話したいのに話せない普通の子
社会人になり、障がい者福祉施設で働くようになり
私はそこで初めて、緘黙症という疾患があることを知った。
緘黙症……それは、話したいのに話せない疾患である。
私が関わった利用者は、話す能力はあるし、母親とならば話せるのだが、母親がいない場所では言葉が全く出なかった。
私の担当利用者は緘黙症は緘黙症でも、場面緘黙症と呼ばれるものに分類された。
特定の人もしくは特定の条件ではないと話せない人を、場面緘黙症と呼ぶ。
おそらく、緘黙症よりも場面緘黙症の人の方が多いのではないだろうか。
何年も一緒に過ごしたのに、私は声をまるで聞いたことがなかった。
私の上司も同様だ。
施設の人は誰も、彼等の言葉を聞いたことがない。
例え母親といても、母親以外の人がいたり、母親以外の人の気配を感じると
声は全く出なかった。
私が担当した場面緘黙症の二人は、二人が二人とも同じ状態だった。
二人とも指示理解はできるし、たまたまかもしれないが、笑顔を絶やさないタイプだった。
言葉は出ない。だけど笑顔は絶やさない。
性格はとても穏やかだった。
だから人間関係は比較的良好だったが、それでも時折何かしら嫌なことがあった時、悲しそうな目をして涙ぐんでいた。
泣く時さえ声は上げなかった。
私は笑顔で人と関わりつつ、一線を引いているのだと思った。
あの笑顔は人と穏やかに過ごす為の武器であり、自分の領域に人を踏み入れさせない為の強固なバリアのようにさえ感じてしまった。
私が大学で臨床心理学を専攻し、障がい者施設で働いたように
中学時代の友人も、同じ道を辿った。
中学時代、お互いに将来は高齢者施設で働くことが夢だったのに
色々あって心理学を学びたくなり、その後障がい者施設で働くようになったのだから
私は思わず笑ってしまった。
障がい者施設と一言で言っても、施設は様々な種類があり、事業もまた色々あるのだが
配属事業まで、私と友人は同じだった。
中学時代、気が合うわけだ。
私は妙に納得した。
同じ大学に通っていた人でさえ、私と同じルートの人はいなかった。
精神科病院や児相、保育園、福祉系企業等
福祉の仕事といっても就職先は多岐に渡る。
だから就職してから、彼女と更に仲良くなった。
いつもグループで集まっていたが
二人で会うことも増えた。
私と学生時代を過ごしつつ、他施設だが同じフィールドで戦う彼女とは
色々なことが分かり合えるような気がした。
私「ねぇ、あのさぁ……私、働くようになってからずっと考えているんだけど、結局彼女は、場面緘黙症で知的障がい者だったのかなぁ?はたまた、何かの発達障がいだったのかなぁ………?」
友達「私も引っ掛かっているんだよね。結局なんだったんだろう……?」
私と友達は学生時代を振り返りつつ、かつてのクラスメートに思いを馳せた。
あれは私が中学校二年生の時だ。
クラス替えにより、私はAちゃんと同じクラスになった。
小学校が異なり、一年生の時は他クラスだった為
私は二年生になって初めて、Aちゃんと関わることになった。
ただ、Aちゃんのことは知っていた。
私の中学校は一学年100人しかいない。
そしてAちゃんは、ちょっとした有名人でもあった。
Aちゃんは、話せなかった。
おそらく、本来は話せるのだが、クラス内では一言も話さなかった。
担任の先生とは話せるようだったが、近くに私達がいると話さないので、声は聞いたことがない。
肩にはフケがあり、髪は洗っていないようだった。
鼻をほじり、給食着は洗わず
見た目は衛生面に欠けていた。
授業中も、ずっと教科書にやたらと蛍光ペンでラインを引いていた。
もしくはイラストを描いて過ごしていた。
だけど、担任の先生や教科担当の先生は何も言わなかった。
注意をしなかった。
確かに無害だ。
彼女がどう過ごそうが、成績が悪かろうが
私達が何かに巻き込まれたわけではない。
だが、もし他の生徒が髪を染めたり、授業中ふざけていたら注意対象になるのに
彼女に対して全く学校側が言わないのは
子供心に違和感はあった。
彼女に課題はたくさんあるように見えた。
Aちゃんはクラス内で浮いていた。
基本的に誰とも関わらず、ひたすらに絵を描き、教科書にラインを引き続けた。
平仮名やカタカナ、漢字は書けたようだが
文書は少し、おかしかった。
私は二学期の学級委員になり、担任に呼ばれた。
Aちゃんと仲良くするように頼まれた。
それは一学期の学級委員も行っていたことで
私は立場上そうなることは
任命された時から覚悟していた。
私は四人グループで行動していたが、他の子はグループ内にAちゃんを入れることを拒んだ。
私もその気持ちは分かるので、基本的にはグループで行動し
やむを得ない時だけ、私はグループから離れて行動した。
だから私はお弁当を持参する日はAちゃんと二人きりで食べ
何かしらで二人組になる時は、Aちゃんと二人組になった。
鼻くそがついている手に触れるのが嫌で
Aちゃんの手をティッシュで拭いてあげた。
休憩時間に私は手を念入りに洗った。
男子は私とAちゃんが過ごすことをからかったし、グループのみんなとは過ごす時間が減ったし
嫌な気持ちになることもあった。
Aちゃんに話しかけても、いまいち表情が読み取れず、頷いたり、首を振るといったことでの意思表示もなかった。
ただ、嬉しい時にニヤ~と笑った。
本人にとっては微笑んでいたのだろうが、その笑い方は申し訳ないが、不気味だった。
私はAちゃんに懐かれたらしく、四人グループで理科室に教室移動をしている時に、走って追いかけられた。
顔はニヤ~と笑っている。
ひぃぃぃ!
私は走った。
廊下を走った。
Aちゃんも走った。
全速力で走ってきた。
グループのみんなは私を生贄にし、トイレに逃げた。
薄情者め。
メロスとセリヌンティウスを見習え。
理科の授業の前に、体育の授業のような気分になってしまった。
息が上がったこの状態で、一体今から何の実験をやれというのか。
クラス内でAちゃんのことが問題になり、私達クラスメート全員は担任から注意を受けることになった。
Aちゃんはよく、男子からからかわれていたし、クラス内ではどんどん浮いていた。
「Aさんも、みんなと同じ普通の子よ。」
色々長ったらしい話だったが、私が今でも覚えているのはこのフレーズだけだ。
みんなと同じなら、じゃあなんで学校側は、あの衛生面や授業態度を放置しているのだろう。
なんでみんなと同じように、注意をしないのだろう。
なんで学級委員にこっそりと、その子と仲良くするように頼むのだろう。
普通の子なら、なんでみんなと同じことができないのだろう。
私の頭の中には「なんで」がいっぱいになった。
生徒の数だけ個性があり、様々なことに得意不得意があるのは分かるけど
Aちゃんは明らかに変だと思った。
普通じゃない、と。
大人になり、私はあの時いっそ、Aちゃんが周りと同じ行動ができない理由を話してほしかったと思った。
病気なり障がいなりなんなり、理由があれば納得できたのではないかと思った。
頭ごなしに普通を強調されても、納得はまるでできなかった。
ただ、あえて担任がクラスみんなに伝えざるを得ないことこそが、逆に特殊だとも思った。
当時から思っていた。
何かしら、ハッキリ言えない裏の事情があると言っているようなものだと思った。
家庭から要望があったのかもしれない。
家庭や学校から口止めされていたのかもしれない。
正直に打ち明けたところで、逆に更なるひどいイジメや差別に繋がると担任が自己判断をし
あえて言わなかったのかもしれない。
分かっている。
全てを話したからといって、全てを理解できるかはまた別だし、受け入れられるかも別問題だ。
むしろ、知らないからこそ保てることは
世の中にはたくさんある。
そして例え何らかの事情があるにしても、不衛生だということは変わらない。
給食当番は一週間交代制だ。
給食着は金曜日に持ち帰り、洗い、月曜日に次の当番に渡すルールだ。
だが、Aちゃんは給食着を持ち帰らないし、洗わない。
洗ったと担任に伝える。だが、実際には洗われていない。
洗われない給食着を着ることになる次の人の気持ちを、先生はどう考えているの?
学級委員はクラス代表だ。
だから、二人組ペアで人があぶれないように、率先してAちゃんと組む。
だけどAちゃんは手を洗わない。
鼻くそやフケがついている。
そういった不潔な手を握ることになる学級委員の気持ちを、先生はどう考えているの?
色々思うことはあった。
だが、言えなかった。言えるわけがない。
「普通の子よ。」と声高らかに言う担任に、何をどう伝えればいいというのだろう。
そもそも、伝えて理解してもらえるくらいなら
最初から学級委員の子に根回しなんかするわけなかった。
多分それは他の子も同じだったのだろう。
担任には、余計なことはその場で言わなかった。
同じクラスである以上
私達に逃げ場はない。
我慢して、理不尽さと戦って
なんとか折り合いをつけるしか道はない。
担任から話があった後も、男子からのからかいは続いた。
当たり前だ。
普通の子なんて説明で納得できるわけがない。
ただ、その日は口頭でからかうだけではなかった。
Aちゃんの筆箱を男子が奪い
男子複数人で投げ合っていた。
担任の話の八つ当たりかもしれない。
Aちゃんはオロオロして困っていた。
そのAちゃんの姿は
かつて自殺したクラスメートが、他の男子にイジメられていた姿と重なった。
私の頭の中では高速にフラッシュバックした。
自殺する前日に見せた魂の抜けた顔や自殺が載った記事やテレビのニュースや
その後机に置かれた花瓶の花が
一本の短編映画のように
グワッと頭の中に流れ込んできた。
「もういい加減やめなよ!Aちゃん、困ってるでしょ!!」
気がつけば自分でも驚くくらい、大きな声が出ていた。
そして男子からAちゃんの筆箱を奪い取り、Aちゃんに返した。
「学級委員さんは真面目だな。」
男子は二、三言何かしら言って去って行った。
私はそれを見てホッとした。
男子の集団に向かっていくのは、かなり勇気のいることなのだ。
「ともかちゃん、大丈夫!?」
教室はざわめいた。
私の咄嗟の行動は、周りにとっても意外だったのだ。
からかった人も、私に駆け寄った人も、みんな知らない。
小学生の時にクラスメートが自殺したのがどんなに私に影を落としていたのか、知らない。
私はAちゃんが好きなわけじゃない。
私はAちゃんを助けたわけじゃない。
私はAちゃんに自殺したクラスメートを重ねただけだ。
あの時、小学生の時
私はイジメを見て見ぬ振りをした。
男子が怖いから、何も言えずに、見殺しにした。
それが、私の中で悔いとして残った。
もうあんな思いはごめんだった。
ただそれだけだった。
私は目に涙をためながら、ガタガタ震えた。
Aちゃんのことは特に好きじゃない。
でも
もうイジメは嫌だ。
イジメを見て見ぬフリは、嫌だった。
その年、私はクラスメートの女子全員に年賀状を書いた。
当時は一枚一枚絵柄を変えて描くことがポリシーで、私は年賀状に燃えていた。
クラスのみんないい子だったので、張り切って全員に出すことにしたのだ。
多少迷ったが、Aちゃんにも出すことにした。
年賀状がみんなの家に無事元旦に届き、冬休みを満喫していた時に、一本の電話が鳴った。
Aちゃんの母親からだった。
「初めまして。Aの母です。ともかちゃん、いつもうちの娘と仲良くしてくれてありがとう。一緒にお弁当食べたり、体育の時に一緒に二人組になって体操してくれているんですよね。この前、筆箱も取り返してもらったと………娘から話は聞いています。
まさか年賀状までもらえるなんて思わなくて……ありがとうございます。あの子は上手く話せないけど、年賀状とても喜んでいます。
ありがとうございます。」
初めて話すAちゃんの母親は涙声だった。
私は違う…と言いたかった。
違う。違うんだ。
学級委員として担任に頼まれたからやっていたことだし
筆箱は自殺したクラスメートが重なったから咄嗟にやったことだし
年賀状はクラスの女子全員に送りたい気分だっただけなんだ。
感謝されたり、泣かれるほど
私はいいことなんかしてない。
私はいい子なんかじゃない。
Aちゃんを汚いって思ってる。
不潔だなって、手を触りたくないって、思ってる。
私だってからかっていた男子と何ら変わらない。
むしろ学級委員という皮を被った
ただの偽善者だ。
私が一番汚い。みっともない。
私はAちゃんの母親からの電話の後、一人うなだれていた。
三学期になり、学級委員は別の子に変わった。
そして、私がやっていた担当も、その子にそのまま代わり
今度は新学級委員の子がAちゃんと仲良くした。
Aちゃんは担任だけでなく、部活の顧問の先生にも心を開き出し、また部内で仲の良い子ができた。
私の役目は終わったと思った。
正直、かなり、ホッとした。
そして卒業式後、Aちゃんとは全く会っていない。
同窓会にも成人式にも、Aちゃんは来なかった。
私「Aちゃん、元気にしてるのかな?」
友達「中学卒業後、どうなったんだろうね?」
いくら話しても答えは出ない。
ただ、私達は考える。
もしもAちゃんの背景を知っていたなら、あの時また違うやり方でAちゃんと関われたのか。
もしも今偶然再会したなら、あの時より上手く関われるのか。
普通ってなんだろう。
担任に言われたあの時から
私は普通について考え続けている。