一秒先の彼と彼女
わたしはファンタジーが好きだ。
そして優しいコメディーも好きだ。
どちらも感じることができるこの映画は
とうぜん好きになるだろう。
「天然コケッコー」で知った岡田将生くん
この映画「一秒先の彼」の主人公の役どころ、
岡田将生くんをはじめて知ったのは、彼が10代の頃だった。
「天然コケッコー」という、くらもちふさこさんの漫画を映画化した作品だった。
10代の岡田将生くんが東京からの転校生として地方の田舎の小学校から中学校までをひとつにした学校に現れて、主人公のそよちゃんがその第一印象を「イケメンくんやん!」と言ったときが彼を知った最初だった。
背が高くて色白でイケメンの彼が春馬くんの友達だったと知って、ふたりが伊勢神宮や京都の伏見稲荷神社に一緒に旅をした話しを聞いたときには
天然の春馬くんは『案外、気がつかれなかった』と
言ったそうだけど、「いや、春馬くん、そんなわけはないよ」とわたしは突っ込みたくなる。
だって若き日の三浦春馬と岡田将生がふたりで並んで京都の街を歩いているんだよ。
目立たないわけがないやん!と思う。
きっとどんなに目立っていたことか!
そんな春馬くんとは別のイケメンの岡田将生くんが、性格が悪いのかクチが悪いのか「残念なイケメン」が似合うこんな性格俳優さんになるとは思ってもみなかった。
一秒先の彼
そしてこの「一秒先の彼」は、あの「天然コケッコー」の監督だった山下監督で脚本が宮藤官九郎さんだと知ったときには、あの映画の不思議な美しいシーンや時間の流れかたにリズムやテンポが違うこの映画を表現するのになんてぴったりなコンビだったんだろうと思う。
主人公のひとりは岡田将生くん演じるハジメ。
ハジメはせっかちで人生を一秒早く生きているようになんでも早い。写真を撮ればかならず早くタイミングを取って目を閉じてしまうし、
徒競走をすれば常にフライング。
人生を生き急いでいるの?というぐらいになんでもせっかち。郵便局に勤めていて配達員をしているけれどワイルドスピードを地でやって、いつも警察にスピード違反で捕まり、免停になって窓口勤務になってしまっている。
そんな彼はイメージどおりの京都人らしく?
市内地図を赤のマジックで書き込みながら
「京都にあたるのは、この四角の中の洛中だけね。外側の洛外は、実は京都じゃない」と、いじわるく言って残念なイケメンぶりを披露している。
そして「黙っていればイケメンなのにお兄ちゃんは、残念ね」と妹にまで言われてしまう始末だけれど、
これこそが岡田将生なのだと思わせるところが彼の性格俳優たるところだと思ってしまうのだ。
そしてもうひとりの主人公が清原果耶さん演じる
長宗我部れいか。
彼女は、この人生を一秒遅く生きているヒロインだ。彼女の人生はハジメとは、真逆でなんでものんびりなひと。カメラが大好きでいつでもクビからぶら下げているカメラ小僧ならぬカメラ女子だが、シャッターチャンスに動いているものは、ことごとく遅く撮ってしまい、蚊を仕留められたこともなく、
映画を観に行っても、笑いのツボの反応がふつうの人よりも遅れている。
そんなれいかは、毎回一通ずつ手紙を書いて窓口のハジメのもとに切手を買いにやって来る。
ハジメは毎回一通ずつ持ち込んでその都度切手を一枚ずつ購入する彼女に「シートで買わないの?
毎回一枚ずつなんていちいち順番を待たなきゃいけないし面倒くさいでしょう?」と声をかけるのだが、
れいかは戸惑ったようになにも言わずに毎回、一枚ずつの切手を買いにハジメのもとに順番を待って買いに来るのだ。
じつはれいかには背景があっていつもクビからぶら下げているカメラはお父さんの形見。
彼女は子供の頃に自動車事故で両親をいっぺんに亡くしている。その時、れいかも重症を追って病院で身動きがとれない。幼い彼女は、たったひとりでこの世に取り残されて身体中をベッドに拘束されて、これから自分の身体がどうなるのか、亡くなってしまった両親にたいする悲しみと残された自分がどうやってこれから生きていくのかと絶望していたときに、
同じ事故で巻き添えをくらって入院していたハジメに出会う。
ハジメは絶望感でいっぱいだった彼女に寄り添い、
一緒に少しずつ笑って元気づけて彼女の心と身体の回復を助けていくのだ。
れいかの骨折した足のギブスに自分の名前とれいかの名前を相合傘で書き入れて、さきに退院することになったハジメは手紙を書くという。
れいかはこれから先の自分の人生がわからないから、
父の残された遺品の中にあったく郵便局の私書箱の住所と合鍵を渡して、自分への手紙はここに送って欲しいと頼む。
その私書箱は、のちにれいかを引き取ったおじいさんの住む街の郵便局には近かったけれど
ハジメの住む街からは遠く、ハジメの住所を聞いていなかったれいかとハジメは次第に音信不通になってしまう。
そしてふたりは何十年も交流なく、次第にせっかちなハジメはすっかりれいかのことを忘れてしまう。
もらった合鍵もどこの鍵だったかさえも忘れてしまうのだ。
感想
クライマックスのシーンは、京都の街の時間が止まるところだろう。
映画では早いタイミングで起こる。
京都の市バスが走るちょうど平安神宮の前で
全ての時間がその瞬間に止まってしまうのだ。
よく映画やドラマで見る時間が止まって
人々や動いていた車や自転車やバイクがその瞬間に止まってしまうシーン。
歩いていたひとが手に持っていた風船が風に揺れている。そう風だけは時間が止まらないのだ。
そしてれいかと市バスを運転していた運転手さんだけがその世界で動いているひとだった。
このシーンは、さすがの山下監督だった。
美しくて、綺麗でリアリティがありながらの再現度に
ほんとうに自分が知らないだけでこんなことは、
もしかしたら起こっているのではないかと願ってしまう。
その世界でハジメも市バスに乗っていて、ほかの人たちと同じように時間が24時間止まってしまう。
動いているのはれいかと市バスの運転手さん(荒川良々さん)。
そしてじつはハジメが学生の頃に家族を置いて蒸発したハジメのお父さんも動いているひとだった。
ハジメのお父さん(加藤雅也さん)は言う。
人生は、人それぞれ生きている時間がその人によって違うんだよ。だけどどんな下手くそな人生を歩いていたとしても人生はどこか等しくてね、
まるで置いてきてしまったような時間に追いつくようにこうやって時間が止まることがあるんだよ。
と。
のんびり人より遅く生きているれいかが同じ時間を生きるように人生をみんな等しく生きるために時間が止まって追いつくのを待っていてくれる。どうやらそういうことらしい。
24時間経って動き出した時間の中でハジメには、
失った一日があることに気がついていく。
そしてここから彼はその不思議を追って怒涛の伏線回収をしていくのだ。
「一秒先の彼」が楽しくてその原作となった台湾映画の「一秒先の彼女」も観てみた。
台湾第57回アカデミー賞(金馬奨)で最多5部門となる作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、視覚効果賞を受賞したそうで台湾映画では、生き急ぐハジメが女性になっていて、れいかの設定のカメラ小僧が男性になって、日本映画とは真逆な設定だった。
そしてそれぞれな映画の、のんびりな彼と彼女が
精一杯不器用に生きて、彼等の相手を想う気持ちが
手紙を出し続ける行為にあふれていてとても切なくて
あたたかい映画になっていた。
人生の生きていく時間は人それぞれ、
せっかちな人ものんびりな人も自分以外のひとにはなれない。そのなかで一生懸命生きていく。
そんなことを考えた優しい映画だった。