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学問の喜び 16

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.23-24。)

江戸時代は、学問と生活的修養とが一致していて、学問することがまた生活の喜びであったと言われています。

たとえば、伊藤仁斎の場合でも、彼は塾を開いて月謝だけで暮らしを立てていたのですが、弟子はあらゆる階級に渡り、金持ちの商人などたくさんいたらしいのです。そういう人たちは、道楽という道楽はし尽くして、学問が最後の道楽になったというのです。

これは小林秀雄が言っているのですが、仁斎仁斎のところへ行けば人生が分かる。暮らしていく意味が分かる。これは酒や女より面白いと、人々がやってきて、江戸時代の教養の裾野が随分と広がったと。

これは大変面白い話だし、大切な教訓があると思います。
学問が単に知識の習得だけでなく、その人にとって命となる。生きていく力になる。これでこそ学問は尊いのです。

信仰も結局、そうでないといけないし、それだけ指導力のある器がいれば、随分と信仰する人も増えると思います。

かつて内村鑑三先生が、全盛期、日本でも有数の人物が、その門下に加わりました。日曜日毎の講義は、500とも、600ともいう会衆で満ちました。
内村師の説く聖書講義は、人々を魅了し、またその人格の影響力、感火力は驚くべきものでした。

少々行き過ぎて、弟子たちは内村信者になったり、小内村となってしまったのでしたが、それにしても、御言葉を学ぶことが、喜びであったには違いありません。

「あなたの口の掟は、私の為には、幾千の金銀貨幣にも勝るのです」

(日本聖書協会口語訳聖書 詩編119.72)

御言葉の学びが、この世の何ものにも勝る喜びとなるよう、学ぶ者も、また道を説く者も、心すべきことであります。

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。


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izaya Fuhibayashi
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