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「林さんの1日 ー前編ー」

どうも皆さんこんにちは。
今年も花粉症にはならないまま春を迎え、
「今日花粉多くない?」というような花粉症トークに憧れが止まらない菊地です。
 
花粉症持ちの方にとっては、
初っ端そうそうぶん殴りたくなるような一言をぶちかましてしまい
大変失礼いたしました。
 
最近時期柄、マスクをつけて出社すると「花粉症?(with心配の眼差し)」と
お声がけいただくことが多くなってきました。
上記のように花粉症=なんかかっこいいと
間違った方向に憧れの根を伸ばし続けている私は
そのたびに「そうなんです~グヘへ」(笑うな)と答えておりますが
この春私がマスクをつけている本当の理由は、
お気に入りのリップが所有者である私に無許可で旅に出てしまったからです。
(訳:無くした)
 
世の中に存在する唇の数よりも多いのでは?と思うほど、
本当に多くの種類のリップが存在しているものの
コレだ!と思える色、形、成分、味(食うてんのかい)が全てドンピシャなものには
なかなか出会えず、ようやく巡り合えたところだったので
本当にショックです…。(新しいの買えよ)
 
さて、前回は南さんにインタビューをさせていただき
「南さんの1日」を掲載しました。
前々回の大津さんから2回連続、
男性社員且つ中途社員の方が続いておりましたので、
今回は女性社員の方の記事にしようと思い
デイリースポーツ案内広告社で活躍されている
林課長にインタビューをお願いしました。
 
林課長は、名古屋にある弊社のグループ会社:デイリーインフォメーション中部営業部に新卒入社をされ、その後デイリースポーツ案内広告社に営業職として移動されました。
そして昨年の12月より、営業職を離れ
サステナビリティ推進室でSDGsソリューションの企画提案営業を担当されております。
 
これまでインタビューさせていただいた方とは少し違った経歴をお持ちのため、
こういう働き方もあるのか!!ハッッッッ!!という
皆様の気づきになればいいなと思っています。
 
それでは、どうぞ!!

ここはSOU!NAGOYA!!

最近不動産屋のテレビCMで、よく耳にするようになった
「人生で引っ越しをする平均数は3回!」を
ものの12歳にしてあっさりクリアしてしまった転勤族:菊地は
小学6年生の夏、父から衝撃的な事実を聞かされていました。
 
それは、
「菊地、小学6年生9月名古屋に転校するってよ」
です。
 
既視感がありそうでなさそうな言い回し且つ
オリンピックと同じ頻度(つまり4年に1回)しか笑わない私の父が、
言うわけがないセリフなのですが
面白おかしく言わないと逆に頭がおかしくなってしまうくらい
私にとっては衝撃的な出来事でした。
 
衝撃的なのは「転校」またはそれに伴う「転勤」「引っ越し」ではありません。
私が小学6年生の段階で、2回も転勤をしている菊地家にとって転勤とは
お正月、バレンタインデー、お雛祭り、転勤、お花見、GW、夏休み
みたいな感じでナチュラルに1年間のスケジュール内に溶け込んでいるため
今更そこでは躓きません。
 
問題は、タイミングです。
先程の文章を読み返してみてください。

「菊地、小学6年生9月名古屋に転校するってよ」
「小学6年生の9月に転校するってよ」
「小学6年生の9月に」
 
どうでもいい文章を3回も読ませてしまったことは謝りますが
小学6年生の9月は違うだろ!!どうしてだよ!!と
私の中の全細胞が、カ〇ジになりかけた瞬間でした。
 
修学旅行に、卒業式、果ては成人式の招待等
これから待っていたはずの数々のイベントを何も知らない土地で、学校で
迎えなければならないという事実を受け入れることは容易ではありませんでした。
 
しかし、私が「転校するってよ」と父から告げられた日は
引っ越しまで残り2週間というタイミングで
寂しい気持ちに浸っている時間はほとんどありませんでした。
あれよあれよと家の中のものが片付けられていき、
最後の体育、最後の授業、最後の登下校と瞬く間に全てが終わってしまいました。
 
奇遇にも夏休みという期間が1ヶ月ほどあったため、
家の中はほとんど完成された状態で新学期を迎えることが出来たのですが
授業が始まって早々でかすぎる壁にいくつもぶち当たりました。
 
一番大きい出来事は学習面です。
授業は前の小学校に比べて進行速度がおそろしく早く、
同じ教科書を使用しているにも関わらず、取り組んでいるページは20ページも先でした。
テストの内容も、中学生でも分かるのか?と思うほど難しく
記号問題はなく、全て記述式でした。
 
それ以外にも
転校して1週間で参加した修学旅行、
通常2ヶ月かけて覚えるセリフを1週間で叩き込んで出演した劇、
など今考えるとかなり過酷な生活を送っていました。
 
そして迎えた卒業式では、
「みんなで行った林間学校―!」
「みんなで頑張った組体操―!」という
卒業式でよく見る呼びかけをしながら
(私、行ってないけどな)(私、その組体操知らんけどな)と
ひねくれまくりのコメントを心の中でし、無事小学生生活が終了しました。
 
まあなんだかんだ良かったか、と思いながら受け取った卒業アルバムに自分の写真が
個人写真以外1枚もないことを知ったときにはさすがに泣くかと思いましたが^-^
 
スタートこそ激動だった名古屋での生活ですが
中学生からはまさに「青春★」を謳歌していました。
 
某有名コーヒーチェーン店の新作はばっちりチェックして
発売当日に飲みに行っていましたし、
学校帰りのプリクラ撮影、
揺らすと映えるパンケーキを食する会等も
きちんと過ぎるくらい経験しています。
 
最も影響を受けやすい時代に生活をしていた場所が名古屋だったこともあってか、
今まで住んでいた場所の中で一番
観光スポットやおすすめの食べものを人に教えることができる場所です。
大学入学を機に、名古屋からは離れてしまいましたが
社会人になった今でも年に1~2回は名古屋時代の友人に会うために、
名古屋インをしています。
インパならぬ、イン名って感じです★(別にうまいこと言えてへんよ)
 
そのため、林さんと初めて話した際
「鶴舞公園でイベントやっててんけど知ってる?知らんよな~」
と名古屋弁全開で話かけられたときは、私の中に眠っていた名古屋人の血が騒ぎ
え!私も自転車のこと「かっけ」って言うよ!?
え!東山動物園からしょっちゅう逃げ出すサル探ししたことあるよ!?
え!冷やし中華にマヨネーズかけるよ!?
と叫び出しそうになりました。
(実際は林さんと出会って2年経った今でも、1つも言えていません。インキャ。)
 
Passe(今はもうない)や、
栄の大丸(今はもうない)や、
ナディアパークのLOFT(今はもうない)などを(ないものばっかだな)
昨日一緒に行った?と思うくらいの温度感で
林さんとは話すことができ、
ぎゃーーーーー!名古屋ぎゃーーーーー!!!!となったあとに
窓から見えるスカイツリーを見て
社会人だったわと正気を取り戻すという疑似タイムスリップを行っています。

東京さ行くだ!

冒頭にも記載した通り、
林さんは初めからデイリースポーツ案内広告社で働いていたわけではなく
デイリーインフォメーション中部で7年働いた後に移動されてきました。
 
大学生のころから、社会人になったら東京で仕事をしたいという気持ちはあったものの
就職活動をしていた当初、女子サッカーチームが名古屋を拠点にしていたため
すぐに名古屋を離れることができず
東京本社の会社を受けて、いずれ名古屋から東京に移動しようと思われたそうです。
 
女子サッカーチームに所属されていたというかなり大事なポイントを、
明日の天気のようにナチュラルに記載してしまいましたが
林さんは、大学卒業後は実業団に入るという選択肢もあったほど
スポーツに力を入れた学生時代を送っていました。
そんな林さんに
「菊地ちゃんも結構長いことバレーボールやってたんやんな!?」と
声をかけられたとき、
まさか運動部の中で一番走る時間が少なそうで、
なんか痩せそうだからやっていたなどとは言えず、
つい「春高出場も惜しかったっす、うっす」、みたいな受け答えをしてしまいました。
スポーツマンシップの欠片もない人間で申し訳ございません。
 
同じ名古屋という地で、
私がバレーボールを頭に乗せて「サーカス!」などとほざいていた時間
林さんはきちんと部活に向き合って取り組んでいらっしゃり、
女子サッカー以外にも陸上(長距離)の経験もあり、
現在でも都や企業が主催をしているマラソン大会にプライベートで参加されています。
ちなみに菊地は、先日久しぶりにバレーボールをしたら5分で捻挫しました。
 
そんな林さんは、東京本社の会社という条件以外に
スポーツ関連の職業に就きたいと思い就職活動をされていました。
 
卒業論文で、スポーツチームを運営するための費用の6割は広告費だと知り
広告でスポーツチームを応援したいと考えられたのがきっかけだそうです。
現在、日本には数多くのスポーツチームが存在し
最もチーム数が多いサッカーは2020年の段階で約91万人の方が登録されています。
しかし、運営費が足りないという理由で活動休止を余儀なくされてしまう
チームが毎年多く出ております。
特に、スポンサーがなかなか集まらない地方のチームがほとんどだそうです。
 
そこで、スポンサーになる
もしくはスポンサーとなってくれる企業を探すため
林さんはスポーツ関連の会社と関りがある且つ広告会社の弊社に入社を決められました。
 
そんな林さんの1日を覗かせていただきました。
次回に続くッ★
 

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