「母音」くらべ
『中原中也全訳詩集』(講談社文芸文庫、1990年9月10日)
開風社待賢ブックセンターでもとめました。古書の即売会から戻ってきた本が沢山積んでありました。それらのなかの文庫本を3冊200円コーナーに出したということでしたので、目を皿のようにして物色。かなりいい本が買えましたが、ふと横を見ると、棚に挿されている『中原中也全訳詩集』が目につきました。こちらは均一値段ではありません。けれども割安なのでいただくことにしました。
本当は書肆ユリイカ(1949)だとか、野田書房(1937)、山本書店(1936)、三笠書房(1933)から出ている元本が欲しいところですが、まったく縁がないので(円がないので)架蔵はしていません。
中原中也、翻訳家としてはどうなのか、本書の解説の粟津則雄は、アテネ・フランセや東京外語専修科など中也のフランス語学歴を並べて
けれども
というふうに評しています。では、実際、中也の翻訳はどのようなものなのでしょうか。ランボー詩集から「母音 Voyelles」の最初の連を引用してみます。[ ]はルビです。まず原文は「l'édition Vanier de 1895」から。冒頭の数字 1 は後の版にはありません。
1 A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu, voyelles,
Je dirai quelque jour vos naissances latentes.
A, noir corset velu des mouches éclatantes
Qui bombillent autour des puanteurs cruelles,
そして中也の訳文。
本書の底本は『中原中也全集』(角川書店、1968年)ですが、底本でも《Oは赤》となっています。次に、金子光晴訳ではこういう訳です。
ここでこの二人の翻訳に共通するのは最終行の《暗い入江。》と《あるいは、影ふかい内海。》が原文では次の連の最初に置かれている詩句に相当することです。すなわち《Golfe d’ombre ; E, candeur des vapeurs et des tentes,》とつづく《Golfe d’ombre ;》が前段に引き寄せられています。ひょっとして、そういうテキストだったのでしょうか(?)。
次は平井啓之訳。
さらに宇佐美斉訳はこうです。
宇佐美は「,」を無視して一文字アキにしているのが特徴的です。そして架蔵本のなかでは最も新しい鈴木創士訳『ランボー全詩集』ではこうなっています。
《青。》と「,」を「。」にしたのが、ちょっとしたこだわりでしょうか。
この連は文章の構造としては分かりやすい方だと思いますが、ひとつひとつの言葉をどんな日本語に置き換えるかで印象がずいぶん変わってくるようです。
全員が A E I O U をそのまま仏字で表しているのも不思議といえば不思議。母音なんですからアウイユオと翻訳してもいいのでは、という疑問も湧きます。しかしここは続く詩句がその母音の字形とも関連してくるので単純に日本語の母音には換えられないという事情もあります。
2行目の《Je dirai quelque jour》(私はいつか語るだろう)、これを金子光晴だけ《これから説きあかそう》とちょっと違ったニュアンスで訳しています。金子は会話も相当できたはずですから全くの無根拠に《quelque jour》を《これから》としたとは思いにくいのですが・・・
もうひとつ、形容詞の《éclatantes》も各人各様です。《眩ゆいやうな》《金》《きらめく》《色鮮やかな》と全員が視覚的な単語としてとらえています。ただ、僭越ながら、ここは「(音が)けたたましい」と考えた方が文意に沿うのではないでしょうか? 動詞形の éclater というのは「破裂する」「拍手などが鳴り響く」意味がメインなのですからその形容詞なら「うるさい」とすべきでは。次に出てくる《bombillent》は(動詞原型=bombiller)蜂がブーンと音を出す様子です。その意味でも「うるさい」とするほうがピッタリのように思います。
で、ここの連だけで見ると、後年の気鋭の仏文学者たちの翻訳と比較しても、中也の翻訳がとりたてて見劣りするというふうには思えません。必要十分なのではないでしょうか。最後に本書の解説者である粟津則雄訳『ランボオ作品集』から同じところを引用しておきます。
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