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久々の燈篭祭り(栃木県下野市/しもつけ燈桜会)

あれは令和元年だった。

新しい時代、令和が始まり
期待に胸躍らせていたあの頃
天平の丘公園でしもつけ燈桜会(燈篭祭り)を初開催すると告知が出て
私は母親と出かけた。

 
燈篭に灯された公園はいつもと雰囲気が変わり
幻想的で美しかった。
燈篭で大きく描かれた「令和」の文字はまさに希望で期待だった。



あの時私は
まさか今年度いっぱいで大好きな仕事を退職せざるを得ないと思っていなかったし
ましてこの数ヶ月後にコロナ禍に入るなんて考えもしなかった。

 
退職をまだ知らなかったあの頃の写真を見ると
あと数ヶ月後に退職を逃れられない私の写真を見ると
未だにギュッと胸が掴まれる気分になる。

もう決してあの頃の私には戻れない。

 
第一回目の燈篭祭りは大成功をおさめたが
その後はコロナ禍ということもあり
私は行く気が起きなかった。
母からも行こうとは誘われなかった。

そもそもが私は転職活動中で未婚でもある30代で
令和の幕開けと共に感じた希望はかすれていたとも言える。

 
そのまま数年の時が流れた。

 
2023年5月になり、コロナが第5類に移行した。   

 
その公園では毎年春に桜祭りをやっていて
毎年のように家族で花見をしていたが
コロナ禍になり、桜祭りはずっと中止しており
天平の丘公園に行く回数は減っていった。

そんな中、2023年についに桜祭りを再開することになり
私は行くことを楽しみに楽しみにしていた。

 
だが 
なんと桜が開花する寸前に足を骨折してしまい
今年も行けなくなった。
残念で仕方ない。

桜が散った後、私の足は治った。

 
骨折が治り、日常生活がだいぶ戻ってきた頃
今度は燈篭祭りのポスターを色々な場所で見かけるようになった。

 
今年は久々に行ってみようかな。

そう思ったのは
花見に行けなかったのもあったと思う。

 
母親と父親も行きたいとのことで親子三人で行くことになった。
 
しかも母親からペアルックで行こうと提案され
ペアルックで行くことになった。仲良しか。

 
早めに出発したが、途中で渋滞が始まっていた。
目的地は多分みんな同じだろう。
裏道で抜けたら混んでいなかったのでよかった。

まだ外は明るく、人の集まりはまだマシな方だった。
歩きながら飾られた燈篭を眺めた。

 
以前来た時とはレイアウトが変わり、また違った雰囲気だった。

 
少し早く来すぎてまだ雰囲気が出なかったため
周りが暗くなるのを待った。

 
人がどんどん集まってきた。
家族連れが多いが、カップル、友達同士、お一人様(男女どちらも)の姿もあった。
女の子はかわいらしい浴衣や甚平を着たり、浴衣ドレスを着たりもしている。

夏を感じた。
この日はちょうど、梅雨明けの日だった。

 
やがて周りが暗くなり、みんなのテンションが徐々に上がっていった。
ステージからは三味線の和の生演奏が流れている。ラジオの中継も入っていた。

 
家族と三人並んで歩き、写真を撮った。
夜が深まるごとに燈篭は美しさを増した。

 
飲食店は長蛇の列で
とてもじゃないが買えなかった。

 
帰り道、ラーメン屋に寄って帰った。
周りを見れば、燈篭祭りの後に寄ったと思われる人がちらほらいた。

 
令和元年のあの頃の私が知らなかった世界を
今の私は知っている。

 
11年働いた職場を退職して、転職活動を1年もして今の職場に巡り合えて
新しい職場で3年目に突入した。

 
退職した頃、コロナで世間は大騒ぎだし
今年はバセドウ病と診断されるし、骨折したしで
色々あった。

 
令和の時代は想像以上に波瀾万丈だ。

 
でも今年
こうして家族とまた燈篭祭りに来られたことは間違いなく素晴らしいことだ。
幸せなことだ。

 
あの頃の私へ。
大丈夫、あれから色々あったけど、今心から笑えている。







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