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《才能あるの?》

サガン『すばらしい雲』(朝吹登水子訳、新潮文庫、昭和44年8月20日5刷、カバー=宇野亜喜良)

すばらしい雲』の原題は『Les Merveilleux nuages』。ジュリアール書店(Julliard, 1961)から刊行された。「すばらしい雲 les merveilleux nuages」という題名はボードレールの散文詩「異邦人 L’Étranger」の最後の一行から取られているそうで、本書の巻頭にも佐藤朔訳で掲載されている。異邦人との問答形式の詩である。

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サガンのベストセラー『悲しみよこんにちは Bonjour Tristesse』もそのタイトルはポール・エリュアールの詩「À Peine Défigurée」(詩集 『La vie immediate』Les Cahiers Libres, 1932)のなかの一行から取られている。エリュアールのこの詩集は「直接の生」と訳されたりするが、「即死 la mort immediate」のもじりであることはほぼ間違いないので、「直接の生」(あるいは「直接の生命」)が適当かどうかについては考え直す余地があろう。「À Peine Défigurée」も訳しにくい。défigurer は「顔を見にくくする、ゆがめる」という意味だから、それを打ち消す「À Peine」が付けられているということは、詩の最後の行に「beau visage」とあるのを言い換えたのかもしれない。

解説では《彼女は小説の題によく他人の詩の句を借りてくる》と書かれているが、こういうタイトルの付け方はそう珍しいことではないような気もする。だいたいが「異邦人 L’Étranger」というのはカミュの名作のタイトルにもなっているのだから(内容においても暗示的である。なお「異邦人」という訳語が適当かどうかについても考え直す余地はあるかもしれないが)。

訳者解説は本作がサガンの私生活を反映していると述べている。すると、これはフランスの私小説と言ってもいいようだ。

この物語は、アメリカ人の若い美貌の青年と結婚した二十七歳のフランスの女性の心理を描いているもので、若い女主人公は、夫の病的な嫉妬、妄執に悩まされつづけている。サガンが二度目に結婚したのは美貌のアメリカ青年なので、この小説が出版された当時、新聞などでは、『すばらしい雲』の中に描かれている西部劇の英雄のような感じの主人公アランにそっくり……などとさわいだ。

p162

そのアランは大学時代に絵を教わっていた人物にパリで再会し、何もすることがないので、ふたたび絵を描き始めるとジョゼ(女主人公)に伝える。それに対するジョゼが返した言葉がさすがフランス人(?)。

《才能あるの?》

p100

そしてまたこのアメリカ人青年が絵を描く様子がちょっと普通じゃない。

《どう? うまくいってて?》
 ジョゼはドアーをあけ、顔をのぞかせた。アランは絵を描くのにも一分のすきもないダーク・ブルーの背広を着こんでいた。彼は、ビロードのズボンにセーターというのが画家の格好だと思っているセヴランの提言にぞっとしたのである。事実、奥の空部屋には芸術的な雰囲気はあまりなかった。ただ窓から離れたところに一台の画架があり、テーブルの上にチューブが行儀よくたくさん並んでいた。幾つかの白いカンバスが棚に重ねられ、部屋の中央に、高価な服に身をつつんだ青年がぼんやり煙草をふかしながら、キルティングの布張りの椅子に坐っていた。彼が絵を待っているように見えた。それでも十五日このかた、彼は毎午後そこに閉じこもり、服に一点の汚点もつけずに、いささかの疲労も見せずに、ひどく上機嫌で部屋から出てくるのだった。

p101

というような打ち込みぶりだった。そしてローズという有閑マダムが後援者となって個展を開くまでになる。

《おめでとうございます。ムッシュー、あなたの絵には何かちがうものがありますね、ひとつひとつの……》
 見知らぬ男は仕種で空中に弧を描き、言いたいとしている言葉を探し、やっとその言葉を見つけた。
《知覚。そうです、新しい知覚です。もう一度ブラヴォーを申上げます。》
 アランはほほえんで礼をした。彼はひどく感動しているようだった。個展は大成功だった。p129

見知らぬ男は批評家だった。個展は新聞にも取り上げられる。ジョゼは友人にこんなふうに問いかける。

《ええ、この絵どう思う?》
《驚くね、ほら、あの……を彷彿させるよ》
《無理しないでいいのよ。あなたは絵が全然わからないって知ってるんだから》

p131

それなら訊くなよ、と言いたくなる。画廊でのパーティが終わり、客たちは引き上げた。絵はほとんど全部売れていた。

 現在、彼女はアランとふたりでいた。画廊は空っぽだった。ローラは車から彼らに合図をしていた。アランはジョゼの腕をとり、ひとつの画布の前に彼をひっぱっていった。
《これ見てごらん? 何の価値もないんだよ。これは絵じゃない。ひとつのつまらない妄念を色にしただけだ。ちゃんとした批評家たちは見損っていないさ、拙い絵だ》
《どうしてそんなこと言うの?》
《なぜって真実だから……僕は初めっから知ってたさ。君はどう思ってたの? 僕の芝居を本気にしてたのかい? 君はそんなにも僕を知らなかったのかなあ?》
《なぜ》
 彼女はびっくり仰天していた。
《おもしろ半分にやったのさ。それと、君を忙しくさせるためにね、モン・シェリー》

p136

この後、残った者たちはアランの後援者であるローラ夫人の自宅へ行き、二次会となるわけだが、そこでもさまざまな思惑のすれ違いが描かれる。それは省略。

最後にもう一度訳者の解説から引用しておく。

 私生活では、二度目の夫ボッブ・ウェストフと離婚したが、離婚して以来彼からかたときも離れず、息子ドニと三人仲よく暮らしている。それなら何も離婚しなくても良さそうだが、そこには彼女独特の意見があるのかもしれない。フランソワーズ・サガンは、現在パリ社交界の花形でもあり、前の夫ボッブや芸術家の友達とよく招待日[プルミエール]に顔を出している。

p163

これはもう立派な私小説である。

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