忙しさに安心していては「本当にやりたいこと」は見つからない気がする。
インスタで流れてきた言葉「be useless so nobody can use you」が良かった。
仕事が片付いて一段落したなら休めば良いと思うけれど、色々な職場を見ていると、常にやることを見つけているように見える。
わざわざ自分を忙しくしているように見える。
仕事つまり「こうすればさらに良くなる」を見つけるのは善意ではある。
でも何かやることが常にある状態に安心している気もする。
忙しさ中毒。
自分の生存理由を「何かやっていること」に置いているのかもしれない。
だとしたら見つけてきた「やること」は別にやりたいわけじゃない。
ならば永久に満たされない。
そんな気もする。
やりたいことをやれば幸せというのなら、そのためには「本当にやりたいか」を見極めないといけない。
ヒマだと落ち着かないからと何かやることを見つけていては、その見極めはできない。
ヒマに留まっていられることは大事。
一緒に過ごす人だったり環境だったり自分を「その場に留めてくれる」存在は大事。
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お読みいただきありがとうございます。
毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。
明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。