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宇佐見りん『かか』を読みました
どうしようもなく憎らしい。そんな存在が身近にいるでしょうか。少し思い浮かべてみてください。ぼくは一人思い浮かんでしまいました。でも、どうしようもなく憎らしくて卑しいんだけど、それと同じくらいどうしようもなく脳裏から離れないんです。「そんなもの頭の片隅であっても残るな」、と怨念深く祈ったとしてもぼくの身体からは離れないんです。何度も何度も試したんです。離れろって。でも、一度繋がった人間、特に血の繋がった人間は完全に分離することなんて容易ではないんです。そんな痛切極まりない関係性を描き切った物語です。
文藝賞、三島由紀夫賞、野間新人とまさに今大注目の女性作家宇佐見りんさん。少し前に『推し、燃ゆ』を読んでから、すっかり彼女の世界観に取り込まれてしまいました。なんといっても、同じ99年生まれの現役大学生。作家という枠組み抜きにしても同年代の活躍は刺激になるばかりです。『かか 』はあらゆる書店で在庫切れ。先週になってようやく梅田の紀伊国屋書店で買うことに成功しました。
「かか」。独特の言い回しですよね。「おかん」でも「かあ」でもない、「かか」なんです。そんな独特で個性満載の表現が随所に登場します。「ありがとう」は「ありがとさんすん」。「おやすみなさい」は「まいみーすもーす」。似非関西弁のような九州弁のようなこの言語は「かか弁」なのです。語り手のうーちゃんもこのかか弁話者です。
かか。うーちゃんの母親です。かかは離婚を機にだんだんと精神を病み、挙げ句の果てには酒で暴れて自傷したりうーちゃんを傷つけてしまったり。そんなうーちゃんは19歳の浪人生。かかの娘です。うーちゃんはかかに悩みます。どうしようもなく悩みます。憎いんです。かかのことが。かかはうーちゃんを傷つけるし、飼い犬を勝手に捨ててしまうし。
だからって、「かか、さようなら」とはならないんです。その子宮でうーちゃんの生命を宿したかかをそうすることはできないんです。うーちゃんはだれよりもかかを愛しています。かかが自傷すれば、うーちゃんも痛い。かかの一つ一つの痛みはうーちゃんの痛みでもあるのです。そんな痛みをかかえたうーちゃんは鍵のかかったSNS空間だけが癒しの場所でした。そして、うーちゃんは熊野へ旅立ちます。
ぼくはこの本を夜の喫茶店で読んでいました。22時半。店を出ると冬の訪れを知らせるような寒い秋の夜でした。上着を持ってきていないせいで肘から下に当たる風がどうしようもなく、もの悲しい気分にさせるんです。そして、自転車で家に向かいましたが、通り過ぎる人皆のっぺらぼうに見えました。感情なんて一切持たないかのような。その瞬間、「お前は世界中だれとの対話も許さない」そんなことを告げられた気がしました。
そんな感情のなかで、ぼくはかかのようにどうしようもなく憎らしい人間を思い浮かべてみました。なんだか、そいつは私を助けてくれそうな気がしました。でも、本当に憎いんです。時として、一切の縁が切れてしまえとも思うんです。さらに最悪な時は、死ねば良いなんて思ってしまうこともありました。それでもやっぱり離れられないのはなんなのでしょうね。甘えなのでしょうか。合っているような違うような気もしますが、その答えは一つではないんだと思います。でも一つ、糸で繋がれていることは事実だと思います。
ただ、何もうまく綺麗な糸なんて存在しない。どこかでほつれそうになって、どこかで細くなって、どこかで丈夫になって、糸は繋がっているのでしょう。
なんだか飛行機雲がずっと途切れずに続いているみたいに。
そして、それは "かろうじて" 繋がっているというよりは、もっと強く強固で宿命的に。
そんなことを思いました。