コロッケよもやま話
折角の三連休も台風が発生し、残念な週末になってしまいましたね。
今回は大きな被害が起きないことを祈りたいです。
今日は、何年か前から台風が来たらコロッケを食べるという謎の風習が生まれたので、今回はコロッケの話でもしたいと思います。
みんなが大好きなコロッケは、いつの時代でも人気者。
戦前はトンカツ、カレーと共に三大洋食の一つだったコロッケは、現在では、惣菜のチャンピオン、庶民の味としてなくてはならない人気物です。
どれくらい人気があるかといいますと
社団法人日本惣菜協会「2021年版惣菜白書」の『最近半年間の購入頻度順位』によると
弁当、おにぎり、寿司類を除くと唐揚げの次に人気があり
近畿圏では唐揚げより人気があります。
総合でも九州圏以外では五位以内にランクインしています。
そんなコロッケが元はフランス料理のクロケットに由来するというのはご存知の方は多いと思います。
このクロケット、フランス料理ではオードブルの一品から他料理の付け合せ、そしてスイーツのアントルメと幅広く活躍し、伝統的なフランス料理の食文化に関わる重要な料理だったりします。
そのクロッケがいつ頃誕生したかというと
アメリカの本「イングリッシュ・スルー・ザ・エイジス」で、クロケットが初めて記録に残されたのは1710年
「オックスフォード英語辞典」によると、英語の文献に登場するのは1706年の「フィリップス」という本に紹介された調理法と書かれており
フランスの大辞典「ル・プチ・ロベール」によると初出の文献は1740年となっています。
クロケットの起源には謎がありますが、文献に残る記録から1706年にはクロケットはあったということになります。
ちなみに1706年は日本でいうと宝永三年、徳川綱吉の時代です。
そのクロケットが日本に伝わったのは、当然のごとく明治時代。
明治五年(1872年)に出版された「西洋料理指南」に「コロッケ」という文字はでていませんが、ポテトコロッケの作り方が紹介されています。
また同年「西洋料理通」という本ではホワイトソースの作り方が紹介されているのでクロケットのクリームコロッケも存在していたと推測されます。
そして、明治二十年(1887年)。
「日本西洋支那三風料理滋味之饗宴」という本に「コロツケ」という表記が登場します。
これ以降に発売された料理本などでもコロッケの作り方が紹介されるようになりました。
そして、日本においてクロケットが現在の「コロッケ」という表記に確定するのは明治二十九年の「日用西洋料理法」からで、コロッケという名が一般に定着するのは大正の後半から昭和の初めになります。
本等での表記は大正七年「海軍五等主房房業教科書」からほとんどの表記が「コロッケ」になったそうです。
そして、コロッケという名前が確定して一般に定着するまで、次のように表記されていきました。
「コロツケ」
↓
「ころつけ」
↓
「仏蘭西コロツケ」
↓
「コロツケツト」
↓
「コロキー」
↓
「コロツケー」
↓
「コロケツト」
↓
「コロッケ」
また明治二十九年の「日用西洋料理法」から「コロッケ」という単語が確定すると同時に、ポテトコロッケという表記も誕生し、コロッケとは複数の種類の総称と認識され始めました。
明治時代に日本に入ってきたコロッケは、当初は高級料理で、大正六年でも一皿25銭、ビーフステーキは15銭でステーキよりも高かったのでした。
そんなコロッケは、鉄道網が全国に伸びると共に全国に浸透していき明治後半にはある程度、全国で知られるようになっていたようです。
そして、大正六年(1917)の5月に帝国劇場で上演された喜劇「ドッチャダンネ」の挿入歌として誕生した『コロッケの唄』の大ヒットで、コロッケの知名度が一気に広まりました。
大正初期では、まだ高級料理だったコロッケも、ジャガイモの生産量の増加と歩調を合わせるかのように、大正後半から徐々に値段も下がり、昭和の初めには庶民的な物になりました。
値段的にいうと、精肉店で売っていたコロッケは、昭和二年で二銭、昭和三十年代で五円~二十円でした。
このように高級料理として誕生したコロッケは、時代と共に庶民の食べ物となり、日本人のあくなき食への探求心の深さから、様々なコロッケが生まれ現在に至っています。
人に歴史あり
食に歴史あり
ですね。
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参考資料・サイト
『おいしいコロッケ大百科 』築瀬 久・著 アイフォレスト出版・刊
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