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寛容のパラドックス
タイトルは、カール・ポパーが1945年に発表したパラドックスで、「もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される」よって、「寛容な社会を維持するためには、寛容な社会は不寛容に不寛容であらねばならない」というもの。
これを極単純化するなら、「イジメを傍観することは、より助長させる」ということだろうか。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが、「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である」と言っているのに同じ。
イジメを止めようとして、自身が次の標的とされるということも起き得るので、個ではなく全体として取り組む必要があるんだろう。
そのためには、個々の意識が、波風を立てたくないという一見平和主義のような、その実、自己保身でしかないことに気付く必要がある。
これは、以下書籍からの一部要約だが、第一次大戦後、ヒトラー率いるナチスが、脅威的な経済回復を遂げた後、ジワジワと周辺国へと侵略を始めたことに対し、ヨーロッパ諸国は、もう戦争は懲り懲りだとの思いから平和主義(という名の事勿れ主義)を採っていたために、後手後手に回った結果、第二次世界大戦へと発展した、ことを受けたケネディは、キューバ危機(ソ連がキューバに核ミサイルを配備した)に際し、徹底した抗戦主義を採ったことで、回避されたとあり、ここでも、平和主義が戦争を助長し、抗戦主義が戦争を回避するというパラドックスが起こっている。
平和を維持するためには、時に、それを破壊しようとする動きに対して、闘う心構えが必要だということだろうと思っている。
そして、誰かが立ち上がってくれるのを待つのではなく、自らが率先し、団結を促すことなんだろう。
そして丸山眞男。
「民主主義を目指しての日々の努力の中に、初めて民主主義は見い出される」。