感じるということ 8
藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.12-13。)
この前、歯の治療に行きました。
甘い物を食べたせいでしょうか。歯が痛み、歯茎が腫れて、ご飯も美味しく頂けなくなったからです。
ヨーロッパでは、歯の痛い時は歯を感じる、と表現するそうです。
確かに、普段は、その存在を思わないのが、痛み出すと感じます。
歯に限らず、鼻の悪い時は鼻を、目の痛い時は目を感じます。
感じる時、その存在のありがたさを思い、感謝が新たになるのです。
感じるのは、そのありがたさを教える神の恵みかも知れません。
もし何も感じないとしたら、これ程怖ろしいことはありません。
ある方が「いやあ、女房が酷い風邪でさ。2,3日寝込んだだけで、我が家の機能はストップだよ。つくづく女房のありがたさが分かった次第さ」とおっしゃっていました。
親を亡くされた方が、「今でも何かあると、フッと相談に行きたくなって……ああ、もう親父はいないんだ、と思うと淋しくてね」と、しみじみ語っておられました。
愛する者の存在を空気のように感じない時って、ホントは幸せなんですね。
家へ帰れば「お帰りなさい」と出迎えてくれる妻や子がいて、家庭もまた楽しいのです。でも、いないのだなぁと感じる時、心が痛みます。
歯を痛くして、もう一度、当たり前のことに感謝する心が与えられました。
60歳くらいの方が、待合室で「この年まで歯が丈夫で、爪楊枝でさえ、かみ切れるほどだったのです。ところが、歯槽膿漏のせいで、さっぱりです。正直、人生観が変わりましたよ……」と嘆いておられました。
そうです。
感じる時、物の見方もまた、変わってくるのです。
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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月召天。
この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり書き溜めたもの。