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#ユダヤ人
ハロルド・ピンター と ボブ・ディラン 〜 共に ユダヤ人ノーベル文学賞受賞者ながら 雲泥の差, もちろん 泥 は ディラン
ことわり書き: ミュージシャンが ノーベル「文学」賞を受賞したって構わないよ勿論 〜 だから 取り上げたいのはそんなくだらないハナシではなく上の見出しの一言二言で 十分なんだけど, せっかくなので一応, 以下にざくっと書いておくと, 本 note で取り上げるのは 両者の「文学」の質の差ではない。そもそも ロックの歌の歌詞は「文学」ではないとか, ミュージシャンが「文学」賞を受賞するのはおかしいとか, そんなくだらないことを主張する気はない。ロックだって「文学」になり得るし
テルアヴィヴ/48イスラエル, 1983年10月7-9日 〜 ガザから来ていたパレスチナ人一家, そして テルアヴィヴのユダヤ人, パレスチナ人
1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, そしてトルコ・シリア・ヨルダンを旅し, 9月28日からはパレスチナ/イスラエルの旅。本 note 第1章はパレスチナ/イスラエル問題の概観に関して, 第2章はテルアヴィヴ見聞録その1 に当たるもの note リンク。その続きとなる 10月7-9日のテルアヴィヴ見聞録は本 note 第3章以降。 「48イスラエル」, パレスチナ/イスラエル問題 概観以下の前々回 旅 note 第1章が 「48イスラエル」, 「47イギ
テルアヴィヴ/48イスラエル 〜 ディアスポラ博物館を訪ね, 街ではパレスチナ人達にも会い(1983年10月6日から翌7日)
ディアスポラディアスポラというのは民族離散を意味して, 語源を辿ると植物の種などが撒き散らされたものという意のギリシャ語に行き当たるらしい。そういえば我が家の小庭でも何処(いずこ)からか「風に吹かれて」(本 note 第6章)やってきた種のお陰で意外な花が咲くことがあって, ディアスポラの語源を想うと「うーむ, なるほど」という感あり。 ディアスポラが一番よく使われるのはユダヤ人に関するそれだが(今日の note の「ディアスポラ」博物館はテルアヴィヴ大学の構内にあるもので
エルサレム旧市街と「ホロコースト記念館」(ヤド・ヴァシェム) 〜 エルサレムの東西; パレスチナ/イスラエル見聞録, 1983年10月3日
1. 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時
ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 4曲歌詞和訳つき
* 2022年6月11日, 本アルバム収録曲 "Gone at Last" の歌詞を和訳し note にアップしたので, 本 note にもそれを加え, note タイトル該当部分も「3曲歌詞和訳つき」から「4曲歌詞和訳つき」に更新した。 グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲した