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私に名前を授けよう

私の名前をつけたのは父親だ。
出生届の提出期限ギリギリまで悩んだという。

 

 
私も姉も最初は神社で名前をいただいたが、どうにもしっくり来なかったらしい。
姉の名前は母がつけた。
だから次女の私の名前は父がつけると決めたらしい。

有力候補はあゆみだったらしいが、祖母から猛反対されたらしい。
「鮎は食われっちゃう。人に食い物にされる人生になってしまう。」という持論だ。
ちょうど、私の高校時代は浜崎あゆみの時代だ。
個人的にはあゆみじゃなくてよかったと思う。
あゆとはちっとも似ていない私は、周りからからかわれそうな気がしたからだ。

第二候補は飛鳥だったらしいが、画数の問題で断念したらしい。
 
 
家族にはいくつかの、名づけの際に譲れないルールがあった。以下がそのルールだ。

①画数が良い名前
②○○ん、等の終わりが「ん」ではない名前
③植物や自然にまつわらない名前
④周りの子どもにない名前
⑤漢字の意味が良い名前
⑥呼んだ時に響きが良い名前

 

①は私も姉も跡取り候補だった為、もしかしたら一生この名前で過ごす可能性もある。
総画数以外でも事細かに運勢を調べたようだ。

②両親曰く、“ん”で終わる名前は50音の終わりでしめることになってしまう。娘には末広がりな名づけをしたかったらしい。
また、声に出した時に“ん”は若干呼びにくい、とのことで却下したそうだ。

③植物や自然にまつわる名前は女の子らしいと思うが、植物は「枯れる」ことを暗喩し、また自然物を名前につけると、自然のパワーに負けてしまう、という考え方もあるそうだ。
念の為、却下したらしい。

④両親は仕事柄、毎日たくさんの子ども達と関わった。なるべく、かぶらない名前にしようと考えたらしい。
また、絶対ではないのだろうが、特定の同じ名前の方複数が性格にある傾向が見られた為、そこから候補に上がったり、除外ということもあったらしい。

⑤一文字一文字、漢字には意味がある。娘には漢字の意味合いを込めて名づけたかったそうだ。
また、名前は一生で一番書く文字だから、あまりに画数が多すぎる漢字も却下したそうだ。

⑥呼びやすい名前がいいと思ったらしい。さり気なく声をかけたり、大声で呼んだ時にこもらない音の名前。ニックネームがつけやすい名前。
そういった名前にしたらしい。

 
※あくまで、うちの家族のこだわりであって、①~⑥に該当する名前を否定している訳では決してない。
それぞれに譲れないこだわりがあるのは当たり前だし、私や姉の名前を好まない人も勿論いるだろう。

 

ちなみに、女の子なら当時は漢字二文字の名前で読みが三文字、○○み、という名前が一番多かった。
その後、○な、という漢字二文字で読みも二文字が流行り、さくらちゃんが流行り、キラキラネームが流行り、こころちゃんが流行っている印象を受ける。

  
 
名字は変えられないとして、平仮名、カタカナ、漢字の組み合わせで、かつ①~⑥の条件をクリアするものはなかなかなかった。
姉の名前は、母親が候補に上げた名前が画数がよかったことから割とすんなり決まったが
父親は悩みに悩んだそうだ。

そして私に名前をつけてくれた。

「知恵があり、優しい子になりますように」という意味が込められた名前らしい。
私は漢字の組み合わせは気に入っているし、名字にしても、名前にしても、観光地の名入りグッズに必ずあるような名前で嬉しかった。
私は名入りグッズが好きなのだ。

名字がポピュラーな為、Google検索すると、世の中には同姓同名がたくさんいた。
同姓同名の方は絵や文章や演劇で活躍しているみたいだし、やはり名前のパワーはあるのかもしれない。
同姓同名の方が活躍しているのは、もう一人(一人どころじゃなく、たくさんいるのだが)の私のようで素直に嬉しかった。

スポーツ選手で同姓同名は一人もいない。
全国で同じ名前の方は私と同じように運動はあまり得意ではないのだろうか。

 
 
高校三年生にクラスに来た帰国子女が、私と下の名前がかぶったが
それまでは学年に私と同じ名前の人はいなかった。
名入りグッズでは売っているが、クラスメートとはかぶらない名前。
絶妙だ。ナイス親。
全国にこそ、同姓同名はいるが、例え下の名前がかぶっても漢字まではまずかぶらなかった。
大学でも一人同じ名前の子がいたが、やはり漢字は異なった。

 
小学生の頃、女子は学年で15人位しかいなかったが、その内5人が同じ名前だった。
漢字が同じ人さえいた。
小学校はクラス替えがなく、ずっと持ち上がりの為、その5人をなんと呼べばいいかは課題のままだった。
正直、その名前じゃなくてよかったと心底思った。

 
中学、高校、大学と進学しても、就職しても
その5人と同じ名前の人とは一人として会わなかったから
私の時代にその名前が流行したわけではない。
たまたま、狭い地区でその名前が大流行したのだろう。

 
 

中学校一年生の時に、自分の名前の由来を親に聞いて発表するという授業があった。

私は自分の下の名前も響きも好きだったが、中には名字と下の名前が上手くリンクし、名前を紐解くと一文になる人がいて、めちゃくちゃかっこいいと憧れた。
なるほど、今までは下の名前の漢字の組み合わせや響き、フルネームのバランスに気をとられていたけど、名字と下の名前の関係性も大切だな。
そう強く思った。

 
 
高校生になり、私は携帯電話やパソコンを使うようになった。

最初はパソコンでホームページ(以下、HP)を見たり、検索したり、ゲームをしたり、友達とメールをしていた。

 
私の初期の携帯電話はまだiモードが使えず、ショートメール(最大全角25文字、半角なら50文字)しかメールが使えなかったので
買い替えてiモードが使えるまでは、パソコンでメールをすることが主流だった。

仲が良かった子が他社携帯だったこともあり、ショートメールが使えなかったのだ(当時は他社携帯にメールは使えなかった…か、金額がはね上がる、といったデメリットがあった)。
当時はワン切り(携帯電話を一度鳴らして切り、生存確認&愛情を示す)が流行していた為、私のパソコンにメールをする時は三回コールをするというルールを二人で作った。

私はコールをもらうとパソコンを立ち上げ、友人の携帯にパソコンからメールを返した。
友人は当時、全角で250文字まで文字が打てるメールだったと思う。

今でこそ携帯で1000文字以上文字が打てて、メールができるが
当時は文章をたくさん打つと画面が進まなくなり、それ以上文字が打てなかった。
まぁTwitterに毛の生えたような文字数のメールで、他社携帯相手だと色々ハンデやデメリットがあった時代だったのだ。

 
 
段々パソコンに慣れてきたことで、私はパソコン上で人と交流することになる。
見知らぬ人のHPに感想コメントを書いたり、メールを送るといった行為だ。

ネットの世界の住人となった瞬間だ。

ここで最初の難関が名前である。
やり取りをするからには名前を決めなければいけない。
最初はプライベートで一部の人が呼ぶ、ニックネーム複数をハンドルネーム(以下、HN)にしていた。
ページによって名前を変えていた。
匿名性の強さがウリの、その場限りのやり取りだったからだ。

ゲームで名前をつけるようなものだ。
その場でだけ、何かしら名前を名乗ればいい。

 
 
HNの名前を固定にしたのは、とある詩のサイトと某アーティストの掲示板との出会いがきっかけだった。

私は趣味で詩を書いていて、とある詩のサイトに投稿していた。
私はそこのサイトのルールが好きだった。

「一作品投稿する場合、誰かの一作品以上にコメントを残すこと」

詩を投稿すると、必ず誰かが感想をくれた。
私も他者の詩を見ては、感想をコメント欄に記入した。

自分の作品を誰かしらが見てくれて、反応がもらえるのが嬉しかった。
他者の詩を見るのも勉強になった。
その人その人で個性が見られて面白かった。
表現力にも感心したし、語彙力を増やすきっかけにもなった。

私はそこで自分を「真咲」と名乗った。
 
何故マサキかと言えば、私がマサキという名前と響きが好きだったからだ。
そしてたまたまカラオケで曲検索をした際、「真咲」という名字のアーティストがいることを知った。
漢字の意味合いも響きも良く、女性らしいマサキだと思い、この名前にした。

私は詩のサイトでは「真咲さん」と呼ばれるようになった。
三日に一回は投稿していた、常連だったのである。

 
 
その頃私は某アーティストにハマッていた時期でもあり、そのアーティストのHPの掲示板に毎日コメントを残していた。

掲示板というと、2ちゃんねるの印象が強いかもしれないが
昔はHPといったら掲示板がほぼ必ずあった。

掲示板に、初めましての挨拶をしたり、何かしらの感想を書くのが主流だった。
まだTwitterがなかった時代だ。
旅先や観光地に置いてあるような、感想を書くノートを思い浮かべてほしい。
画像貼り付けはできなかったが、短い文章を載せることができた。
それが掲示板だった。

私はそこでは本名をもじって、「ともか」と名乗るようになった。
ここでは「ともかさん」と呼ばれていた。
私以外にも常連はたくさんいたが、ここで毎日書き込みをしたかいがあり、私はファン二人から「仲良くなりませんか?」と連絡が来た。
 
 
確か、当時はメールアドレスも貼り付けられたんだと思う。
文通相手のように、メル友や趣味友を探す機能も、掲示板によっては備わっていた。

今よりメール規制がゆるい時代だった。
また、まだLINEがない時代だったので、捨てアドと呼ばれた、サブメールアドレスを持っているのが当たり前だった。
昔はとにかく、携帯電話のメールアドレスはメイン中のメインで(Gmailもまだない時代)、パソコンは持っている人が少ない時代で
捨てアドは携帯のサイトで無料で簡単に作れた。
私はパソコンのメアドも合わせて、6つメールアドレスを持っていた。

ネット上では様々な人がいるので、捨てアドでまずは連絡先を交換し、本アド(携帯電話のメインメアド)は信頼関係ができてから教える、という世界だった。
のちにDMやメッセンジャーが流行ることで、携帯電話の捨てアド文化は廃れていく。

 
 
 
こうして私は詩の世界では「真咲さん」、アーティストファンからは「ともかさん」と呼ばれた。


私の中には陰と陽の部分があり、詩には陰の部分が深くあらわれていた。
私の本質といっていい。

人に話すのを躊躇うような、暗く深い感情を担っていたのが「真咲」だった。
詩のサイト以外でも、そういった感情を剥き出しにする場面や、そういった世界観を大切にしているHPでは、私は自身を「真咲」と名乗った。
 

逆に、「ともか」は陽の部分を担当していた。
学校や家族の前で見せる素の自分に近い性格が強く出ていたのが「ともか」
だからメル友にはともかと名乗っていたし、ゲームユーザー名はともかにしていた。

 
 
今でこそ、それを組み合わせて「真咲ともか」と名乗っているが
元々は真咲とともかで分離していたし、どちらも私ではあった。

 
 
数年後、詩のサイトが閉鎖することをきっかけに、私は自身のHPを立ち上げることに決めた。
私は誰かに詩を見てもらいたかったのだ。
そしてそのHPを立ち上げる時から

私は「真咲ともか」になった。

それまでは、HNがいくつかあったり、イラスト用ペンネーム(以下、PN)がまた別にあったりもしたが
今後ネットでの活動は全てこれに統一しようと決意した。

余談だが
私より前に姉はHPを立ち上げているが、姉に関しては中学時代からHN(PN)が全くぶれずに今に至るので本当にすごい。

 
最初はただ、マサキという名前が好きだから真咲にした。
だけど私は後に知った。
咲くという字は「わらう」という意味合いが込められていることを。
女優の武井咲さんの、「えみ」という読み方も、「咲う(わらう)」から転じたものだ。

 
 
「真咲ともか」は、私のこういった願いが込められている。

①真(まこと)を咲かすともか

自分に偽りなく、真っ直ぐに表現する私でありますように。そして花開きますように(作品がみんなに見てもらえますように。誰かに何かが届きますように)。
 
 
②真(しん)に咲うともか

心から笑える私でありますように。

 
 
 
この世に生を受けて、30年以上が経った。

父が名づけた本名で、私は30年以上を過ごした。
愛着のある名前。
この本名で、現実世界を生きる傍ら、私はスマホやパソコンを開き、「真咲ともか」になる。

どちらも私であり、それでいて役割分担もしている。
現実を生きる本名の私。
ネットを生きるHN(PN)の私。

現実では表現できないことをネットで何かしらの形にして発信しているし
ネットで発信していること全てが私というわけでもない。
ネットでは伝えられないことも、勿論たくさんある。

私は現実とネットで二つの名前を持ち、行き来することで絶妙なバランスを保っている。
どちらが欠けても、私は私でなくなるのだ。

 

真咲ともかを名乗るようになって15年以上が過ぎた。
自分の人生の半分は真咲ともかでできている。

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