初めてのCDと行けなかったライブ
私の両親は音楽が大好きだった。
テレビで音楽番組をやっていると、必ずそのチャンネルに合わせた。
自宅にはカラオケ機があり、親戚が集まるとカラオケ大会になった。
祖母はカラオケ教室に通ってもいて
発表会を家族で見に行ったりもした。
家にはカラオケ関係の祖母のトロフィーがズラリと並んでいた。
小さい頃から私は
歌ったり、歌を聴くのが当たり前の環境にあった。
更に、私の通っていた幼稚園は音楽教育に力を入れていた。
園児全員がマイバチを持っていたし、和太鼓を叩くことは必須だった。
フェスティバルにも毎年参加し
鼓笛隊としても演奏を披露した。
そして年長からピアノを習い始めた。
私が音楽に惹かれるのはある意味必然と言える。
太鼓の達人が発売された時からハマりにハマり
ゲームセンターでやるだけでなく
家庭用ゲーム機でも太鼓の達人のソフトや太鼓セットを購入してやっていた。
それは間違いなく、幼稚園時代に太鼓に慣れ親しんだから強烈に惹かれたのだ。
やがて太鼓の達人目当てでゲームセンターに行ったら
Project DIVAという初音ミクの音ゲーに出会ってハマリ
そこから派生して初音ミクにハマり
家庭用ゲーム機でもProject DIVAがやりたくてPSPを買った。
初音ミクのCDを買い、マジカルミライというボカロライブにも行くまでにハマった。
そして今はシンクロニカという音ゲーにもハマり出した。
太鼓の達人やProject DIVAと同じように
ボカロを含めた楽曲を楽しめるのが良い。
ボカロは音ゲー向きなのだ。
こんな風に
私の音楽人生は点と点が繋がっている。
幼少期から今に至るまで音が途切れることはない。
私が一番最初に「この曲、とてもいいな!」と思ったのは
光GENJIの「パラダイス銀河」だった。
諸星くんの名前を覚えて、キャーキャーしていた。
ローラースケートでステージ場を駆け抜けて
歌って踊る光GENJIはかっこ良かったし
一番人気の諸星くんは光って見えた。
次に気になったのは、米米CLUBの「浪漫飛行」だった。
口ずさみやすいメロディーや声が好きだった。
今でもこの曲は大好きでよく口ずさむ。
光GENJIや米米CLUBの他の曲も好きだったが
まだ幼かった私は大ファンまではいかなかった。
いわば、楽曲派だった。
テレビから流れるヒットチャートや
祖父母や両親、親戚が歌う歌を聴き
世の中には色んな曲があることを知った。
音楽の授業も好きだったし
よく家で歌う子どもに私はなっていった。
革命が起きたのは、小学校五年生だ。
担任の先生のはからいで、「朝の歌」の時間が作られた。
月~土曜日まで曜日ごとに曲目を変えて
授業の前にJ-POPを歌った。
学期はじめにみんなで曲を挙げ、多数決で曲は決められた。
曲は学期ごとに変えられた。
五、六年生と担任が同じだったので
二年間朝の歌の時間があった。
CDは生徒が持参し、先生が歌詞カードをPC打ちして、みんなに配った。
曲を聴きながらみんなで歌った。
だけど、朝の歌は音楽の授業ではないから、いちいち指導は入らない。
小さな声で歌っても、聞き惚れても文句は言われない。
朝の歌の時間は自由だった。
歌詞カードをマジマジと見るというのが
この時が人生初体験だった。
今でこそアルバムもシングルも同じサイズだったが
当時、シングルCDは8cmと今よりサイズは小さく
歌詞も小さな字でこちゃこちゃと書かれていた。
例えばMステ等音楽番組で歌詞はテロップで表示されるが
音楽番組では一番だけしか歌わなかったり
歌詞が流れてしまう。
先生が紙に打ち出した歌詞は
1枚の紙だから、しっかりと歌詞を見られた。
歌詞は一つの物語で
一番から最後まで歌詞を見て理解し
歌ったり、歌を聴くと
今までにない音楽の深みを感じた。
それまでもドラマ主題歌だったり、音楽番組で感銘を受けることはそれなりにあったが
「朝の歌」をきっかけに、私はJ-POPに激しくハマッていく。
小学校五年生の時というのがまた絶妙だったのだろう。
思春期に入る、多感な時期の入口にあたるのだから。
私よりいち早くJ-POPにハマッていた同級生達は
既に自分のシングルCDを持っていた。
私も自分のシングルCDを欲しくなった。
だが、迷った。
記念すべき初CDである。
初めて買った漫画ものちのち残るように
何にせよ、初めてのCDというのは重い。
これから先もずっと語り継がれるのだ。
生半可な気持ちで選んではいけないと思った。
松任谷由実さん…ミスチル……trfと
何曲か強く惹かれる曲に出会った。
だが、まだだと思った。
最後の一押しが足りない。
小学生に1枚1000円のシングルは高価である。
まして、初めてのCDは、重い。
クラスメートが次々に初めてのCDを手に入れている中
私はジッと待った。
運命の1枚との出会いを待った。
そんな中、私はあるドラマと出会って、大ハマリをした。
Age,35 恋しくて
である。
22時からのドラマであり、W不倫の内容だ。
まず、OPが素晴らしかった。
今ではあり得ないが、OPには主演俳優だけでなく、シャ乱Qも出演していた。
このOPの画が秀逸なのである。
主演の中井貴一さんの演技が素晴らしかったし
内容もジェットコースターのようでハラハラドキドキし
私は目が離せなかった。
ただ、なんせ22時からなので眠気には勝てず
録画をしたり
内容を親に聞いたりし
このドラマにハマりつつも、リアルタイムでフルで見たわけではなかった。
(のちに再放送で全て見て、原作漫画も買って読んだが。)
このドラマを盛り上げたのが、挿入歌である。
シャ乱Qは主題歌「いいわけ」担当だけでなく
挿入歌「こんなにあなたを愛しているのに」も手掛けていた。
この挿入歌がね
泣ける。
OPとはまた違う曲調で度肝を抜かした。
朝の歌で「シングルベッド」や「MyBabe 君が眠るまで」を歌っていたので
シャ乱Qは普通に知っていたし、曲も好きだった。
だが、「いいわけ」と「こんなにあなたを愛しているのに」をきっかけに
私は急速にシャ乱Qにハマったのである。
私はお小遣いを握りしめ、近所のCDショップまで自転車を漕いだ。
ドラマ主題歌と挿入歌が入ったシングルは分かりやすい場所に売られていた。
このドラマは大ヒットしたし、シャ乱Qも売れまくっていた時代だ。
ちょうど父親から、「そろそろともかもラジカセがほしいだろう。」と黒のラジカセを買ってもらっていた。
借りたCDを聴いたり、借りたCDの録音をしたり、録音したカセットを聴いたりしていたが
ついに、初めてのCDを手に入れたと思うと
ワクワクドキドキが止まらなかった。
家に帰ったら手も洗わずにラジカセの前まで行き
自転車を漕いできたから息が上がったまま
シャ乱QのCDをセットした。
ジャジャンジャンジャジャン♪
あぁ………ドラマのOPだ。
前奏を聴いただけで興奮はピークだ。
私は背中を丸めて座り、歌詞カードを凝視しながらいつまでもそのCDを聴いた。
飽きなかった。
聴けば聴くほどつんくさんの歌は素晴らしかったし
シャ乱Qの曲は見事だった。
初めてのCDデビューを果たした私は
前々から気になっていた、ミスチルやSPEEDのシングルもやがて買うようになったが
シャ乱Qは特にお気に入りのアーティストとなった。
ちょうどその頃、母親がシャ乱Qベストアルバムを買い、常に車でかけていた。
もともと母親がシャ乱Qを好きだったのである。
シャ乱Qにハマった私はアルバムをカセットに録音し
家でも母親の車でもひたすらシャ乱Qを聴いていた。
母親がシャ乱Qのミュージックビデオも買っていたので
休日はそれを見たりもした。
気づけば私はシャ乱Qベストの曲全てを歌えるようになり、歌詞も暗記していた。
「いいわけ」以降発売されたシングルはその後も全て購入し
シャ乱Qは裏切らない!シングルもカップリングも最高だ!!
と私は騒いでいた。
シャ乱Qは派手派手な衣装で色物扱いされ
また歌詞が大人の恋愛を色っぽく描いており
小学生からしたらあまり理解できない世界だった。
だから私がシャ乱Qにハマった頃
周りの友達やクラスメートからは理解されずに心ないことも言われたが
それでも私はシャ乱Qが好きだった。
そんな娘を見た母親は、シャ乱Qのライブチケットを手に入れた。
当時、シャ乱Qのライブチケットはプレミアものでなかなかとれない。
「一緒に行こう!」
と母親は誘ってくれた。
むしろ私を喜ばせるために、頑張ってチケットを大金で買ったようだ。
だが、私は怖かった。
ライブは私含め周りの友達も誰も行ったことがない。
夜の街、狭い箱、真っ暗な中、大音量の音楽。
私は怖くなった。
私「ライブは怖そうだから行けない。もっと大きくなってからにする。」
母「なかなかチケットとれないのよ!?シャ乱Q生で見れたら最高よ!お母さんだって一緒なんだからいいじゃない!!」
私「でも怖い………。」
母親はしばらく説得していたが、私は頑なだった。
初めてのことに好奇心旺盛というよりは、ビビッてしまうのが私だった。
ライブから帰ってきた母親はハイテンションで、「生歌生演奏すごかったよ!次は一緒に行こう。」と言ってくれた。
私ももう少し大きくなったら、母親とライブデビューしようと思っていた。
シャ乱Qは大好きだった。
ただ、ライブハウスが怖かっただけだったのだ。
それから一年も絶たない内に、衝撃的なニュースが私の目に飛び込んだ。
シャ乱Qのメンバー、しゅう逮捕
である。
私は愕然とした。
何やってるんだよと思った。
私にとってシャ乱Qはスターで、次のツアーこそライブ行こうって、ずっとずっと楽しみにしていたのに
何やってるんだよ、しゅう…………。
バンド第一線で曲をバンバン売りながらも
やがてつんくさんはつんく♂と名乗るようになり
ASAYANという番組でプロデューサー業を始めた。
しゅうが逮捕されてから、シャ乱Qの活動は休止に近く、シャ乱Qメンバーはバラバラになり
ソロ活動に力を入れていく。
つんく♂がプロデュースしたモーニング娘。は大ヒットし
やがてシャ乱Qのつんくより、プロデューサーつんく♂が有名になっていった。
モーニング娘。の曲も歌詞も、なるほどつんくさんらしくて
つんくさんが宿っていると思った。
私はモーニング娘。をアイドルとして見るというよりは
つんくさんの夢の続きのように感じた。
しゅうが脱退した後もシャ乱Qは多少活動していたし
新曲を出したり、復活ライブもやっていた。
だけど私はライブに行く気が起きなかった。
つんくさん、しゅう、はたけ、まこと、たいせー
この五人のライブが見たかった。
私が今の人生で唯一悔いが残ることは
あの日、母親とライブに行かなかったことだ。
ライブに次があるかは分からない。
ライブは行けるうちに行く。
私は強くそう思っている。
私がやがて大人になり、ライブをガンガン行くようになったのは
このシャ乱Qの件がきっかけとなった。
高校生になった私は音楽に更にのめり込み
それまでよりもたくさんのアーティストの曲を聴くようになった。
友達とCDの貸し借りをし、カラオケに行きまくり
音楽番組を夢中になって見た。
90年代、そして2000年代は音楽業界が活気ついていて
本当にたくさんの名曲が生まれた。
高校生の頃、私はついにライブデビューを果たした。
忘れもしない、私の誕生日の日に、ライブデビューを果たした。
シャ乱Qではない、アーティストだった。
…シャ乱Qのあの日行けなかったライブが
脳裏をかすめた。
23歳で初めて大阪に行った時
シャ乱Qを思い浮かべた。
シャ乱Qは大阪出身である。
私の大好きな曲の一つに「大阪エレジー」という曲があり
歌の主人公は御堂筋を歩くのである。
私も本物の御堂筋を口ずさみながら歩いた時、幸せを噛みしめた。
やがて社会人になり、給料をもらえる立場になった。
財布の中が潤っていた私は
ある日ブックオフに行き、CDエリアを見ていた。
あ………
棚には、シャ乱Qの過去アルバム全てが売りに出されていた。
料金は良心的であった。
それがありがたくもあり、好きなアーティストのアルバムやCDを中古で見掛けるのは複雑でもあった。
私は持っていないアルバム全てをかごに入れた。
家に帰ってすぐに、そのアルバムを聴いた。
…私はポタポタと涙を流した。
シャ乱Qは売れるまで時間がかかって、解散を考えていた。
「上・京・物・語」「シングルベッド」が売れなかったら解散していたかもしれない。
だけど、こうして全アルバムを通して聴くと
売れる前からシャ乱Qは光っていた。
荒削りだけどがむしゃらで
いい曲はたくさん歌われていた。
五人で夢に向かって走っていた思いが
アルバムから伝わった。
こんなに昔からいい曲揃いなのに…
ようやく売れて、ドラマやCMタイアップも当たり前になって、シャ乱Qって名前をみんなに覚えてもらったのに………
初CDがシャ乱Qであるように、初ライブはシャ乱Qでありたかったのに…………
世の中には素晴らしいアーティストがたくさんいて
いい曲がたくさんある。
だけど、私にとってシャ乱Qはどこまでも特別なんだと再認識した。
昔のアルバムジャケットにはメンバー五人が揃っている。
若くてあどけなくて
まだ売れなくて
きっと焦りや悩みもあったろうあの頃。
そのアルバムが発売から何年も経ってから私の胸に響く。
今とか昔とか関係なく
いいものは歌い継がれ聞き継がれ
こうして胸に響く。
私は泣いた。
泣いて泣いて泣いた。
シャ乱Qのライブに行きたかった。
プロデューサーのつんく♂さんもいいけど
五人のシャ乱Qの駆け抜ける様を
もっともっと見たかった…。
それから更に時は流れ、つんく♂さんは癌になり
声を失った。
私はそのニュースに言葉を失った。
あのつんく♂さんから歌を声を奪うなんて。
神様はなんと、皮肉だろう。
つんく♂さんは音楽を諦めず、声を取り戻すことを諦めず
手術の後も音楽業界で活躍している。
やっぱりつんく♂さんはすごいなぁと私は改めて尊敬した。
昨日、前に働いていた施設の利用者から手紙が届いた。
その利用者の人もシャ乱Qメンバーの名前をペットにつけるほど、シャ乱Qが大好きで
シャ乱Qをきっかけにより仲良くなった。
レクリエーションで一緒にシャ乱Qをよく歌った。
手紙を読んでふとそんなことを思い出す。
カラオケで様々な曲を歌うが
シャ乱Qの曲はキーが合い、歌いやすいので私の十八番である。
他に好きなアーティストはたくさんいても
一番歌いやすいのはシャ乱Qであり
一番高得点がとれるのもまた、シャ乱Qである。
聴いて良し、歌って良しがシャ乱Qだ。
歌詞もメロディーも本当に素晴らしい。
小学生の頃に出会ったシャ乱Qは
今でも大切な存在だ。
きっとこれからも大切な存在だろう。