理解者の存在
幼少期
遡れば幼い頃、私の家庭は両親が不仲でした。結果、両親は離婚し小学生低学年の頃から、シングルマザーの元で過ごすことに。母は仕事に家庭に常にいっぱいいっぱの状況。いつも現状の大変さは父のせいと口癖のように言っていたことは今でも覚えています。やむを得ないことですが、子供の声に耳を傾ける余裕がなく、他責にしていたのかもしれません。自分自身の一番身近で、信頼できるはずの親から理解を得られず、将来への不安や、自分自身で全てを背負ってしまうような生きづらさを感じる人は少なくないのではないでしょうか。
学生時代
義務教育期間である中学生までは、自分自身で方向性を決めるという分岐点に立つ事はあまりないかもしれません。しかしそれ以降の将来については、自ら決断していく必要が出てきます。上記のように「親」というものに信頼できないとなると、将来に悲観する事も少なくないのではないでしょうか。理解者がいれば、気軽に相談し背中を押してくれるはずが、決断することができずフリーターやニートになってしまうこともあると思います。また、私の場合、転校が多く、田舎から都会に出てきた時は言葉の訛りが恥ずかしく、中学3年生の頃はほとんど学校でしゃべることがありませんでした。そういった事をからかわれて軽いいじめのような経験をした事もあります。もちろん親には相談できずに1年間切り抜けたものです。
就職・転職
社会経験のない状態でしなければならない就職活動。自己分析や様々な方法で自己理解を深めようとしますが、なかなか難しいものです。自分の思う自分と他者から見た自分、それに大きな乖離がある場合もあります。また、社会に出たあとも転職を考えることもあるでしょう。私自身5回の転職経験があります。転職エージェントを使ったこともありますが、求職者に対する理解がされているとは思えません。それは当然で、職業紹介というのは、企業から報酬を得てエージェントは動いているので、いかに効率よく採用してもらうか、に重きを置くようになる事は言うまでもありません。また本当に求める働き方を素直に言うこともできませんでした。男性だから残業を厭わずバリバリ働く。家庭重視でバランスを取りたかったのですが、そういった理解をしてもらう時間的余裕も、サービス構造もありませんでした。
働くということ
働くことは環境に大きく左右されます。どれだけ能力があっても環境が整っていなければ、能力を発揮することもできません。ですが、今の社会ではどんな時も労働者が適応できないと見られてしまう。それが我慢へと繋がり、真面目な人ほど、頑張り過ぎてしまう。本来上司が、そういった心の変化に気づくことや、環境を整備する立場にあるはずが、会社側の声にばかり耳を傾けたり、自分の保身を考えるあまり、部下とのコミュニケーションが疎かになってしまっています。(本来そのようなマネジメントのできない上司は評価されない仕組みも必要ですが…)そして労働者は孤立し、最悪のケースではメンタル不調に陥ってしまう。そんな現状が今の社会にはあるのではないでしょうか。
医療という側面
メンタル不調に陥ると、様々な思いを巡らせてしまいます。不安や焦り、考えても答えが出ない。でも考えてしまう…こうして自己否定に陥ってしまいます。都度吐き出せる環境があれば良いのですが、うつや不安障害などのメンタル疾患は、なかなか周囲の理解を得るのが難しい病気です。よって思いや悩みを吐き出せる環境がないと思います。では病院は何をするのかと考え見た時、症状に対する対処療法がほとんどでしょう。人となりを理解し、思いを汲み取るような事はなかなかしてもらえません。また一日に多くの患者さんを診るわけですから、時間をかけている余裕もないのでしょう。そして、通院は月に1回程度。なかな日々の思いを受けてとめてもらえる環境がありません。
理解者の存在
私には理解者といえる存在がいた時期が3度ありました。どの人も然るべき時に現れて、然るべき時に離れていきました。離れたと言ってもケンカ別れしたわけではありません。距離が離れたという言葉が適切かもしれません。1度目は仕事で大きなプロジェクトを担当することになった時。それまでは会社の言う通り安易にパッケージシステム(既製品)の導入を進めようとしていたところに、「それでいいの?」と立ち止まることを教えてくれ、仕事への思いや、そのプロジェクトに掛ける思いを聞いてくれ、だったら会社へスクラッチ(オーダーメイド)を提案しようと共に動いてくれた人でした。この頃はとても仕事が楽しかったです。2度目は資格試験に合格した前年、同じ試験を目指す同志でした。同じくなぜ目指すのか、取得した先に対する思い、現状の不満など深い部分を理解してくれる人でした。そして翌年合格することができました。3度目はメンタル疾患になった時。日々家に一人でいることが多くなり、悲観的な事ばかり考え将来にあきらめていた頃、話を聞いてくれ、色々な選択肢があることを教えてくれたり、外に連れ出してくれる人でした。それによって徐々に当初よりは前向きになっていくことができました。
このように自分を理解してくれる人がいれば、逆境にも立ち向かっていけるし、一番は自分の行動に自信を持つことができる。そう信じています。
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