garfunkel 時代の Paul Simon のソロ・アルバム "The Paul Simon Songbook" (1965) と、Simon & Garfunkel の 3枚目のアルバム "Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" (1966) に収録されていますが、歌詞は異なります。

 この歌の邦題は「簡単で散漫な演説」ですが、"Philippic" という単語は、

1. デモステネスのフィリッポス王攻撃演説◆紀元前351年からアテネの雄弁家Demosthenesが行った、マセドニア王Philip II(Philip the Great)の独裁を非難し自国民のふがいなさをなじった激しい演説を指す。

2. キケロのアントニウス攻撃演説◆紀元前44年に古代ローマの政治家Marcus Tullius Ciceroが行った、Marc Antony(ラテン語でMarcus Antonius)を激しく攻撃する13回の演説を指す。◆【語源】デモステネスの行ったPhilippicより

 ということのようです(Space alc から丸写し)。

これは、"The Paul Simon Songbook" に収められたヴァージョン。

最後の方で ”haiku” 「俳句」 という言葉も登場します。「ロンドンにいる時は俺のようにしな。いい俳句でも見つけて10年か15年眠るのさ」 と言ってるんですが、このころ既に俳句は一部のアメリカもしくは欧米のアーティストのうちでトレンドの一つになっていたんですね。ビート詩人とか前衛の人たちの間だと思いますが。

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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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この曲が収録された Paul Simon のソロ作 "The Paul Simon Song Book" について、以前、原始的 html だけで作った自分のホームページで紹介したことがあります(ただしこれもカオスなテキストですが)(加えて OS次第で文字化け)。

以下は、歌詞が一部、異なります。"Parsley, Sage, Rosemary and Thyme" に収録されたヴァージョンです。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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どちらのヴァージョンにもボブ・ディラン Bob Dylan が登場しますが、こちらのヴァージョンの最後、"I've lost my harmonica, Albert..." の Albert とは、当時の Bob Dylan のマネージャー Albert Bernard Grossman (May 21, 1926 – January 25, 1986) のことです。

当時のポール・サイモンは本来は全くスタイルが異なるディランと比較されることを嫌いながら、しかし一方でディランの存在をかなり意識していたのかもしれません。二人は歌い方も元々全く違いますが、とりわけ上に挙げた 2つのうち前者の方は、ポール・サイモンがわざわざディランの歌い方で歌っている、ディランの歌い方をパロディ化している感じがあります。歌詞の中のディランに言及した部分に関して言えば、ディランをおちょくっている感もあります。

ボブ・ディラン?

ディランか。ここであらためてディランに対する Philippic 攻撃的な演説をしておこう。

ディラン? それがどうした!?

So What! 

ではでは、アフリカ系アメリカ人ミュージシャン、Miles Davis (May 26, 1926 – September 28, 1991) の "So What" を聴いたところで、最後に Allen Toussaint (January 14, 1938 – November 10, 2015) による、Paul Simon's "American Tune" のカヴァーを、拙訳と共に。

Allen Toussaint's "American Tune" 〜 歌詞和訳, note 1-4

「アメリカの歌」 "American Tune" は Paul Simon が作詞作曲した歌ですが、Paul Simon にしても、Allen Toussaint にしても、いわゆる WASP (White Anglo-Saxon Protestants), つまり北西ヨーロッパとりわけイングランドに家系のルーツを持ちアメリカの「開拓」や「建国」の担い手となった集団には属さないアメリカ人です。

もちろん、1620年にイングランドから「メイフラワー」号に乗ってアメリカに渡ったピューリタン(清教徒)たち、つまりピルグリム・ファーザーズの一団とも、彼らの祖先は全く関わり合いがありません。

そんな彼らがこういう歌詞の「アメリカの歌」を歌うところにも、アメリカの一面があると思っていいのでしょう。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。

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何度も何度も間違いを犯し
そして繰り返し混乱の中をやり過ごしてきました
そう、見捨てられたと感じることもよくありました
虐げられていると感じたことさえも
でも大丈夫、平気です
ただ疲れが骨の隋まで染み込んでるだけなんです
期待なんかしてませんよね
華やかなに生きて美食家になるだなんて
家からこんなにも遠く離れた場所で
そう、こんなにも遠く離れてしまったのです

打ちのめされたことがない人なんているでしょうか
穏やかな心持ちの友達なんかいないのです
打ち砕かれたことのない夢なんて知りません
崩れ落ちたことのない夢なんて
でも平気です、大丈夫です
私たちはうまくやって長いこと生きて来れたのです
それでもこの道のりを考えるとき、
つまり私たちが旅しているこの道のりを
いったい何が間違っていたんだろうって思うのです
思う他ないのです、どこで道を誤ったんだろうって

そうして私は自分が死にゆく夢を見ました
私の魂が不意に空高く舞い上がる夢を見たのです
魂は私を見下ろしていました
私を安心させようと微笑んでもいました
私は私が空を飛んでいる夢を見たのです
上空で私の目ははっきりと捉えたのです
自由の女神を
遠くの海へと去って行く自由の女神を
私は私が空を飛んでいる夢を見ていたのです

おお、私たちはメイフラワーと彼らが呼ぶ船に乗って
私たちは月にまで航行した船に乗って
この最も不確かな時代にやって来ました
そしてアメリカの歌のメロディーを口ずさむのです
でも大丈夫です
平気です、大丈夫ですよ
誰だって幸運であり続けるなんてことは出来ないでしょう
それでも明日はまたやるべき仕事があるのです
それで私は今ただ少し休もうとしてるってわけです
私はただ少し休もうとしているだけなのです

平気ですよ
大丈夫です、大丈夫なのです
誰だって幸運であり続けるなんてことは出来ません
それでも明日はまたやるべき仕事があるのです
それで私は今ただ少し休もうとしてるってわけです
私はただ少し休もうとしているだけなのです

..............................

note 1

note 2

note 3

note 4


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