【読書記録】ローマ人の物語ⅩⅤ ローマ世界の終焉 / 塩野七生 ②
塩野七生先生のローマ人の物語XV ローマ世界の終焉 を読み終えたので記録します。
前回の記事は以下になります。
要約
西ローマ崩壊後
西ローマ帝国はオドアケルによって滅ぼされました。
滅んだといっても市民が全滅したというわけではなく、皇帝が退位させられてその後を継ぐ者がいなかっただけです。
オドアケルは皇帝ではなくレックス(ゲルマン民族内でいうところの王)を名乗り、引き続きイタリアの地を統治します。
またオドアケルは既存の政治体制をそのまま維持します。
それはつまり、官僚も長官も元老院も温存したということになります。
そして彼自身はアリウス派で、イタリア市民の多くはカトリックでしたが、弾圧するということは決してしませんでした。
従って西ローマ帝国の崩壊後も市民生活はそのまま維持されたようです。
テオドリックと東ゴート王国
東ローマ皇帝ゼノはイサウリア人であるという理由で市民から嫌われており、貴族からも成り上がりとして軽んじられていました。
そういった背景もあり一度は追放されることになりますが、東ゴートの若き族長テオドリックが力を貸したこともあり、1年後には復位しています。
その恩もあり、ゼノはテオドリックに「貴族」の称号を与えます。
一方でいつ東ローマに攻撃を仕掛けてくるかわからないテオドリックはゼノにとって脅威でもありました。
そのテオドリックはイタリアの支配を目指してオドアケルに戦争を仕掛けるということで、矛先が自分に向かないことを喜んだゼノはテオドリックを支援します。
そんなわけで東ローマ帝国のお墨付きを得たテオドリックはイタリア侵攻を開始します。
彼は戦闘を優位に進めるも、ラヴェンナに籠城したオドアケルを倒せずにいました。
そこでラヴェンナ司教仲介のもと、オドアケルとの間に講和を成立させます。
こうして入城したテオドリックはあっさり裏切り、オドアケルとその家族・家臣を殺害してしまいます。
こうしてイタリアはテオドリックの支配下に入り、「東ゴート王国」となりました。
彼はオドアケルのように、既存の統治体制を温存しました。
そして72歳で死ぬまでの33年間、善政を維持しました。
ユスティニアヌス大帝
後に大帝と呼ばれるユスティニアヌスは貧しい生まれでしたが、東ローマ皇帝である伯父ユスティヌスの政治を助けたこともあり、共同皇帝の地位を得ます。
そしてユスティヌスの病死により、単独皇帝となります。
彼は「ハギア・ソフィア」というそれはそれは壮大で壮麗な教会を建立しました。
また「ローマ法大全」編纂という大事業も成し遂げます。
その名の通り、膨大なローマの法律をまとめ上げたものになります。
こういった叡智の結晶とも言える事業を成し遂げた一方で、アカデメイアの廃校を命じてもいます。
古代から続いた学問の中心地も、キリスト教世界にとっては不都合な存在であったということがよくわかります。
そして彼のもう一つの成果がビザンツ帝国の最大版図達成でした。
当時東ローマは相変わらずササン朝ペルシアと戦争をしていましたがその停戦を申し入れ、ヴァンダル族が支配する北アフリカ攻撃への準備を整えます。
このアフリカ侵攻を指揮したのはベリサリウスという家臣でした。
ベリサリウス
ベルサリウスはアフリカの地に残されていたローマ人たちの信頼を確保することで、ヴァンダル族本拠地へと簡単に進軍します。
そしてヴァンダル族の打倒に成功します。
その後の統治は帝国から送られた皇宮官僚に引き継がれます。
ヴァンダル王国を滅ぼしたベリサリウスは一度首都コンスタンティノープルに凱旋しますが、それも束の間で今度はイタリアの奪還を命じられます。
彼に与えられた兵数はなんと7,500でした。
この少数で東ゴート族20万人と戦うことを命じられたのでした。
それでもナポリの攻略を成功させ、ローマへの入城も果たします。
その後は苦しい苦しい籠城戦が待っていました。
ローマはヴァンダル族に包囲され、食料は少しずつ減っていきました。
それでもヴァンダル族にも打撃を与え続けることには成功し、ようやく休戦へと至るのでした。
ベリサリウスはこの間にユスティニアヌスに食糧と増援を要請します。
ユスティニアヌスはこれに応えますが、ナルセス将軍という余計なおまけを付けてきます。
せっかくの増援も別将軍配下なのでベルサリウスの思うように戦争は進められず、時間を浪費してしまいます。
これには兵士側からも不満が上がったのか、ユスティニアヌスはナルセスだけを引き上げさせます。
ようやく増援を手にしたベリサリウスは、東ゴート族長ヴィティジスが籠城するラヴェンナを攻め、降伏させるに至ります。
戦役の立役者であるベリサリウスは、その後すぐに帰還を命じられます。
今度はペルシアとの戦争に出向けとのことでした。
イタリアの地には別の将軍が複数送り込まれますが、これは愚策でした。
この期にトティラという新たな東ゴート族長が力を付け、兵力を集結させていました。
結局にっちもさっちも行かなくなったイタリアの地へ、ベルサリウスは再び送られることになったのでした。
しかしまたもやろくな兵数を用意してもらえず、結局トティスに決定的な打撃を与えることはできませんでした。
そのままベルサリウスは本国に呼び戻され、名誉は与えられますが閑職に追いやられます。
そんな中で、皇帝ユスティニアヌスが死去したという誤報がベルサリウスの耳に入ります。
彼はこの誤報を信じてしまい、猛烈に皇帝への批判を行いました。(気持ちは分かります…)
それを知ったユスティニアヌス帝は激怒し、全財産の没収と自宅監禁を命じたのでした。
半年後にはその罰は白紙に戻されるのですが、それも束の間で8ヶ月後に死を迎えたのです。
ゴート戦役の終了とイタリアの死
ベルサリウスが引き上げた後のイタリアには再びナルセスが送り込まれました。
彼はロンゴバルド族を登用しつつ戦役を進めます。
そうして会戦の末、族長トティスを討ち取ることに成功します。
こうして18年も続いたゴート戦役は終了したのでした。
この間にイタリアは荒れ果て、一応形だけは残っていた元老院もその存在自体が消滅することになりました。
ナルセスはこの地を引き続き統治する権限を与えられていました。
ユスティニアヌスがこの戦役の費用を取り戻したがっているのを知っていた彼は、イタリアの市民に凄まじい重税を課しました。
蛮族の下で平和と善政を享受していたイタリアは、同胞であるはずの東ローマ帝国によって徹底的に痛めつけられたのでした。
ユスティニアヌスの死
ユスティニアヌス大帝はハギア・ソフィアの建立、ローマ法大全の編纂、そしてビザンツ帝国領土を最大に拡張するという偉業を成し遂げました。
一方で帝国の財政には深い痛手を与えたのでした。
彼は83歳という長命を全うし亡くなりましたが、その後を次いだユスティヌス2世は以下のように言明したとのことです。
ユスティニアヌスの死後3年後にナルセスも死に、せっかく手にしたイタリアを今度はロンゴバルド族に奪われることになります。
その後イスラム勢力が力を増すのにつれて、帝国の勢力は衰退していくのでした。
感想
15作にわたる「ローマ人の物語」シリーズをようやく読み終えました。
よくある歴史書とは違い、このシリーズでは「人」にフォーカスが当てられています。
それゆえに淡白な出来事の紹介ではなく、大変ドラマチックに歴史を感じることができます。
塩野先生の洞察による推測も多分に含まれるため歴史書として扱うのは問題があるかもしれませんが、「歴史って楽しい!」と思えるのは間違いありません。
ローマの歴史には人類史が凝縮されているように思えます。
王政から始まり共和制を迎え、市民の代表としての帝政の後には絶対君主制に変容する流れは長命の国家だからこそ持ち得る歴史と言えます。
兵士の職業化・インフラ整備・兵站の合理化により無類の強さを誇り、しかも征服した民族に自治権を与えることでwin-winの関係を築くやり方は、当時では大変独創的であったはずです。
力だけでなく「寛容」により仲間を増やすというやり方は、現代人にも気付きを与えてくれます。
そんな最強の国家も、外圧と内政の失敗により徐々に弱り、遂には滅亡へと至ります。
こうした過去を学び、未来の世界を見る洞察力を得られるのが歴史を知る何よりの楽しみだと思います。