ウィル・スミスはこうすれば良かった
アカデミー賞という晴れの舞台で事件が発生。コメディアンのちょっとデリカシーに欠けたイジリに我慢できなくなった米俳優のウィル・スミスさんが、壇上に上がってビンタをかましてしまったという事件だ。
「妻のことであれだけ怒れるなんて格好いい!暴言だって暴力の一部なんだからあの平手打ちは許して然るべき」という意見や、「それでも暴力に訴えるほかの手があったはず」という意見、さらには昨今のウクライナ周辺の侵攻になぞらえ、ウィル・スミスとゼレンスキー大統領を並び称して語る人も現れたりなど、複雑な賛否両論の世界が生まれた。
個人的には、確かに格好良かったけども、後味は悪くなっちゃったなぁという印象・・・そこで、自分なりに「ウィル・スミスさんはこうすれば良かった」という架空の物語を作ってみた。
殴らずにその目的を達したかも知れないウィル・スミス
殴らずに「殴った」レベルの抗議が出来れば良い
個人的には、暴言も立派な暴力であると考えるのだが、世間的にはそれでも実際に身体的外傷を与える暴力の方が重く見られる傾向にある。ただ、殴るには殴るなりのメリットも少なからず存在する。それは、相手や周囲に自分が感じた心の痛みをこれ以上なくストレートに伝えられるというメリットだ。そのメリットだけをうまく享受することができないか、と考えてみた。
となれば、社会通念的に「あれは殴ってないけど殴ったに等しいレベルの抗議である」という認識が持たれる一つの象徴的な行動があればいいという話になるのである。
それから、突発的なことであることを想定すると、事前に何か準備をすることは不可能だ。その日その時、身の回りにあるものしか使えない。
以上を総合すると、「身につけているものを押しつけるように渡す」というのが象徴的かつ非暴力的であり、渡されたものを「返す」というイベントが発生するので謝罪のきっかけも作れる最適な行為ではないか、という結論に達したのだ。
ウィル・スミスは伝説を作れたかも知れない
この行為はまだ社会通念になっていないので、やったとしても意味不明の行動である。だから、著名人が最初にこれをやって、以後に続く人が真似できるような「事件」が必要だった。そういう意味では、彼がとっさにこれを思いついて実行していれば・・・伝説になったかも知れない。
私がなんかの拍子にウィル・スミスレベルの著名人になって、同様なことが起きたら実践してみたいと思う笑