カティサークのこと
カティサークが好きだ。美味しいウイスキーは数あれど、最後に帰ってくるのは、このウイスキーのような気がする。700mlで1000円ちょっとの、決して高くはないウイスキー。シングルモルトや、高級なブレンデッドのような奥深さやパンチはない。でも一口飲めば、間違えようがない個性。ライトでスムースな、という形容詞には収まらない何かが、このお酒にはある。
私がカティサークを飲むようになったのは、村上春樹の小説の影響だった。彼の小説にはなぜか、カティサークが何度も登場する。例えば、『ねじまき鳥クロニクル』の第1部「泥棒かささぎ編」第9章。区営プールで泳いだ後、眠ってしまった「僕」は、夢の中でホテルのバーに座っている。スコッチのオンザロックを注文すると、バーテンダーに「スコッチは何がよろしいでしょうか」と尋ねられ、僕は「カティサーク」と答える。「銘柄なんてべつになんだってよかったのだが、最初にカティサークという名前が頭に浮かんだ」のだ。
このバーテンダーは、村上文学に何度か出てくる「顔のない男」だ。異界への水先案内人。僕の腕を取ったバーテンダーは、ホテルの廊下を通って、ある部屋へと誘う。部屋番号は208。バーテンダーは室内の戸棚を指し、「ウイスキーならそこいくらでもあります。たしかカティサークがよろしいんでしたね」といい、僕を部屋に残して立ち去る。そこに、かの不思議な女性、加納クレタが登場する。
カティサークは第2部にも登場する。涸れ井戸の底に座った僕は、夢の中で、あのホテルの廊下を歩いている。すれ違った客室係のボーイが持っていたトレーには、カティサークの瓶が載っている。ボーイが向かった部屋は208号室。第3部でもやはり、僕は208号室にたどりつき、カティサークの瓶を目にする。そこで何かが起こる。決定的な何かが。
村上文学にとって、208というのは重要な数字らしい。『1973年のピンボール』に出てきた双子の女の子は、それぞれ「208」「209」と書かれたトレーナー・シャツを着て、僕の部屋に住み着いた。『ねじまき鳥』の加納マルタ・クレタ姉妹も、この双子と同じで、僕が異界へ旅立つ時の霊的パートナー、巫女のような存在だ。
208という数字や、カティサークという銘柄に、暗号のような特段の意味はない。それはただ、異界への入り口を示す符丁なのだ。
村上春樹は、ウイスキーの銘柄のような世俗的なものを、異界の象徴に用いることを好む。『海辺のカフカ』では、カーネル・サンダースの人形や、ジョニー・ウォーカーのラベルがそれだった。『ノルウェイの森』ではビートルズのヒットナンバーが、物語の導線となる。『1Q84』ではエッソの看板の虎が、もう一つの世界の目印になった。
商業的で、卑近なものが異界への入り口となることで、私たちはより一層、現実と地続きのものとして、物語世界に引き込まれる。そしてそれらの商品や広告のキャラクターたちは、村上春樹が批判的に、時には親和的に描いてきた高度資本主義社会の象徴でもある。
「冒険精神は、私たちみんなに息づいている」。帆船が描かれた、カティサークのラベルの冒頭に記された言葉だ。こう続く。「それは、私たちが正しいと信じることを行う勇気であり、己の真の姿を求め、異質であろうとする情熱の印である」。最後の言葉はシンプルで力強い。「これは独創的で、飲みやすいスコッチである」
追記 『象工場のハッピーエンド』に、「カティサーク自信のための広告」という文章があることを最近になって知った。文章ももちろんだが、安西水丸のイラストが実に素晴らしい。
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