推しが『推し、燃ゆ。』の話をしていたので読んでみた。
「共感した」という声がよく聞こえますが、私は寧ろ主人公の姉に共感してしまいました。
題名に記した通り、私にも「推し」というものはいます。しかし、主人公ほどの熱量を注いでいるわけではありません。
そもそも1人の人に特別熱中するということがあまり無いんですが、皆さんはいかがでしょうか。
例えば私の場合、好きな舞台役者さんが1人、好きな配信者が1人、好きなアニメのキャラクターが1人・・など、いわゆる「推し」がいます。ちなみに題名の「推し」は配信者さんです。
姉に共感をしたと申し上げましたが、病名がついている主人公に対する家族の対応はよろしくないですね。目に見えない障がいは理解が得られにくいと言いますが、もしかしたら自分も同じような対応をしてしまうかもしれない。
姉の主人公への諦念は、主人公と比較し続けられた結果だと思いますが、改めて気をつけようと思いました。
それはともかく、1つのことに人生をかけられるほど熱中できるというのはすごいですね。
「推しにお金をかけるためにバイトをする」という人は私の周りにもいます。
他人に迷惑をかけなければどんなモチベーションで働いていてもいいと思います。私もできれば働きたくないし、働くこと自体にモチベーションを持っている人の方が少ないのではないでしょうか。
『推し、燃ゆ。』を読んでもう1つ考えたことがあります。SNSの使い方です。
まず、物語は「推しがどうやら誰かを殴ったらしいけど詳細はよくわからない」というところから始まります。SNSが社会に定着してから、こういった不確定要素で盛り上がる人が多いですね。いや、人間が噂話が好きなのは昔からかもしれませんが、とにかく倍速でソースの無い話題が広がるようになってしまいました。
なぜ身元もよくわからない人の発言を鵜呑みにしてしまうのでしょうか。エセ科学が流行るわけです。
話を戻します。
主人公は「推しと直接繋がりたいわけではなく、遠くから見ていて、SNSを使って考察をし、ファンとの交流を楽しんでいる」タイプです。
推しに認知されたくない気持ちは私もわかります。なんで認知されたいんですかね。でも「認知されたくない」のほうがなんかストーカーくさいですね。
ファンと交流したい気持ちはよくわかりません。確かに同じ現場に行って盛り上がるというメリットはありますが、SNSで出会った身元がよくわからない人との交流だと思うとデメリットの方が多い気がします。
読む前は「直木賞じゃないの?」などと思っていましたが、世相をよく反映している芥川賞でした。
1時間で読んでしまったので浅い感想ですが、とりあえず。