私たちの国の名前は
ニッポンという国家はいつからかジャパンと呼ばれるようになった。ジャパンは日本人がつけた名前ではない。しかし、多くの国民は何とも思っちゃいない。
ほとんどの同輩は知らないだろうが、あの「東洋の魔女」もJAPANではなくNIPPONのユニフォームを身につけている。この頃はまだ国際的にも「ニッポン」であった。
「ジャパン」という世界的にも特異な名称が使用されるようになったのは、明治時代に入り日本が西洋化を進め始めた時期である。その当時、外国からの観光客や商人らは、日本を「ジャパン」と呼称することが多くなった。そして太平洋戦争以降、日本が奇跡的な経済成長を果たし、大国の仲間入りをする中で「ジャパン」という名称が国際的に定着したのである。
ここで考えてみたいのは「ジャパン」という呼称が会話や文章に使用されるときに、どのようなイメージを想起させるのかということだ。
外国人が日本を呼称するときに使用する「ジャパン」は、古き良き伝統と現代技術の融合、おもてなしの精神、美しい自然などをイメージさせる。日本語では使われない呼称である以上、それは外国人から見た日本のイメージそのものであって、それが結局日本の知名度を高めている。
反対に「ニッポン」は主に日本語を話す時にしか使用しないものであって、日本語を話すのも日本人が殆どであるから、「ジャパン」よりも言語や文化、歴史により深く根ざした感触がある。それは単にイメージだけで創られたようなものでなく、奥深く趣があるものだ。ここで、外国人の「ジャパン」と私たちの「ニッポン」が持つニュアンスは異なっているということに気づく。
しかし、だからといってなんということは無い。多くの国民はきっとこんなことを気にしてはいないだろう。日本は日本語で「ニッポン」であり、英語で「ジャパン」であることに違和感を覚える人はほとんどいないであろう。
しかし、海外ではこうした呼称をめぐる問題は度々起こる。例えば、最近では「キーウかキエフか」問題がある。令和4年3月31日に外務省は「ウクライナの首都等の呼称の変更」と題して報道発表を行い、ウクライナの首都の呼称をロシア語からウクライナ語に変更してはどうかとの指摘が各方面から寄せられたとしたうえで、ウクライナの首都の呼称をロシア語による読み方に基づく「キエフ」からウクライナ語による読み方に基づく「キーウ」に変更することとした。
侵略国家の使用する言語で被侵略国家の都市名が呼称されていたことは侮辱的である。彼らのルーツを含むウクライナ語を使用したいのは当然だ。本変更はウクライナ国民の士気向上や結束力向上はもちろん、海外においてもウクライナはウクライナが主権を有する独立国家であるイメージを植え付けた。国際社会からの支援を必要としているウクライナにとって海外でのウクライナに対するイメージというのは大変重要である。
一方、私たちの国ではそもそもルーツや民族同士の結束を意識しない。日本国民の大半が大和民族だし、移民もなかなか積極的に受け入れない国家であるし、太平洋戦争以降は大規模な戦争に関与しなかったから、ルーツを意識して民族同士が結託するようなことがない。現代日本においても、ルーツなんてものは眼中になく、むしろ「ジャパン」の持つ優れたイメージを観光立国たる地位の確保のために利用している節もあるだろう。だからこんなことには歴史的に無関心なのだ。
それはそれで民族間対立もなく平和で幸せなことなのかもしれないが、いつしか私たちの「ニッポン」は国際化の波のなか自身のアイデンティティを失って国内でも国外でも「ジャパン」になることは容易に想像がつく。私たちはそれを許容するべきなのか。
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