詩を始めたきっかけは谷川俊太郎さん
昔から本が好きだった。
家にある巨大な本棚の前で本を読んだり
平日は図書室で本を借りて読んだり
休日は図書館に行って本を読むような
そんな子どもだった。
本を読み、文章を書くことが好きだった。
そんな私が衝撃を受けたのは、小学校高学年の時だ。
国語の教科書に載っていた谷川俊太郎さんの「生きる」は
今まで読んだ詩の中で一番インパクトがあった。
短く、だがセンスのある言葉のチョイス。
それを並べることで浮かび上がる世界観。メッセージ性。
難易度が高く、理解しがたい箇所とストレートな箇所のバランスの絶妙さ。
口に出して読み上げた時の爽快感。
胸に残る語感と感情。
谷川俊太郎さんの魅力、そして詩の魅力を知った私は趣味で詩を作るようになった。
私はメモ帳に詩を書いたり、思い浮かんだフレーズや使えそうな単語をメモするようになった。
詩人になってお金を稼ぐことの難しさは想像がついたが
それでもいつか、自分の詩集を作りたいと願うようになった。
人生で初めて買った詩集は谷川俊太郎さんの本であり
今では四冊持っている。
タイトルからしてセンスが郡を抜いている。
特に「これが私の優しさです」
撃ち抜かれた。
このフレーズは生きていく中で私は何度も心の中で呟いたり、口に出すようになるほどお気に入りとなった。
小学六年生の頃、運動会の応援ソングの替え歌を任された。
スッと思いつき、あっという間にできあがった。
自分が作った替え歌をみんなが運動会で歌うのは誇らしげな気持ちだった。
中学生の頃、合唱で「春に」という曲を歌った。
その作詞は谷川俊太郎さんだった。
国語の教科書に載る詩を書くだけでなく、合唱曲の作詞まで手がけていたことに驚いた。
当時の私は、谷川俊太郎さんが多数本を出版しているレジェンドだということをまだ知らない。
高校生になるとJ-POPにハマり、CDをたくさん聴くようになった。
そして作詩だけでなく、詞にも興味を持ち、作詞も行うようになった。
「いつか私の詞に誰か曲をつけてほしい。それを誰かに歌ってほしい。」
そんな夢も描くようになった。
たまたま、私の周りには作曲ができる友達が二人いて、高校時代、そして大学時代に曲をつけてもらったりもした。
バンドマンの知り合いはいなかったため、誰かがそれを演奏したり、歌うことはなかったが。
今でこそボーカロイドが有名な時代であり、パソコンで作曲も主流だが
私が高校時代はボーカロイドはまだ発売されていなかったし、パソコンも今ほど流通はしていなかった。
私は趣味が詩(詞)だということは学生時代、周りに隠していなかったどころかネタ帳を見せたりもしていた。
高校時代の卒業文集で、私の詩を取り上げてくれた。ありがたかった。
私が大学時代、小説や漫画を書くのが趣味な姉がHPを立ち上げ
私も自身の詩や詞を載せるHPを立ち上げた。
それまでは、詩(詞)を投稿するサイトにちょこちょこあげていたのだが、そのサイトが閉鎖したり、周りの友達もHPを割と作っていたことも影響した。
当時はHPを個人で作ることが流行っていた時代だった。
数年前、大手HPサイトが次々と閉鎖したり、事業を撤退し、私のHPもその関係で残念ながら閉鎖になったが
自分のHPを立ち上げたことで、不特定多数の方に作品を見てもらえたり、反応がもらえたり、交流できたことが嬉しかった。
とはいっても
年を重ねるごとに実力や現実を思い知らされ、詩集を出すことは夢のまた夢だと分かった。
詩はマイナーな世界であり、小説の方が大衆向けだった。
詩人や作詞家として生計を立てている人はほんのわずかであり、大抵の人が作詞・作曲ができたり、自身のバンドやアーティスト活動で詞が書ける人が大半だった。
そして何より、私の詩や詞はいたって平凡で、個性やセンスはなかった。
それでも詩や詞を書きため、それを周りに伝えていたこともあり
ローカルアイドルの曲の作詞を任された。
私がアラサーの時だった。
詞はだいぶいじられ、私の作品かといったら首をかしげるような仕上がりになり
誰かと作品を作ったり、趣味以上のことを求めるとてこ入れがこんなに入るならば、趣味のままでいいと感じた体験でもあった。
そんなふうに自信を無くしていたが、30代になり、新聞社主催の詩のコンテストに応募したら、なんと3位入賞となり、詩は新聞に載り、賞金五千円をもらえた。
誰かが手直しをしたわけではない、一から全て私が作った詩が認められ、新聞に載り、お金までもらえたあの瞬間の喜びは忘れない。
ちょうど転職活動中だったからこそなおさら、あの時はより嬉しかった。
谷川俊太郎さんに憧れて片足を突っ込んだ詩や詞の世界。
作れば作るほどに、谷川俊太郎さんは天才でセンスの塊だと思い知らされる。
先日、谷川俊太郎さんが亡くなられた。
朝から悲しいお知らせに衝撃だった。
私は前々からnoteに詩や詞を書くか迷っていたが
そのお知らせに私は背中を押された。
やるなら、今だと。
谷川俊太郎さん、ご冥福をお祈りします。
私に詩の素晴らしさや言葉の美しさを教えてくれてありがとうございます。