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求人がなかったのに採用しようと頑張ってくれた管理者

私は去年から、転職活動中である。

障がい者福祉施設で10年以上働いた後
人生初めての転職活動をしている。

大学生の時に一般就活、そして専門学校の時は福祉の就活をしていたが
転職活動は、一般就活とも福祉の就活とも
似て非なるもの、と感じる。
共通点ももちろんあるし、気が楽なところも確かにはあったが。

 
次の仕事が決まらないまま、目標もないままの不本意な退職だったが
無職の割に私は呑気極まりなかった。
仕事を辞めたての頃は殺気だっていたり、不安で仕方ないという状態ではなかった。

 
想像以上の退職金をもらえただけでなく
コロナ禍により、失業保険は長くもらえた。金額も上がった。
社会人生活の間に貯めた貯金もある程度ある。

実家暮らしだから気楽でもある。
家族仲は良好だし、今住んでいる家にローンもない。

 
更にコロナ禍という状況も加わり

「状況が読めないな。仕事は焦らず探そう。自分がやりたい仕事をやろう。」

と思ってマイペースに転職活動をしていたが
さすがに景気がどんどん悪化し
失業保険が打ち切られた上
年内に仕事が決まらなかったことで焦りが出てきた。

 
いや、12月に内定はもらっていたし
私が断っていただけで様々な福祉施設からいい反応はあったのだが
諸事情により、そこでは働けなかったのだ。

 
 
貯金自体はまだ余裕だが
さすがに年内に仕事を決めたかった私は焦った。
失業保険を打ち切られたことも大きい。

ここからは収入がなくなる。

貯金があっても、収入がないことは焦りに変わる。

 
 
ただ、私はたまたまついていたことに、仕事を退職した次の月から今まで
必ず何らかの収入があった。
働いていないというのに。

失業保険に加え、国民給付金やら介護慰労金やらnote含め文章を書いた収入やらが入った。
確定申告により、数万円の戻りもあった。

 
働いていないが、毎月必ず何らかのお金が入る。

 
それはなんだか妙だった。
ただ、お金が入るとはいっても、年金や保険料を差し引くと、やはり心許ない。
失業保険がなくなってからは、貯金を切り崩した生活になるのは確定した。

 
 
12月に仕事を決められなかった私は、3月もしくは4月に仕事を決められるように目標に定めた。

両親からも「いい加減働きなさい。」「春には仕事決めなさい。」「ブログ収入(noteや他のコンテスト賞金)で生活はできないだろ?」と窘められた。
ごもっともである。

 
社畜にはなりたくないが、社会の歯車にはなりたい。

 
今まではマイペースに転職活動をしていたが、1月後半からの転職活動により気合が入った。
手帳が真っ黒けだ。
やはり、気持ちが変わると行動にも影響は出てくる。

 
 
1月後半に某合同面接会に参加した。

コロナ禍の影響だと思うが、合同面接会はいつも急に1/ 3~1/5の企業が不参加になっていた。
その日、不参加だったA社は福祉分野に力を入れているらしかった。

 
A社か。聞いたことはないが、とりあえずプロフィールカードだけ提出しとくか。

 
私は帰り際、受付の方に、A社宛てにプロフィールカードを提出した。
今日欠席の企業に対して、もし興味があれば気軽にプロフィールカードを出すように言われたのだ。

 
 
A社から電話があったのは、その数日後だった。 

まさにその合同面接会で面接した某施設の見学が終わった直後だった。
ちょうど車に乗り込んだところで、まだエンジンさえかけてなかった。
ナイスタイミングだ。

「プロフィールカードを拝見しました。どの職種ご希望ですか?」

企業の方の話で、私はA社が高齢者福祉事業に力を入れていると知った。
なるほど、合同面接会では資料に福祉しか書いていなかったから障害か高齢者か児童か分からなかったが、高齢者分野か。

 
私は自宅から通える範囲で、正職員希望で、デイサービス希望だと伝えた。

私は高齢者分野ならデイサービスに一番興味があった。

 
施設見学後に、施設駐車場で他施設の求人の話をしているなんて滑稽だと思った。

 
 
手広く事業展開している企業らしく、話は一旦保留になり、電話は切られた。
私はその間に施設駐車場から速やかに脱出し、TSUTAYAで息抜きをしていた。

本屋は私の聖地である。

転職活動のストレスを本屋は和らいでくれるため、転職活動の帰り道に私は本屋に寄りやすかった。

 
「もしもし、今お時間よろしいでしょうか?」

 
折り返しの電話はTSUTAYAにいる時にかかってきた。
オーノー、今度は本屋にいる時かい。
他施設見学で頭がそちらでいっぱいになっていたり
本屋の世界に浸っている時に
A社の電話はいつも私を現実に引き戻す。

 
電話によると、うちから近所のデイで求人が出ていること、更に私が障害福祉屋の為、まずは見学を提案したいと話があった。
私は空いている日にちや時間を伝えた。

 
福祉の世界では、面接前に見学が前提だ。
個人的に申し込むことも多いが、企業側や施設側から見学提案があったり、見学会実施は誠意がある証拠である。

 
A社、いいところかもしれないな。

 
第一印象はとてもよかった。

 
 
  
TSUTAYAから自宅に帰った後、見学日調整の電話が更に入った。 
見学日はあっという間に決まった。
仕事が早い。いいところだ。

 
余談だが、その電話をしている時に
事情を知らない母がバカでかい声で話しながら帰宅し

「ただいまままま!母ですよ~!今日はイチゴが安かったから買ってきちゃった!」

という声が筒抜けになったという裏エピソードがある。

電話をしながらメモをとる私も
それを隣で見ていた父も
顔がサーッと青ざめ
父が慌てて母の元へ行って黙るように言ってくれたのでありがたい。

私はその隙に筆記用具を持って慌てて母から遠ざかった。

 
私の母は声が大きく、よく通るのである。

 
 
見学日、私は某デイサービスに行った。

住所やマップからしてもうちから近いと思ったが
実際かなり近かった。
転職活動で見学や面接をした施設で一番近い。
自宅からこんなに近い場所にそのデイサービスがあるとは知らなかった。

 
余裕を持って自宅を出たら
本当に早く着きすぎてしまったので
私は邪魔にならない位置に路駐して時間を潰し
シレッとデイサービスに舞い戻って駐車した。

 
駐車場は少し狭かったが、近くで仕事をしていた方が誘導してくれた。

「こんにちは。」

と、にこやかに挨拶してくれた。
いい職員だと思った。

 
 
玄関には消毒液と検温器が用意され
私は来場者用紙に記入を求められた。

ここあたりがしっかりしている施設は信用できる。

 
「こんにちは!管理者のBです!」

 
駐車場に私の車が停まったのに気づき、玄関先でBさんは待っていてくれた。
Bさんはいかにも福祉職、というオーラが強かった。
明るく優しく朗らかで、一目見た瞬間に

 
あ、この人できる人だわ……

 
と、分かった。

 
 
私は応接室に通された。

Bさん、そしてもう一人女性もやってきた。
主任をしているCさんらしい。

Bさんは申し訳なさそうに、口を開いた。

 
B「せっかく来ていただいて申し訳ないんですけど、本部の手違いで……今、ここは正職員を募集してないんですよ。パートは募集しているんですが…。

本部とうちで連携がとれていない状態で、申し訳ありません。」

 
BさんとCさんは深々と頭を下げた。
恐縮だった。

 
私「そうだったのですね…。ただ、それはBさん達の責任ではないですから、謝らないでください。話しにくいでしょうに、話してくださってありがとうございます。」

 
B「ですから、真咲さんの貴重なお時間を使ってしまっても申し訳ないですし、このまま見学しないでお帰り…でもそれは自由ですし、せっかく来ていただきましたし、見学されても、それは自由です。」

 
私「それなら、もしよろしければ、見学させていただいてよろしいでしょうか?私はあまりデイに詳しくないですし、なかなか見る機会がないので勉強になります。」

 
本心だった。

せっかく来たのならば、見学したい。
優しいAさんが管理する施設がどんな場所か見たい。

 
確かに今日の見学は採用を期待しての見学だったが
私はもともと様々な施設の見学が趣味だった。
様々な施設の取り組みや環境を学ぶことは
全て私の糧になる。

 
B「ぜひ!狭いところですが、見学していってください。」

 
見学は主任のCさんが行い、Bさんは一旦事務室に戻った。

 
 
Cさんは私よりやや年上の女性だった。
穏やかな優しい方で、会話が弾んだ。

通された活動室では、たくさんの高齢者の方が余暇活動をしていた。
テーブルにはついたてがキチンと用意されていて
現場職員はマスクにフェイスシールドをつけている方もいた。
業務に合わせて、職員はマスクのみ、マスク +フェイスシールドにしていた。
換気もされている。
利用者同士の空間も工夫されている。

コロナ対策がキチンとされている。

私はそういった印象を受けた。

 
 
利用者の方は口数が少なかった。

Cさんの話によると、様々な行事が中止になり、活動も制限がかかって利用者もガッカリしていたり
マスクやついたてのせいで会話がしにくく、聞き取りにくく(高齢になるにつれて、耳が遠くなるから)
会話が段々と減少したらしい。

 
Cさんはそれを本当に残念そうに伝えた。
利用者や仕事を愛していることが伝わった。

 
 
入浴設備やトイレ設備も見学させてもらった。

私は見学しながら思ったが
この施設はとにかく使い勝手がよかった。
動線が考えられた建物の作りになっており
利用者だけでなく
職員も動きやすそうなことが伝わった。

 
掲示物もしっかりしていて
季節ものや写真、予定などが分かりやすく見えやすい場所に飾られていた。
掃除も行き届いている。

 
 
……うん、ここはすごくいい施設だ。

 
Cさんの話や他の職員の働く様子を見るだけでなく
施設環境からも伝わった。
職員の動きも連携も素晴らしい。
離職率も低いらしい。

 
そうだろうなぁ、と思った。
職員はみんなが三年以上働いているベテランに見えた。
どの職員も動きがプロだったのだ。

 
 
途中から、見学にBさんも合流した。

私は見学で感じたことをBさんやCさんに伝えた。

 
BさんやCさんは非常に驚いていた。
自分達にとって課題が見られた施設ややり方について
部外者の私が利点だと言ったのが意外らしい。

 
また、施設規模でいうと、このデイ自体は小規模に当たる。
大手施設が近隣にたくさんある中
私が褒めちぎったことは意外だったらしい。
 
  
特にCさんは新卒からずっとそこで働いていた為
私の着眼点や感想が非常に新鮮に見えたそうだ。
Cさんにとっては、そのデイの世界が当たり前であり、全てだったからだ。

 
 
見学は約一時間だった。

私はBさんとCさんに玄関先まで見送っていただいた。

私「今日はお忙しい中、またコロナ禍の中、見学の機会を与えていただいて本当にありがとうございました。勉強になりました。」

 
B「採用の話の手違い、本当に申し訳ありません。でもね、私、真咲さんと働きたいわ。すごくいい。福祉の仕事が好きなことや意見をしっかり持っていることが伝わったの。」

 
C「本当すごいです。すぐに主任できるレベルですよ。今までの見学者と違いました。」

 
B「私、今日本部の人と会うから、掛け合ってみるから!正職員採用にしてもらえないか、って。真咲さん、正職員採用なら働きたいんでしょ?

私は一緒に働きたいわ。」

 
 
私はウルッとしてしまった。

AさんもBさんも本当にいい人だ。
いい人オーラが全身から出ている。他の職員も、プロ意識が高い。

 
あぁ、ここで働きたいなぁ…
私もここで働きたいなぁ…………。

お世辞かもしれないが
こんなに褒めて認めてもらえて嬉しいなぁ………。

管理者と主任がこんないい人じゃ
そりゃ離職率低いよな……………。

 
もし今結婚していたら、パートで働いても支障なかったかもしれないけど
結婚の予定はないし、相手もいないし
そうなると私は
正職員採用を曲げるわけにはいかない。

 
私「…そこまで言っていただけて、本当にありがたいです。そのお言葉が聞けただけでも、嬉しかったです。

………またご縁がありましたら、よろしくお願いします。」

 
私は深々と頭を下げた。

 

  
駐車場は狭く、やはり車は出にくかったが
先ほどとは別の職員の方が
スッと近寄り、誘導をしてくれた。

なんて優しいのだろうか。

私は窓を開けて伝えた。

 
「ありがとうございました。今日は一日お世話になりました。失礼致します。」

 
その職員の方は笑顔でペコリと挨拶してくれた。

 
 
 
私は車を走らせながら胸がいっぱいになり、泣けてきた。

私が知らないだけで、近くにこんな優しい世界があるなんて知らなかった!
どの職員も優しかったし、プロ意識が高かったなぁ…
働きたかった!
ここで働きたかった!

 
なるべくなら、障害分野で働きたいけど
こんな雰囲気の場所なら、高齢者分野でも働きたいと素直に思った。
未経験の仕事でも頑張ってみたいと思った。

 
利用者と職員和気藹々として、きっと、きっと、楽しいんだろうなぁ………

  
でも、採用枠がないなら、諦めるしかない。

 
ただ…………優しいデイがあることを知っただけでも、今日は大収穫だ。

 
 
私は仕事が決まらなかったにも関わらず、その日は非常に満たされた気持ちになった。

 
 
 
そのデイからはその後、何も連絡はないし
私はこれで終わりだと思っていたが
この話には少し続きがある。

 
 
 
 
この見学会から二週間後、私は合同面接会に参加した。
初のリモート合同面接会であった。

その合同面接会には、A社が参加していた。
デイ見学でいい印象があり、時間があったので、私は本部の話を聞いてみたいと思った。

 
A社の方が色々企業説明し、質疑応答をした後、私に声をかけた。

A社「真咲さん、○○デイに見学に行かれました…よね?」

 
私「はい、そうです。」

 
A社「手違いで正職員の求人があると、人事の者が伝えてしまったようで申し訳ありません。」

 
私「いえいえ。見学では大変お世話になりました。」

 
A社「BやCから話は聞いていますよ。着眼点がすごい方で主任レベルだって。高齢者分野で働いたことがないようには見えない、即戦力になれる方だと思う、って。」

 
私はまた目が潤んだ。

……そうか。
お世辞じゃなく、本当にBさんやCさんはあの後本部に掛け合ってくれたんだ。
そんな風に伝えてくれたんだ。
折り返しの電話はなかったけど、その間に交渉してくれたんだ。

 
Bさん…!
Cさん………!

 
私は再び胸が熱くなった。

 
 
ただ、かといってパート採用を正職員採用に切り替える話にはならなかった。
当然である。

私も前職で人事や面接にも携わっていたから分かるが
パート採用を正職員採用にするのは並大抵のことではない。
まず、パート採用をして働きぶりを数年見たら正職員になるケースもあるが
それさえ、あまりないのが現実だ。

 
見学段階でBさんやCさんがいくら気に入ってくれても
本部や人事権がある人が
そう簡単に正職員採用に切り替えるわけがない。

 
それは薄情でもなんでもなく
会社や組織とはそういうものなのだ。

 
私「ご縁がありましたら、よろしくお願いします。

Bさん、Cさんによろしくお伝えください。」

 
 
私はそう伝えて、オフラインにした。

 
 
 
 
 
合同面接会で話を聞いても、採用にならない現実は変わらなかった。
変わらなかったけど、私は胸がいっぱいになり、優しい気持ちになった。

 
その合同面接会では新たに別の施設や企業と話をし
見学会の連絡待ちとなった。
新たな予定が入ると、未来に希望が見えた。

 
さぁ、引き続き頑張っていかなきゃな!と思った私に
合同面接会主催会社の方が声をかけた。

 
私は自宅からではなく、某会場のパソコンから、合同面接会に参加していた。
私は会場に最後までいて、気がつけば周りに求職者は誰もいなくなっていた。

 
私「遅くまで話してしまって申し訳ありません!すぐに片付けて会場から出ます!」
 
 
D「いえいえ、慌てなくて大丈夫ですよ。

真咲さん、福祉職希望なんですか?」

 
私「はい。なるべくなら、障がい者の作業支援か生活支援の日勤の仕事をしたいんです。」

 
E「真咲さんの企業とのやりとりを見て、しっかりしたいい人だなって感じました。

実は私の会社で福祉事業を展開していまして。」

 
私「そうなんですか!?」

 
D「私、採用の方にも携わっています。こちら名刺です。」

 
私「ありがとうございます!」

 
E「●●市で施設をやっていますので、もしご興味がありましたら是非ご連絡ください。」

 
D&E「私達は真咲さんの応募をお待ちしています。」

 
私「ありがとうございます。検討させてください。」

 
 
 
…まさか、合同面接会に参加して、合同面接会に参加していない企業から名刺をもらう展開になるとは思いもしなかった。

人生はこれだから面白い。

 
 
 
私は不器用だし、欠点もたくさんある人間だし
転職活動もずいぶん長くなってしまって
日々自信を失っている。

 
 
転職活動は孤独だ。

期待しては落ち込み
頑張っても報われず
自尊心は傷つけられ
このままどこにも就職は決まらないんじゃないかと
不安になる。

  
福祉職だから妥協すれば就職先はたくさんあるが
私はこだわりが強く、頑固で
なかなか、「ここで働きたい!」と見学した後に思う場所は少なかった。 

 
それでも
私と働きたいと言ってくれる人や
私を採用したいと言ってくれる人や
優しく声をかけてくれる人に
たくさんたくさん支えられ
なんとか毎日踏ん張れる。 

もう少し、頑張ってみようかなと思える。

 
 
結局仕事は決まらなかったけど

A社やBさん、Cさんの言葉
手渡された某施設の名刺の存在は
今でも私の心を温めてくれる。

 



 

 








 
 





 












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