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障害福祉業界に夢を見た退職者の二人

私は今年の春に約12年間お世話になった施設を退職した。

 
今年の2月29日に最後の勤務を終え
3月いっぱいは有休消化をし、3月31日付けで退職することをFacebookで書いた。

 
その僅か数時間後に

大学の友達AもFacebookを久々に更新した。
それによると、まさかの友達も、私と同じく2月末で勤務を終え、3月いっぱいは有休消化だという。

  
 
私は非常に驚いたし
AはAで非常に驚いていた。

「久しぶりに会わない?色々話したいな。」

私は友達にすぐにLINEをした。

 
 
    
 
有休消化中の私が真っ先にしたいことは、他施設見学だった。

私は仕事人間で、在職中もプライベートで他施設のイベントに行ったり、他施設が販売している自社製品を見たり、買ったりしていた。
どこかに遊びに行けばバリアフリーかどうか、トイレの数はいくつか、駐車場は広いか等
私は利用者を連れてこられるかをいつもチェックしていた。

 
3月の頭に、就労継続B型、放課後デイを見学に行った。
利用者の人数、職員配置、動線確保されているか、覇気はどうか等
私は様々な場所を独自にチェックしていた。
ありがたいことに、どちらでもスカウトされた挙げ句、お偉いさんからは、新規オープン施設で管理者として雇いたいと言われた。
ありがたいお話だったが、条件が合わずに私は内定を辞退した。

 
 
 
その後、蜂巣小カフェにもお客として行った。

 
蜂巣小カフェは廃校をリノベーションし、プロに監修してもらった料理や国内にあまりないエスプレッソマシンが強みの福祉事業で
福祉職員と利用者でカフェを経営している。

県内だけでなく、県外でも有名で
同僚の栄養士さんが研修で行き、大絶賛していたことから
私もいつか行きたかったのである。

 
蜂巣小カフェは不便な場所で
車の長距離運転が必須であることや日曜日にやっていないことがネックだったが
駅そばに支店があると知り、私はそちらに行った。
hikari  no  cafeである。

 
キレイに清掃が行き届いた空間であり、インテリアがお洒落だった。
職員と利用者の比率は絶妙で、利用者が注文を聞きに来て、料理を運んだ。解説も利用者だった。
職員は無駄口はなかった。

地産地消をうたったカフェのメニューは
非常に見た目が鮮やかでお洒落で、しかも美味しかった。
ベーグルを売りにしていた。
値段もほどよい。

 
喫茶メニューだけでなく、焼き菓子やコーヒー豆等お土産も充実しており、テイクアウトのジェラートもレベルが高かった。

 
さすが噂のカフェだと思った。

 
ランチメニューを少なくする代わりに、デザートや飲み物の種類を豊富にしており
利用者の作業や流れをしやすくしつつも
お客には選択の幅を与えている。

 
看板には「本日のオススメ」を書いたり
スタンプカードを用意したりと
本当に本格的なカフェであった。

 
 
私も今までいくつかの福祉施設のお店に行ったが
様々な観点から★★★★★の喫茶店であり
リピーターになりたい喫茶店であった。



 
 
  
Aも負けてはいなかった。
考えることは一緒で、Aも私と同じように、これを機に他施設見学をバンバンこなしていた。

Aは障がい児童に関わる仕事を6年していた。

 
もともとAも、在職中から他施設見学に貪欲だったり、プライベートで他施設に行ったり、ボランティア活動をしたり、講演会をやったりと
非常にパワフルでアクティブだった。

Aは前向きで頑張り屋で
私は友達のそんな姿を見てパワーをもらっていた。
いい意味で、負けられないと思った。

 
お互いになんやかんや毎日が充実しており
お互いの都合がつき、再会したのは、3月に入って10日ほどが過ぎてからだった。

 
 
 
Aと再会したのは、3年ぶりだった。

大学時代にみんなで飲むことはあったし
FacebookやLINEで繋がってはいたものの
二人で会うようになったのは、大学を卒業してからである。

 
3年前のあの日、私達は障害福祉について夢や未来を語り合った。
Aの目はキラキラしていた。
Aは柴犬のように好奇心旺盛で、ひまわりのようにとにかく素敵な笑顔の持ち主だ。
Facebookで見る限りでは、公私共に充実していた。

だから私はまさかAが私と同じ道を辿っているなんて
Facebookを見るまで想定外だった。

 
「それはともかだって同じじゃん(笑)」とAは笑った。
私は周りの友達から「リア充」と言われていた。
家に一日引き込もるのは月1くらいで、毎日仕事やプライベートで忙しく
色々な場所に行き、色々なことに挑戦していた。
Facebookには、基本的にポジティブなことしか書かない。
Facebookはリアルな人間関係の方が見ているし、仕事関係者が繋がっていた。 

だからAから見ても
私の退職は予想外の展開だったらしい。

 
 
 
 
私はAに、「スワンベーカリーに行きたい。」と言った。
スワンベーカリーは私の原点だ。
障害福祉に関わる仕事をしたいと思ったのは
大学の講義でスワンベーカリーを知ったからだ。

 
スワンベーカリーとはパン屋さんで、ヤマト運輸が提携し、障がい者が自活できることを目的とした福祉事業である。
障害福祉の世界ではとても有名で
スワンベーカリーの存在により
全国各地で触発され、様々な施設や会社やサービスが生まれた。
障がい者が働く大切さや意義を世に知らしめたと言ってもいい。

 
「ともかの就職に繋がっていたなんて、初聞き!確かに障害福祉論でスワンベーカリーやったね~!それは行かなきゃ!」

 
Aもスワンベーカリーに乗り気だった。

 
 
憧れのスワンベーカリーのレストランは銀座にあり、私はウロウロキョロキョロした。
何度行っても銀座は苦手である。
建物を見つけた時はあわあわしながら、たくさん写真を撮った。
なんといっても原点だ。
学校の入試や就職試験でも、私はスワンベーカリーの名を上げるほどだった。

 
スワンベーカリーレストラン店内には客席がたくさんあり、職員も利用者もたくさんいて活気づいていた。
もちろん、お客さんもたくさんいる。

 
絶妙なタイミングで水を運び、注文を聞きに来たのは利用者だ。
メニューが豊富で非常に迷ったが、私はカレーを注文した。
ドリンクにスープとサラダもついてきた。

 
私はとにかく、利用者の接客スキルに驚いた。
水が少なくなれば絶妙なタイミングでついでくれ、食事ペースを見ながらお皿を下げた。

接客した利用者が複数名いたが、みんながスキルが高い。
さすがスワンベーカリーだ。
利用者一人だけが秀でている、という印象がなかった。

 
食事しながら周りの様子をうかがっていると、各利用者が絶妙なタイミングで他のお客さんにも接客していた。
店内には数十人のお客さんがいた。

 
忙しかったり、人がたくさんいたりすると
健常者でも焦ったり、接客でミスが増えてしまいがちだが
私が見ている限りでは、利用者の方の接客は安定していた。

 
私はそのことに感動せずにはいられなかった。

 
 
 
 
 
 
お次はAが行きたがったSOCIAL  GOOD  ROASTARSに移動した。
こちらはAが知人から紹介されたお店らしい。
福祉事業で行っているコーヒー屋さんで、こちらも健常者と利用者で行っている。

 
 
ちょうど私達が行った時は休憩中で、利用者の休憩している様も見られたり、取材が入っていた。
私はこちらのお店は知らなかったが、取材が入っているほどなのだから、おそらく有名なお店なのだろう。

利用者の様子は、私が知っている多くの福祉施設を彷彿させて、私はホッとした。
それだけ、hikari  no  cafeとスワンベーカリーは、あまりにも利用者が優秀過ぎたのである。

 
 
職員と利用者で丁寧にコーヒーを入れる様や
休憩後に黙々とコーヒー豆の選別等作業を行う様を
至近距離で見られたのはありがたかった。

休憩中と作業中でメリハリがあったり
時間をかけながらも利用者にできるところは頑張っていただく姿勢に
私は感動した。

 
利用者と職員の関係ややりとりがとてもいい雰囲気のお店だった。

 
 
その日は天気が良かったので、私達はテラス席でコーヒー等を飲んだ。
私はコーヒー通ではないので良し悪しが分からず
ラテアートを頼んだ。

 
 
私の働いていた職場も喫茶店を行っていたし
コーヒーが売りだった。

私達は働く彼等を見ながら、色々な話をした。

  


 
 
 
 
なんせ再会が3年ぶりなので、お互いに話は止まらない。
色々な話をした後で、私はAに何故退職となったかを聞いた。

Aが笑いながらする話は、私と似たようなものだった。 

 
「休日にいきなりね、体が動かなくなっちゃって(笑)今まで楽しめたものもできなくなって(笑)

あ、これ、今までにないくらいヤバいな~って思ったんだけど、上に訴えても分かってもらえなくて、仕事量が増えていくばかりだった(笑)」

 
…………。

 
 
私もAも大学では臨床心理学を学んでいた。
だから心と体が繋がっていて、自分の状態がなんなのか、どうしたらいいのかを考える力と知識が
多少は備わっていた。

そうか……Aもか…………。

 
私は親近感がわいた。
2019年、私は休日が寝て終わったり、出勤前に体が動かないことを体験していた。

 
 
でもAはそれでもキラキラしていた。

Aは仕事が大好きだった。
話を聞いていると担当していた子や保護者から信頼されていたみたいだし
同僚とも上手くいっていた。

 
「退職をしてから辛いのは
立場上彼等ともう連絡をとったり、会ってはいけないこと。
今後の彼等の成長を見届けられないこと。」

 
そんな事をAが言っていた時
私もうんうんうんうんと頷いた。

本当に、似ていると思った。

 
 
 
閉店の時間になったため、コーヒー屋を出てファミレスに行き
そこでも私達は夢を語り続けた。

今までの仕事の楽しさや課題やこれからどうしたいかを
私達は言葉にしてお互いにぶつけた。

 
Aはパワーがみなぎっていて
私も前へ未来へと引っ張られた。 

 
福祉職は安月給とか人手不足とかキツいとか
世間から色々言われているけれど
お互いに障害福祉に絶望した退職ではない。

 
私もAも夢や理想はたくさんあった。
その為に今は休んだり、活動して、よりよい未来を作りたかった。

 
 
 
Aは帰り際に言った。 

「やっぱりともかに今日会えてよかったよ。お陰でやりたいと思っていたことをやってみようって、今日決意が固まった。」

 
Aは笑っていた。
私がもしもAの家の近くに住んでいたら
私はAと働きたいと心底思った。  

 
Aはいつだって前や未来を向いている。
よりよい福祉を見据えている。
Aとなら、色々な意見を出し合い、いい方向に施設を持っていけると思った。

 
 
 
私もAみたいになりたい。
いや、Aと肩を並べて歩きたい。

 
Aは大学の頃から人の真ん中にいた。
明るく優しく、人の痛みが分かる人だ。 

 
私はまだAのように明確なビジョンは浮かばないが
私は私らしく、やれるだけやってみようと思っていた。

 
 
 
 
 
  
これが、私の今年最後の、東京行きであった。

 
  
 
 
 
 

  
この数日後、安倍総理から緊急事態宣言が出され、実質日本を行き来できなくなった。
他県に行けなくなってしまった。

 
Aの住む県はコロナウィルス感染者が非常に多く
私はAが心配になった。
私の県は感染者が少ないので、他県にさえ行かなければ、そんなに制限はかかっていない生活だったが
Aのいる場所は非常に深刻だった。

 
実際、Aの住む県には他にも何人か友達がいて
彼女らからのLINEでは
ニュースでは知り得ない悲惨な状況が記されていた。

 
 
あの日のうちに、Aに会っておいてよかったという気持ちと
3月頭に様々な施設に行っておいてよかったという気持ちと共に
今後に向けたやる気や予定は白紙になり
私はこれからどうなっていくんだろうという不安に襲われていた。

 
あの日は
Aに会った日は
あんなに私もポジティブでエネルギッシュだったのに。
こんな状況で、私は何をどうしたらいいのか。
私は頭を抱えた。

 
 
 
私が2月29日から毎日Facebookを更新するようになったように
Aも毎日更新するようになった。

お互いに似たもの同士で、基本的にポジティブなことしか書かない。
転職活動についてはほとんど触れなかった。

 
Facebook更新でお互いに生存確認をしつつも
時折LINEで話をしつつも
私達はお互いに、デリケートな部分には触れなかった。
阿吽の呼吸のように
お互いに察していた。

 
 
これはあくまで私の推測だが
あの日Aが新たにやりたかったことは、コロナウィルスの影響で挑戦できなくなった。 

そしておそらくAもまだ
私と同じ無職状態である。

 
この期間に資格を取得したらしいし、福祉関係者に会ったり、オンライン電話しているようだし
新たに夢を見つけたようなことはFacebookに書いていたので 
おそらくは、今内々に準備はしているだろう。

 
それは私も同じで
私も転職活動や何らかの挑戦について軽くは触れているが
動いている時ほどSNSには書いていない。

もし確定したらSNSで報告するかもしれないが
報告しないような気もしなくもない。

 
 
「内定もらえました。」とか
元々いちいちSNSに書かない主義なのだ。 

 
 
 
ただ、もし次の道が確定したならば 
Aにはきちんと報告したい。

それでまたコロナウィルスが落ち着いたら
Aと夢や未来をたくさん語り
たくさん笑いたいのだ。


 
 
 
 
7月に、私は福祉の合同説明会に参加した。
その際、とある施設で見学会を企画していると知り、私は参加してきた。
そこは元同僚が勤めていた、大手施設である。
焼きそば等を販売していた。

 
 
どの施設にも特色はあり、さすが大手なだけあり、しっかりとしていた。
利用者への接し方、距離感もよかったし、施設内の設備や工夫もよかった。
利用者の接客態度や挨拶もよかった。
見学者には、職員と利用者で作った料理が振る舞われた。美味しかった。

見学会は二時間コースで
資料を読んだり、質疑応答をしたりして、私は目がキラキラし、イキイキした。

 
「ともかさん、福祉の仕事大好きでしょ?今すぐ働きたくて仕方ないように見えるよ。」

 
私は採用担当者からそう言われて笑われたほどだった。

 
 
残念ながら、条件が合わないからお断りしたが
こうして見学をしたり、福祉の仕事に触れるたびに
私は確かにイキイキした。

 
働きたくて仕方ない。

 
確かにそれはある。
福祉の仕事はやはり楽しい。
それも分かっている。

 
ただ、同時に福祉の仕事のデメリットも私は知っている。

 
まだ前の職場への思いを断ち切っていない以上
そして福祉への思いが強すぎる以上
下手に福祉の世界に足を入れると
メンタルバランスが崩れそうな気もしてしまう。

 
非常に悩ましいのだ。

 
 
考えるだけではなく、今動ける範囲では動いている。

私の夢はやはり、結婚よりも
自分のやりがいのある仕事をやることなのだ。


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