
#7. 思い悩むこと(『道』)
ふと振り返ってみると、あの時ああすれば良かったのに、と自責の念に駆られることがある。
以前、森川葵主演の『チョコリエッタ』という映画と黒木華主演の『日々是好日』という映画を見ていたときに、どちらの映画にも一つのオマージュ的な役割として巨匠フェデリコ・フェリーニの『道』という映画の存在があった。その時からずっと気にはなっていて、この度晴れて時間ができたために早速鑑賞してみた。
あらすじ
怪力自慢の大道芸人ザンパノが、ジェルソミーナを奴隷として買った。男の粗暴な振る舞いにも逆らわず、彼女は一緒に旅回りを続ける。やがて、彼女を捨てたザンパノは、ある町で彼女の口ずさんでいた歌を耳にする……。野卑な男が、僅かに残っていた人間性を蘇らせるまでを描いたフェリーニの作品。
と、Yahoo!映画の解説には書いてあった。確かに冒頭では1万リラと引き換えにジェルソミーナという女の子を引き取るという場面があったが、個人的にはこれは奴隷として買ったのか、というニュアンスはちょっと違うような気がする。また別のサイトには、妻として婚姻関係結んだみたいなことを書いてあるものもあったが、それはどうにも違う気がする。
あくまで、ザンパノとジェルソミーナはどちらかというと雇い主とアルバイトという関係のような気がするのだが、解釈が難しいところだ。ザンパノは途中で何度も、「家に帰りたいのであれば帰っても良いんだぞ」というふうにも言っていたし、主従関係になっているのか難しいところだ。
作品の解釈について
今回初めて『道』を見たのだが、この作品の解釈は非常に難しいところだと思う。製作されたのは1954年と、今から50年以上前だしカラーではなくモノクロだし、みる人によっては退屈と取られるような映画だ。
この作品のメインキャラクターの一人でもあるジェルソミーナ(監督の奥さんらしい)、特に取り立てて美人でもなんでもないのだが、彼女のどこか感傷に浸る表情はどこか切なさを伴う。何か感情が揺さぶられる感覚がある。
生きる意味を問いかける
彼女がザンパノと旅芸人として旅をしている途中、同じくほかの大道芸人達と一緒に公演を行う場面がある。そこで出会ったどこか剽軽な、綱渡りを得意とする青年。ジェルソミーナと青年は、だんだんといくつか言葉を交わすようになる。たぶん二人は、どこか似たもの同士の雰囲気を兼ね備えていた。
彼女は、青年に対して果たして自分は誰かの役に立っているのか、生きる価値はあるのかということを青年に問いかける。それに対して青年は、小石を拾って
この世の中にあるものは何かの役にたつんだ
とジェルソミーナに対して話しかけるのだ。その出来事によって、粗野なザンパノとジェルソミーナとの関係も少し変化が起こったような気がする。
ザンパノのその後(ネタバレあります)
結局その後ザンパノは、また別の機会で再開した青年を喧嘩の末に意図せず殺害してしまう。そのことを気に病んだジェルソミーナ、そして最終的にはそのことがあってザンパノとの決別につながるのだ。
最後ジェルソミーナと別れた後のザンパノの後ろ姿が、とても寂しげだった。彼は彼なりに自分の人生を振り返って、後悔をしていたことだろう。それと、綱渡りの青年が最後まで名前が明かされることもなかったのも、何か監督の意図が垣間見える。
この類の映画は、また年を重ねて見直すと違う側面が見えてくるのだろうな。
いいなと思ったら応援しよう!
