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元自衛隊の古典の先生に初めて怒られた日

私が高校二年生の頃の話だ。

高校二年生になった際、クラスは文系と理系に別れた。
私は文系だった。
今までは同じ学年の人は同じように学んできたが
これからは科目のバランスが異なる。

私の高校は先生が300人いて
元々同じ科目でも隣のクラスと違う先生というのはよくあることだった。
時間割が配られ、それによると古典・漢文をA先生が担当するとなっていた。
教室内は一部ザワついた。

「うわっ軍曹じゃん……。」

私は友達の発する「軍曹」が「グンソー」に聞こえ、意味がよく分からなかった。

 
私「グンソーってなに?」

 
友達「軍曹だよ。A先生、元自衛隊でめちゃくちゃ授業厳しいで有名なんだよ。代々あだ名は引き継がれて、生徒は軍曹って呼んでいるの。」

 
ほほう。
授業開始前からそれは気になる話だ。
一学年1000人、教員数300人の中で
代々軍曹と呼ばれる有名な先生とは興味深い。
元自衛隊という経歴も面白い。

 
怯えたり、ため息をついたり、嫌がる生徒とは別に、私は一人初授業を楽しみにしていた。

 
 
待ちに待った軍曹初授業の日だ。
軍曹は時間ピッタリに教室に入ってきた。
背筋がピンと伸びてスタイルがよく、白っぽいスーツを着ていた気がする。
足が長くて美しい。
私はあまりの足の美しさに見とれた。

軍曹は年齢が50代だろうか。
想像以上に年上の先生で驚いた。
顔立ちは整っているが目力がやけに鋭く、なるほど、隙が全くない。
背後に立ったら投げられそうだ。

 
教室には緊張が走る。
起立礼着席を済ませ、簡単な自己紹介が行われた。

先生はスラスラと自分の名前を黒板に書く。
字が美しかった。

 
軍曹は、自衛隊時代の話を軽くした後、「自衛隊の退職後の就職率は200パーセント。重宝されます。私がこの学校に来た時はレッドカーペットの上を歩きました。」と話した。

私はこの時、自衛隊の定年退職が55歳であることさえ知らない状態だったのだが
自衛隊は転職に有利ということはよく伝わった。
私は自衛隊になりたいと思ったことはないし
自衛隊になるルートで教員免許をいつとれるのかとか
何故自衛隊後に高校教師の道を選んだかとか
色々疑問は浮かんだが
気軽に聞ける雰囲気は全くなかった。

 
 
軍曹はいつも、授業開始ピッタリにやってきて、ピッタリに終了させた。

授業スピードはとにかく速い。
予習をしても予習をしても、すぐにストックがなくなる。

黒板にカッカッカッカッとチョークの音が走る。
軍曹の授業は分かりやすく、また板書のまとめも上手で、授業中集中することができた。
むしろ集中しないと、容赦なくやられる。

 
軍曹の授業は、生徒にガンガン質問をする。
その日の日付と同じ数の出席番号の人から指される。そして、次からはその番号 + 10ずつ指される。
例えば2月8日なら、出席番号8番→18番→28番→38番………と指されていき、次は日にち + 1番の人から指される。
すなわち、9番→19番→29番→39番……といった形だ。

 
私の高校は進学校である。
宿題はもちろん、予習はしてあるものとして授業はハイスピードで進む。
特に軍曹は容赦はない。
質問に答えられなかった生徒は、次の質問に答えられるまで立たされる。
立ちながら授業なのである。

例えば、8番の人が答えられなかったら、その場にそのまま立つ。
8番の人は飛ばされ、18番の人が答えた後、別の質問に切り替わった際、8番に再び回答権がうつる。
答えられたら、着席。

悲惨な時は3人でも5人でも立たされる。

 
「予習をしてないのですか!」

「来年大学受験という意識が薄いですよ!」

「あなた達は文系なんです。古典と漢文で確実に点数をとれるように、今から意識をしなさい!」

 
軍曹は予習をしない人に容赦はない。
本当に分からない人と予習をしていない人を瞬時に見抜いたのだ。
本当に分からない人には助け船も出していた。

だから私達は予習を念入りにした。
特に、当たりそうな人は尚更だ。

 
 
私は軍曹が好きだった。
軍曹の授業が大好きだった。
厳しいだけで、冷たくないのだ。
真面目に予習復習をした生徒や授業中に素晴らしい解答した生徒を褒めるし
ノートが美しい生徒の場合、ノート一部をコピーして配った。
手本にするようにと言った。

軍曹は生徒の為を思って、優しさを厳しさに変える方なのだ。

 
仕事ができる勝ち気な美人を私は前々から好きだった。
集中できて興味深い授業は最高だ。
課題も多いほど私は燃えるタイプなので
軍曹が担当になってから、古典や漢文の成績は上がった。

軍曹は品があって歩き方や板書や仕草がかっこよく、また美しくもあった。
授業も丁寧で分かりやすいし、板書をそのままノートにまとめるだけで、復習や振り返りに役立った。

 
 
つまらない授業では、私は内職をよくしていた。 

他の科目の予習や宿題、受験勉強といった真面目なものだけでなく
絵や詩を書いたりもしていたし
場合によっては眠気に負けて居眠りをした。

  
だが、軍曹の授業は楽しく隙はなく
内職をする暇も居眠りをする余裕もなかった。
高校三年間の授業で私が一番好きな授業は
間違いなく、軍曹の担当する古典と漢文だった。

 
 
だが、私はたった一回だけ、軍曹の授業で内職をしたことがある。

 
 
私の高校では、漢字検定が受けられた。

中学校時代に英語検定、数学検定が受けられたし
どちらも3級を取得したが
私は高校に入って初めて、漢字検定の存在を知った。
国語が好きで資格取得も好きな私は
漢字検定に申し込み、準2級を取得した。

だが、2級には落ちた。
2級になるとグッと難易度が上がり、合格率が下がった。

 
あれは高校三年生のある日のことだ。

高校時代に受けられる、最後の漢字検定の日が来た。
今日受からなかったら、私は準2級の女になる。
やはり準より2級がいい。

そう意気込むが、相変わらず問題集を解いても解いても奥が深く
なかなかに手応えは感じなかった。
私は焦った。

 
漢字検定はその日の放課後にあり、焦った私は授業中に内職をしていた。
漢字検定の勉強をしていたのだ。
他の科目は予習済みだったので、板書はノートに写し、チャッチャと問題を解き
残り時間に漢字検定の勉強を真面目にした。
授業態度は不真面目で、漢字検定には真面目だった。

まぁ、トータルで言えば不真面目である。

 
 
今まで一度たりとも古典の時間に内職をしたことがなかったのに
古典の授業の後に漢字検定が待っていることもあり
私は最後の追い込みをしたかった。

内職をした。

 
他の授業と同じように予習はしてあったし、板書は写したし、問いの解答を出した残り時間に内職をした。
だが、軍曹はそう甘くない。
クラスの人数が45名だろうと、軍曹は常に目を光らせていた。

「真咲さん、今は古典の時間ですよ!」

さすがは軍曹だ。
私はビクッと体を震わせた。
背中にも目があるのだろうか。
今は板書をしていたはずなのに、黒板から目を放さずに私に言い放った。
心臓がドキッとした。

 
私はひるんだ。ひるんだが、今日は漢字検定ラストチャンスなのだ。
私も負けてはいられない。
私は変に図太く、図々しかった。

 
授業中、軍曹は他の生徒が問題に答えられなかったことでビシビシ注意しだした。

チャンス到来。

今のうちに再び漢字検定の勉強をしてしまおう……としていた私に
軍曹は更に声を上げる。

「真咲ともかさん!二回目ですよ!!授業に関係ないことを授業中にするんじゃないっ!!!」

先ほどより声が大きく、教室は静まりかえり、私をみんなが一斉に見た。
先ほどより私は体がビクッとした。
頭の上から冷水を浴びせられた気分だ。

 
何故だ。
軍曹は今注意している生徒に意識が向いていたはずだ。
何故一番後ろ奥席の私にまで神経を行き渡らせているのだ。
さすが軍曹。さすが軍曹としか言いようがない。

 
 
私は観念した。
軍曹に二回注意された以上お手上げだ。
いや、そもそも一回目の注意でやめなかった私はバカだ。

授業後、友達が駆け寄った。

 
友達「も~ともか、何やってるのよ~。軍曹の時間に内職はダメだって。」

 
私「いやぁさすが軍曹だよね。軍曹が他のことしている時間を狙ったのに、目線を合わせず端的にピシッと私を注意した。いやぁ怖かったし、改めてすごいと思った。」

 
友達「私は一回注意されてまだ内職やめないともかがすごいと思ったよ。」

 
友達は呆れていた。
それほどに、軍曹に歯向かうことは愚かでしかないのだ。

 
 
古典の授業が終わり、私は漢字検定を受ける友達と共に指定された教室に向かった。
漢字検定を受ける生徒はたくさんいるので、検定会場は何教室にも分かれていた。 

 
検定会場の教室の入口付近には、見覚えのありすぎる先生の後ろ姿があった。
その先生は私達の足音に気づいて、クルッと振り返った。

先ほど授業を終えたばかりの、軍曹であった。
軍曹は優しく微笑んだ。

 
「真咲ともかさん、私、ここの試験会場の担当なの。よく勉強していたようだから、さぞかしいい点数がとれるんでしょうね。期待してるわよ。」

 
背筋がゾクッとして、血の気が引くとはまさにこのことだ。
今まで散々軍曹の厳しさは見てきたし
先ほど初めて授業中に名指しでビシッと注意されたというのに
この微笑みや言葉は何よりも恐ろしかった。

 
検定の前から試験は始まっていた。

 
それをこれほどまでに痛感したことはない。

 
 
 
結局、私は検定に落ちた。
当然の結果である。

真面目に授業を受けて、真面目に授業外に漢字検定の勉強をしていた友達は見事に受かり、2級になった。

 
私は落ちたが、これでよかったし、これが正しいと思った。

努力が全て報われる世の中ではないのは知っているが
私がこれで2級になり、友達が落ちるのは違う気がした。

不思議と悔しさはなかった。
軍曹は、私のやり方を窘めてくれたのだ。

 
そういうやり方や勉強に対する姿勢は良くない、と。

 
 
 
その後、私は軍曹の授業で内職をしなかった。
真面目に受けた。

漢字検定以降、私と軍曹の関係は特に変わらず
私は怒られることもなく
やがて高校生活最後の授業が終わった。

 
 
 
 
  
高校を卒業して数年後、私は福祉職として働き出した。
時の流れは年々早く感じるようになり
気がつけば私は社会人生活も10年目に突入した。

何気ない会話から、新人職員が私と同じ高校出身だと分かり
一緒に校歌を歌ったりしてふざけていた。

 
新人職員「担任はA先生でした。」

 
私「軍曹!?」

 
新人職員「軍曹ってなんですか、それ(笑)」

 
私「A先生って元自衛隊の人で、美脚で、古典漢文の先生じゃない?」

 
新人職員「そうです、そうです。」

 
私「私達の時代は、みんな、軍曹って呼んでいたのよ。」

 
新人職員「そうだったんですね(笑)俺らの時代は誰も呼んでないです。A先生、いい先生で好きでした。」

 
私「私も好きだった。授業分かりやすかったし、先生としても人間としても女性としても好きだった。

一回、すごい怒られたけどね(笑)」

 
新人職員「ともかさん、何やったんすか?(笑)」

 
 
利用者が帰った後、残業をしながら、私は彼に高校時代の話をした。
まさか社会人になり、福祉施設であのエピソードを話すことになるとは思わなかった。

 
人生は色々なところで縁があり、繋がる。

 
 
 


 











 


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