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#5 スパイスについての愛を語る

 先日の「#4 カレーについての愛を語る」の続編。

 確か先々週くらいのことだっただろうか。久しぶりに東京へと赴いた。予想以上に、たくさんの人たちでごった返していた。これまで友人たちと会えないストレスの反動によるものかもしれない。これはまたリバウンドもあるかもしれない。おそらく出歩いている人たちのほとんどは、ワクチンを打った人たちばかりだろう。いかほどの効果を発揮するのだろうか。

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 東京へ向かったのは、スパイスを買い求めるためだった。

 2年前、得体の知れないウイルスの存在により家での待機を余儀なくされた。その間、ある人はせっせせっせと本を読んでいただろうし、家族との穏やかな生活を楽しんでいた人もいただろう。もしかしたら、毎日オンライン飲み会でむしろ外へ出ていた時よりも精神をすり減らせてしまっている人もいるかもしれない。

 その間わたしが何をしていたかというと、ひたすら踊っていた。暗闇の中に煌々と照らし出される淡いテレビの画面を見つめながら。そう、毎日のようにインド映画を見ていた。体を動かさないことで自分の肉体が重くなっていく恐怖と闘いながら、破茶滅茶なダンスを踊りまくっていたのである。

 踊り終わった後に体力を回復するには何をするかというと、カレーを作る。ただひたすら。その時わたしは心も体もインドに身をささげたような気分でいた。いかにインドという国が魔性の力を持っているかがよくわかるエピソードである。

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人生にスパイスを

 思えば、コロナが蔓延する半年ほど前に、インドを旅した。ゴールデンウィークを使って5日間ほどの短い旅だったが、なんとも印象に残る場所だった。中でもあちこちから漂うスパイスの香りが、わたしの心を釘付けにしたのである。

 元来凝り性というか、何かを集めるという行為にとても魅力を感じる人間なので、何かにつけては種類を集めるということをこれまでしてきた。

 スパイスも御多分に洩れず、その時はよくわからないままGoogle先生の教えの通りに、買い込んだ。シナモン、ジンジャー、コリアンダー、ターメリック、レッドチリ……。そういえばちょうどインドへ行く前に、アナザースカイで鈴木浩介さんが南インドへ訪れている回を見た時の衝撃もまた印象に残っていたのかもしれない。

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スパイスカレーの衝撃

 とりあえず何に使うかもわからない代物を日本に持ち帰り、なんだか異国情緒の匂いがするわぁと香りを嗅いでいたのも束の間、いやいやこれではまた宝の持ち腐れではないか!と思い立ち、水野仁輔さんの「3スパイス&3ステップで作るはじめてのスパイスカレー」という本を購入した。

 初めて自分が作ったチキンカレーを食べた時の衝撃が忘れられない。おわ、わたしは天才か!と思わず自画自賛してしまったのだが、よくよく考えたらすごいのはわたしではなくて、レシピを考案した水野さんである。その後も本の中にある幾つものレシピを自分で作り、丸々1冊全てのレシピを作り終える頃にはまあまあ作り方のコツみたいなものがわかるようになった。

 意外とスパイスの道は奥が深くて、普段意識していないだけで様々な料理や調味料に使われている。最初にお!と思ったのがブルドッグの「ウスターソース」で、成分構成を見てみると確かにスパイスが使われているではないか。深い世界だと思った。カレーだけではなく、普段の料理にも割と使われることが多い。

 スパイスの蠱惑的な面を体現しているといえるのが、大航海時代の列国同士の争いだ。初めはポルトガルとスペインがスパイスの魅力に気がつき、次いでイギリス、オランダなど相次いで東南アジアに進出する。

 最終的に彼らがとった行動は、非常に極端である。

 スパイスを自分たちのものとするために戦争を仕掛けるのだ。ジャイアンの「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」というおかしな論理。全く笑えない。国を動かすほどの魅力が、それだけスパイスにはあったということ。

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料理の奥深さを浮遊する

 まずスパイスの存在を知ってわたし自身一番驚いていることは、まともに料理をするようになったことだ。

 それまでもちょくちょくクラシル先生に弟子入りして調理することをしていたが、所詮付け焼き刃でオリジナリティがなかった。ところが、スパイスを知ったことにより料理の味の組み合わせにも興味を持つようになり、そこからさぁっと風が駆け抜けるようにわたし自身の世界が広がっていくのである。

 それまではどちらかというと、「食べる」という行為はあくまで自らの生命活動を維持するためのもので、そこまで味にはこだわりがなかったのである。それが、気がつけば食の奥深さを知り、暇さえあれば美味しいお店を巡るようになっていた。そう、美味しい食べ物ほど人を満ち足りた気持ちにしてくれるものはない。

 いずれにせよ、スパイスはわたしの中にある、食へのこだわりを過熱させるきっかけを作ったわけだ。自分の新しい興味を導いてくれた存在として、寝る時もキッチンのあるスパイスボックスには足を向けて眠ることができないのです。

 同時に料理に自信のなかったわたしは、スパイスを使った料理の方程式をある程度学んだあたりから、人に振る舞うようになった。

 おそらくお世辞だろうが、わたしが作ったカレーに対して皆が「美味しい、美味しい」と言いながら食べてくれる。その、幸せそうな顔を見るだけでわたしはカレーを作るのにかけた時間も無駄じゃなかったと思う。それどころか、その姿に生きる勇気をもらえたりもする。

 水野さんがカレーは「コミュニケーションツールだ」といった理由がわかった気がする(#4にも記述した)。不器用なわたしは、スパイスカレーを通して友人と心を通わせている。料理をすることによって生まれる時間や人との交流こそ、愛と呼べるものなのかも知れない。

↓ちなみにnoteを始めたくらいに、カレーの作り方記事書いてました w

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だいふくだるま
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