なくなるものとなくならないもの
先日、成人の日を迎えた。
民法改正によって成人年齢は18歳に変更になったものの、わたしの住む地域では「はたちの集い」と名前を変えて20歳での以前と変わらない事実上の成人式を挙行することとなったようだ。
わたしは高校生時代をカナダで過ごしたことから地元の友達とは若干疎遠気味であった。数年前、私がバックアップせずに携帯の機種変をしたために卒業時に交換した同級生とのラインが消えていたため、連絡手段が無い同級生もいた。
そんななかの成人式、私自身が同級生の顔覚えているかもよく分からなかったし、同級生が私のことを思い出してくれるかも不安だった。
実際、多くの人には初見ではあまり気づいてもらえなかった。私は中学生時代は身長140cm程度のチビで、前ならえの時にはいつも腰に手を当てて先頭に立っていた。今では168cm。カナダで22:00就寝という健康的な生活をしたお陰だろう。ほかにも髪型は今はパーマだし、眼鏡も変えているし、なにもかもが当時と少しずつ異なる。おまけにマスクをつけていて個人特定の難易度は高いから、気づけないのも無理はない。
当のわたしもなかなか同級生に気づくことができない。顔に見覚えがあっても名前がでてこなかったり、身長や髪の色が全く変わっていてまるで他人のような同級生もいた。
外見だけでなく、中身もここ数年で私の知っている同級生とはまた変化したようである。
ある人は結婚して子どもを産んだ。ある人は歌舞伎町でホストをしている。ある人はフリーターをしている。ある人は実はわたしと同じ大学で勉強していると言う。同じ学び舎で過ごした同級生たちもそれぞれ違う人生を歩んでいる。
実際、わたしだって見た目だけでなく中身もいろんなことを経験して多少なり変わった。高校中退、カナダでの高校留学、社会起業、受験、政治活動。中学までも濃い日々であったが、それ以降もまたより濃い。
中学を卒業してからたった5年、されど5年。同胞の仲間たちの外見からも中身からもその月日の長さを実感した。
成人式後に行われた同窓会は私と数人の仲間が主催したものである。そのうち誰一人として立候補者はいない。彼らは「誰もいないなら学級委員がね?やってくれるよね?」という先生の悪ノリによって決まった同窓会幹事たちである。
結局、MTGという名のご飯会を十数回重ねて話し合った結果「一生に一度だし」とそこそこに高額な会費を生徒から徴収し、ビュッフェスタイルでバーカウンターつきの豪華な会場で行った。
こちらでは成人式中には喋れなかった仲間や先生方とお話しすることができた。われわれ同窓会幹事が用意した卒業式のビデオやスライドショーを種にして、昔話に花が咲く。
たとえば、生徒会の話。私は生徒会役員を務めていた。顧問の先生がえげつなくやる気を持っていたので、それに引っ張られるようにいろいろな改革を実行したことを思い出した。新たに新聞を発行したり、運動会の生徒会競技を練り直したり。
それから、卒業式の話。私たちの卒業式はいわゆる「よくある卒業式」で、代表者が別れの言葉を読み上げたり思い出の歌を合唱したりした。その直後には私や学級委員などが中心となって先生にサプライズでの花束と記念品の贈呈などをした。校長を含む先生方、生徒、地域の方々、あれだけの人数が泣く卒業式というのはなかなか無いだろうなあ、と思った記憶がある。
これらの話はやっと同窓会になって思い出したものだが、なんとなくずっと私の中にあり、それらは現在の私の源になっていると思う。
生徒会でみんなを束ねた経験はその後の社会起業や政治活動に挑戦する勇気をくれたのだろう。卒業式でのサプライズの成功は同窓会の成功の自信をもたらしたのだろう。ほかにもいまに繋がる経験を数え上げたらきりがない。
なくなるものとなくならないものがある。細かなひとつひとつの記憶はなくなっても、そこで学んだことや楽しかった感覚はずっと心に残る。
それらがやがて束となって現在を創り、その現在がその束の一部となりまた未来を創る。
同窓会が終わったあと「つぎの同窓会の幹事もよろしくね」と、多くの同級生に言われた。面倒だけどまたやってみようかな。つぎみんなに会うときにはどんな自分でいれるだろうか。
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