わたしは三十五人目か三十六人目の図書館員だった
リチャード・ブローティガン『愛のゆくえ』(青木日出夫訳、ハヤカワ epi 文庫、2002年8月31日)読了。正直なところ『愛のゆくえ』は新潮文庫の表紙が印象的だ。黒い地に七色のハートが浮かび上がっている(靉嘔の作品)。この表紙が好きでずっと持っていたのだが、十年ほど前の引越しのときに処分してしまった。
先日、ある古本屋の均一にハヤカワ epi 文庫版が出ていたので、買って帰って読み始めると、思わず引き込まれてしまった。文章が単純なこともあり、短い章の積み重ねでストーリーを編んで行く手法なのでサクサク読める。
主人公の勤める(給料はないので勤めていると言えるかどうか)不思議な図書館の存在が村上春樹の『街とその不確かな壁』にもつながるような気がする。
書き出しの一段である。この図書館は普通に貸し出しするような施設ではなく、さまざまな人々が種々のテーマで書き上げた自分の本を持ち込んでくる。それを主人公は帳簿に記録して、棚に並べるように指示する、それが仕事の全てである。
コーヒーやクッキーを来客に提供することもある、むろん無料で。その図書館の由来について主人公はこんなふうに語っている。
解説によれば《三十五人目か三十六人目》とはジョンソン大統領(執筆当時のアメリカ大統領)を言外にほのめかしていると。連続でなく二期(1885〜1889、1893〜1897)勤めたグロバー・クリーブランドをどう数えるか次第で数字が変わるため《三十五人目か三十六人目》という表現になっている。現在、クリーブランドは第22代及び第24代大統領と両方カウントするようなのでジョー・バイデンは第46代大統領である。訳者は《あくまでひとつの暗喩として読むべきである》と書いているが、図書館そのものがアメリカを象徴しているということも考えられないではない(冒頭に《アメリカそのものの》とあるし)。
《わたし》がジョンソンだとすると《わたしの前の図書館員》はジョン・F・ケネディということになる。3年間(2年10ヶ月)の在任であった。子供たちが怖くてうんぬんは当てはまらないだろうが。
図書館の所在地が《サン・フランシスコ、サクラメント・ストリート三一五〇》とはっきり書かれている。金門橋にも近いサクラメントストリートは古い商店街で、観光客は買い物をしながら歴史的建造物を楽しむことができるそうだ。この住所をグーグルマップで検索してみたところ、なんとそこには本物の図書館があった。《図書館は古く、サン・フランシスコ地震前の黄色いレンガ造りの家》という通りの佇まい。最近修復されて綺麗になったようである。
3150 Sacramento St
プレシディオ・ブランチ図書館 Presidio Branch Library
https://www.sfpublicworks.org/project/presidio-branch-library
この図書館にヴァイダ(Vida)という文字通りヴィーナスのように美しい女性が現れて主人公と一緒に暮らし始める。彼女が主人公の生活を大きく変えて行く……。妄想と現実がごっちゃになっているところがいかにもブローティガンらしい。
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