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組織崩壊の実体験。
1億は飛ばした経験。
ちょっと昔の話をしよう。
僕はビジネスを辞めようと思ったことはないけれど、「終わったー」と思考放棄をした時期が何回かある。
それは1回目の組織崩壊の時。
学生時代に全くの0から積み上げて、社会人以上に働いて、僕1人の状態から1年後には20人ぐらいまで組織は膨らんだ。
22そこそこの若造が、1年で1億ぐらいまで作ってしまった。
あの頃は、ちょっと天狗になっていたんだろう。見る人が見れば鼻が伸びきっていたんだと思う。それはそれは綺麗にまっすぐに天高く。
エネルギーに満ち溢れ、同年代には負けじと仕事をして、それなりの結果は出せたと思う。その自負はあるが、自己評価が高すぎたのかもしれない。
自己評価の話は下の記事をどーぞ。
一人から組織へ。自分のキャパ以上にパンパンに膨らんだ組織は破裂した。それはそれは見事に。
気づけば3ヶ月ほどで20人ほどの組織は4人まで散った。そのまま伸びていたらもっとすごいことになっていたんだろうなあ。
でも、逆に最後まで残ってくれた人が、今頑張ってくれてたりするんだけど。
狩人のジレンマ。
で、なんで崩壊したか。
森の中にいる狩人の集団を思い浮かべてみて欲しい。装備は網と弓だけで、鹿を狩りにきた。鹿を仕留めて、夜には家族でご馳走を囲もうと思っている。
見通しのいいところで鹿を見つけた狩人たちは静かに近づいて、囲い込み、網で生け捕りにして、弓で殺すつもりなんだろう。遠くからは獰猛で足の速い鹿を射殺すことはできない。
鹿に気づかれないように近づいて囲むには時間がかかる。仕留められなかったら、自分の家族はお腹をすかせて一晩を過ごすことになる。集団の1人でもヘマをしてしまうと鹿には逃げられてしまう。
で、別でうさぎも周りに飛び回っている。うさぎを狩るのは簡単だ。1人だってできる。ただうさぎは1匹で1家族1夜分しか補うことはできない。 鹿なら仲間全員分の家族が数日食べつなぐことができる。これは狩人の中の1人でもうさぎに注意を向けたら、鹿を仕留めることができない。
これが狩人のジレンマだ。
全員で鹿を仕留めて、夕食を作り、歌を歌い、喜び、満腹で眠る。全員が鹿に集中していると信じることができれば、鹿を狩ることができ、望む未来が得られる。
が、誰か一人でも誰かがヘマをしでかすのではないか?と考え始めると、鹿に気がいかなくなり、うさぎに気持ちが向いてしまう。手ぶらで帰るより、うさぎ1匹あったほうがいいんじゃないか?という気持ちになる。
ここでポイントが、
・狩人たちはうさぎを追いかけるより、みんなで鹿を狩ったほうがいいと思っている
・他の仲間が鹿に集中していると信じることができれば、自分も鹿に集中できる
・全員が鹿に集中していると信じられたら、完全に心を一つにして鹿を仕留められる。反対に1人でも信じられなかったら仕留められない
ということ。
これは”楽観主義の力”と”悲観的主義の悪魔的引力”のせめぎ合いを示してる。
チームが成功するにはお互いが一枚岩になって、悲観的にならない状況・雰囲気を作り出すことが重要だ。
崩壊した理由は色々あるが、僕が仲間を信じきれなかったり、信じ切ってもらえてなかった。ということだろう。
コミュニケーションコストが高いとされる、この時代。
ネットインフラの発達に伴って、人と触れ合う時間が減り、このコロナショックによってよりテレワークが推奨されるようになった。
が、僕が思うにそれはいい面もあり、悪い面もどうしても生まれてしまう。
ちょっとした連絡ならLINEで済んでしまうし、重要なものでも電話や、顔が見たいならビデオ通話、Zoomなんて便利なメディアまでできてしまった。
一人で生きていくなら全く問題ない世界になった。
ただ、組織を構築していくと考えるとするならば、そのメディアとしてのエコシステムだけのゆるい場だけに頼るとなると、どんどん関係は希薄になってしまうんだろう。
便利なものであるがゆえに、頼ってしまいがちで、自分のこととなると「あいつならわかってくれる」と楽観的になりがち。しかし、こと自分のこととなると「あいつは本当に信用できるのか」と悲観的な考え方が先行してしまいがち。
その文面、声、画面だけで、全てのことを推し量ろうなんて無理がある。
確かにこうやって簡単に誰でも繋がることができる世界によってコミュニケーションコストはどんどん安くなった。
でもその反対に、実際に会って話したりするような温度感のあるアナログ的な思考も大切にしないと、簡単に人は離れていってしまう。
実際に会うってなると、そこにかかる心的なもの、身だしなみ、移動費、時間、その他諸々のコストを総称して「コミュニケーションコストが高い」と称するのだろうけど。
僕らが生きている世界がアナログだからこそ、デジタルだけに頼ろうは厳しい。
あくまでその便利なツールをどう使うか。どう信頼関係を構築していくか。きっとそれが大事。
僕が過去にした経験からちょっとでもいい。同じ轍を踏まないように考えてもらえたら幸いだ。
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