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モネが見た景色を、いつかまた

 私がまだ世間が何ぞやも全く分からない時代、あれは親より賜ったお金を使って大学で悠々自適に青春時代を謳歌していた時のこと。

 厚かましくも、留学をさせてもらった上に、ヨーロッパを旅させてもらえないかとお願いし、約1か月ほど貧乏旅行をしたことがある。そして中でも一番印象に残ったのは、パリのオランジュリー美術館で見た睡蓮の間と、イタリアのヴェネチアでの日々だった。

 ヴェネチアはちょうど人の往来が激しくなるカーニバルの前だったので、通りは閑散とし、時々大道芸人が人を集め、そこだけわっと華やかになる。そのとき私はコーヒーが何たるかを全く知らなくて、ヴェネチアの街角にあるカフェに入って小生意気にもエスプレッソを注文し、「あれぇなんでこんなにも量少ないのぉ!」と場違いな憤激をしてしまったことを覚えている(店員にはもちろん言わなかったが、むしろ今思い返すと言わなくてよかったと、顔が真っ赤になる)。

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 さて、日本に帰ってきてからもモネの展覧会があると聞けば足しげく通い、そしてその中で『印象、日の出』の絵が網膜から消えることはなかった。確か数十年ぶりに日本に来たとかで当時は結構騒がれていた覚えがある。今はもうすっかりおなじみとなってしまった「印象派」という言葉も、もともとは本作からとられたというのも有名な話である。

 モネがもともと住んでいた故郷が舞台だとされている。遠く靄のなかにぽっかりと現れるオレンジの少しゆがんだ夕日。それに向かって船を漕ぐ人々。私自身はアートをほんのちょっぴりかじっただけのずぶの素人だけど、その絵がひどく私の胸に何かを訴えてきているような心地がした。

 ああ懐かしい、でもひどく寂しい心地がする。船に乗っている人たちの心情が伝わってくるような気持になる。そしてまた、同じくモネの書いた『黄昏、ヴェネツィア』もひどく私の心をついた。かつて私が旅した場所が描かれているという事実に対して、これが彼の見えていた世界なんだと妙にしみじみと感じ入ってしまった。

 なんといっても、水面にゆらゆらと映る影がそこはかとない侘しさを感じさせる。一時期、モネは日本の浮世絵や自然に踏襲していた時期があったというので、そうした日本人が古来より大切にしてきた「わび・さび」の心が息づいているのかもしれない。

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 とまあまーた前置きが長くなってしまったが、実は今年はモネイヤーらしく、様々な美術館で展覧会が催されている。本当は去年の末にも開催されていたのだが、それはタイミングを逃していくことかなわず。

 そして最近になって、写真を通じて知り合った友人たちからお誘いを受けまして、意気揚々と赴いたわけであります。場所は、東所沢にある角川武蔵野ミュージアム。ちょうど、「モネ イマーシブ・ジャーニー 僕が見た光」という展覧会がやっているから見に行かないか、というお誘いでした。最近どうも出かけるのが億劫になっていた(暑すぎ暑すぎ暑すぎてー!)ので、引っ張り出してもらえてうれしかったです。

 最初はミュージアムにある角川食堂で腹ごしらえをした後、いよいよ館内へと足を踏み出す。ミュージアム自体は、確か3年ほど前に一度訪れたきりだったので、久しぶりということもあって少し新鮮な気持ちになった。

 そして入り口から、モネの世界観が好きな人にとってはたまらない、モネの庭「睡蓮の池」をイメージしたスペースがあった。これがもう少し年若ければテンション上がりすぎてその場でぴょんぴょこ跳ねていたことだろう。さすがにやりはしなかったが。小道具も用意してあったりして、さすが若者の心を分かってらっしゃる……と、ちと唸ったなり。

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 いざ中へと足を踏み入れてみると、印象派の人たちが出てくるまでのそれまでの絵の潮流がわかりやすくパネル形式で紹介されていた。それまではロマン主義だとか新古典主義だとか写実主義だとか。印象派の前に作品を描いていた人たちも、何か新しい作品を生み出せないかと四苦八苦していたことがうかがえる。

 そのころ、画家たちが評価される場としては厳粛なルールにのっとったサロンがあった。最初は、印象派の人たちは全く受け入れられなかった。私がちょっぴりかじった絵画の知識だと、それまではどちらかというと宗教だとかギリシャ神話になぞらえたものが多かったから(これも確か何かでかじった知識だが、もともと絵が普及するきっかけになったのは、宗教を文字の読めない人たちにもわかってもらうためだったとかなんとか。完全に知ったかぶりなので正しい知識を持っている方、ぜひ教えてください……)

 とまあ、まーた脱線してしまったのですが、より大切なのはこの後で、一通り印象派に関する知識を身に着けた後で、突如として終焉に暗幕が現れるのである。そこをぴらっとめくると、そこは確かにイマーシヴ(没入感)にはまれる世界が広がっていた。ここら辺は詳細省きますが、今まで私が見ていた絵画の世界がそのまま現実に現れたようで本当にわくわくした。

 ひとによれば、この試みは邪道と言われるかもしれない。芸術をもてあそんでいる、と。でも、実際にその空間にいる人たちの顔を見れば歴然で、彼ら彼女たちは確かにその世界観に酔いしれていたのである。かくいう私も流れるクラシックと、移り変わる景色に心が、ただ弾んでいた。これはまた、新しい形のアートなのかもしれない、と思った。今という時代に合わせたあり方なのかもしれないと。

 1月まで企画展は開催しているそうなので、ぜひお近くに住まわれている方行ってみてください。できることなら私自身も記憶を消して、いやむしろ消さなくてもよいからまたあの世界観に浸っていたい…と思った時間でした。

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 余談ですが、その展覧会の中でモネが語ったと言われる言葉も映像として映し出されていました。その中に、

ほんとうに海を描くには、その場所の生活を熟知するため、同じ所で、毎日、毎時間、眺めつづけなければならない。だから、僕は同じモチーフを4回も6回も繰り返し描き続けている

という言葉が出てきて思わずハッとしてしまった。何もその言葉に感銘を受けた、というわけではないのだが、最近こうして毎日のように文字を書く習慣を復活させることによって、結局何か新しい世界を見たいのであればモネのように習慣を続けるしかないんだろうな、と思った次第です。

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だいふくだるま
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