古今叙事大和本紀 第三章 服部一族の秘密 1
明石海峡沿いを歩きながら和気藹々と路を進ませていた。
昨晩はというと、人生初の呪いに苛まれた影響か、只疲れていただけなのかは皆無なのだが、岳の意識は一向に覚める気配はなかった。
どうしようもなく思った天鈿女は、とりあえず吉備津彦に岳を担がせて、この集落最大であり、最高の宿である『播磨庵』で男衆と共に敢えなく一泊する事にした。
今まで宿をどうしていたかを白状すると、実は吉備津彦と岳津彦は野宿をし、天鈿女はそこらの宿に身を寄せていたのだ。
流石に今回は「野宿しなさい。」とは言えず、まさか吉備津彦にだけそうさせてしまう程、無粋な事もできない。どうせ天孫本社の経費で落ちるのだから、一部屋も二部屋も天鈿女には関係ない話なので、成人男性、未成年と二人。聖人女性一神という振り分けで宿をとった。
幾ら現天皇の大叔父という事でも、生身の人間である以上は平から出世する事はない。
ちなみにどういう立場の民が財団法神、天孫の平であるかという事を説明すると、吉備津彦のような皇族系統の民は、平の中で大分上の扱いを受ける。
国や集落を統治する民は基本天孫社員で、様々な審査を施されて、まるで派遣されるようにその地に生を成す訳なのである。
もっと掘り下げて説明すると、財団法神、天孫の名誉会長である伊弉諾尊様が毎年千五百の民御霊を創造させている中、大昔に嫁という立場に君臨していたが、すったもんだ一悶着の結果、決別したといういわくのある伊邪那美命様が、どういう訳か千の民御霊をどこかへ掻っ浚っていく。
決別したのに何故に会社に在籍しているのか…。まあ、それは良いとしても、その行為に対しての論争が、昔から密かに交わされ続けていた。
数々の噂の定説が一番残酷で、男女の痴情の憎悪により、それらをわざと殺めているのではないかというのが専らなのだが、密かながら末端の末端にまで優しい光を浮かべながら微笑みかける、女社員中の憧れであるこの大女神様が、そんな憎悪を駆り立てながらそれを行っているという姿を天鈿女は想像できない。
というより、信じたくなかった。
またまた別の噂によると、実は別生物の御霊に変換しているのではないかと仮説している者も少なくなかった。それは例えば、森の精霊であり、木々であり、水であり、風でありその他諸々。
余談ではあるが、どうやら火にだけは妙な嫌悪感があるようで、すぐ様、深い闇を覆わせてしまう描写を見たという話を聞いた事があったようななかったような…。
社内の噂で少し話がそれてしまったのだが、とにかくその残った五百の民御霊から、厳選に厳選を重ねて選考して派遣させているらしい。
平で数えきれない程の社員を抱える天孫なのだが、五課係長という立場の天鈿女でさえ、末端には違いない。
自身を含み、部下上司合わせ、八百万に上る役付きが存在しているこの会社は、国上げてのとてつもなく大企業なのである。
あ、当たり前の話であるのだが…(笑)
話は戻るが、今まで経費で会社からこのような施しなど賜った事のなかった平社員、吉備津彦がこの後どのような態度を示したのかはもう表現しなくても想像できるだろう。
しかもこのような宿に泊まること自体初めてらしく、いつもになくそわそわした態度が何だか可笑しいやら情けないやら…。
天鈿女は思わず吹き出しそうになる感情を窘めた。
そして、それぞれ様々な想いを馳せながら、ある意味違う形の夜を過ごし、今日を迎えた。
岳もすっかり体力を取り戻し、吉備津彦とクラーケンとの戦闘中にそれぞれが思った戦術の反省や、次回有事が起きた時の対処法、その他諸々の事を激論させながら路を進ませていた。
右手には明石海峡が朝の光を水面に遊ばせながら悠然と広がり、この時間だと朝一の漁から戻ってきたと思われる何隻もの漁船が風に靡きながら漂っている。
何とも静かで、美しい朝だと天鈿女は思い、思わず斜光に目を眩ませながら右腕で影を作らせて天を仰いだ。
今まで激論を交わしていた大声がいきなり止んだ。ふと、二人の方へと視線を向けてみると、どこか神妙な面持ちで語り始め、その内容は岳が呪いに苛まれた件についての事であった。
「岳津彦よ、儂はこれまで幾度になく戦に携わってきた故に、呪縛等の抗体も兼ね備えている訳だが、汝はどう足掻いてもまだまだ童じゃ。それらから装飾品か何かの効能で身を護らなければ…。必ずや今後も起こりうる…。」
「あの刻は真、死ぬかと思った…。しかし、装飾品と申されても何があるというのじゃ?」
「いや…、実はそれが問題なのじゃ…。」
腕を組ませ、悩むように頭を傾けながら地を這うような呻き声を上げた。それに続き、岳も同じような仕草を見せる。
そういえばと思ってみると、吉備津彦の歳からして、岳くらいの子がいても不思議ではない。
厳めしいおっさ…。否、大男の横で、どちらか言うと華奢な体つきの少年が同じ恰好をしながら悩んでいる姿は、兄弟というよりも親子のようと表現した方が適切ではないかと天鈿女は思い、様々な想いを馳せては、良からぬ想像に苛まれて思わず嗚咽してしまいそうになった…。
否、そんな事を言っている場合ではない。
実は天鈿女はこの二人が悩んでいる事に思い当たる節があるのだ。
「吉備津彦、この先にある服部(はとりべ)って場所知らない?」
普通の声で滅多と話かけられた記憶がない事と、先日の出来事により、『査定に響く』という言葉がずっとこの心に憑依しているという事で、天鈿女が放った普通すぎる声に吉備津彦は大層困惑してしまった。
しかしながら、ここで何とか名誉挽回しなければ天孫に対しての自分に明日は訪れないと思い、満面の笑みではきはきとした口調で言った。
「もちろん存じ上げておりますぞ。金色の光を放つ一羽しか存在しないと囁かれている伝説の鳥から何枚もの織物を織れと朝廷から命じられ、刻には傷つき、そして悲しみ、肩を叩きあい、励まし合いながら今を生きている気の毒な一族の愛の物語ですな…。いやぁ、あれには流石の私も感涙いたしましたよ、ええ…。」
何かが着色されているような…。どこかがおかしいような気がしなくもないが、修正するとまたややこしい事になりかねるのと、前半部分の言っている事は大体あっているという事で、天鈿女は何となく相槌を打って強引に話を進ませた。
「どうやらその織物には、自身が持つ全能力を引き上げてくれるという効能があって、その他にもどんな呪いも跳ね除ける力があるらしいの。だから天孫のお上達が纏うお召し物は全部服部の織物から作られているものなんだって誰かから聞いた事あるのよ…。」
「ほほう、なるほど…。天鈿女様はそれで岳津彦の衣を作りたいと、そう申しておられるのだな。」
吉備津彦の的確な予想に、天鈿女は驚きを隠せない様子で呟いた。
「アンタ、脳みそまで筋肉でできてると思ってたけど意外と聡いのね。少し見直したわ…。正しくその通りで、何とか一枚だけでも譲ってもらえないかなって思ってんだけど…。」
その言葉に吉備津彦はピクリと身体を揺らせて沈黙した。
「見直した…見直された…。」
呟いた言葉は口先で止まり、何を発されたのか周りには伝わらなかったが、どこか様子がおかしい事は一目瞭然である。しかし、それはいつもの事だとさて置かれてしまうという、既に居た堪れない吉備津彦…。
先ほどから二人の会話を黙って聞いていた岳津彦が思わず口を挟んだ。
「よくは理解できないのだが、その仰々しい物を私のような民が召して罰が当たらないのだろうか…。」
その言葉にいつもの大きい瞳を鋭く尖らせて、天鈿女は岳に叫ぶように言った。
「何言ってんのよっ!!!アンタだから着なきゃなんないのよっ!!!ちょっとは自分の立場弁えなさいよ!!!」
「おおう、あめたんよ…。何時になく恐怖に塗れてしまうではないか…。」
どこか間違いを確認するように天鈿女に視線を向けてみると、顔を俯かせて、眼の辺りに影を覆わせながら、何故か身体を小刻みに震わせている。
そして、まるで呟くような口調で言葉を発した。
「こうなっちゃうと、何としてでも岳にその衣を纏わせなきゃあの人に顔向けできないわ…。不可抗力だけど呪いを体験させてしまったんだから…。」
何だかとんでもない事が起きようとしていると思い、どこか助けを求めるように吉備津彦へと視線を向けると、顔を赤らめさせながら俯かせて、まだ何かを呟いていた。
体勢は類似している二人なのだが、醸し出す雰囲気がまるで正反対である事に確実なる違和感を覚え、暫く放置しようと背を向けた次の瞬間、二人からまるで雄叫びのような声が天を舞った。
「よおおおおおおおしっっ!!!!やるわよおおおおおっっっ!!!」
「我が誉れじゃあああああああああああああああっっっっつ!!!!」
余りにも同時に上がった声なので、多分お互いがお互いの声を確認できていないのだろう。まるで聞こえていないように、やはり二人同じような息遣いで肩を激しく揺らしていた。
そして二人は又もや違う路を歩むように、違う行動を展開していく…。
天鈿女は本来の気高くも優しい雰囲気へと戻り、岳の方へと視線を向けると、パチリと片目を瞑る合図を施し、背筋を伸ばしながら、路の先のそのまたずっと向こうの方角へと指を指した。
「行こうっ、服部へっっ!!!その羽織、この天鈿女様が、何が何でもぶんどってやるわっ!!覚悟してなさいっ!!!」
その横で拳を固く握らせて、天を仰ぎながらはらはらと漢泣いている姿があった。
「よかった…。我が首が繋がった…。父上様、母上様。そして崇神よ…、儂はこの地で懸命に生きておりまする、うんうん…。」
先にこの相反した姿に気がついたのはもちろんの事天鈿女の方であった。
「アンタ、何泣いてんのよ…。早く先を急ぐわよ…。」
その声に吉備津彦はピタリと涙を止めると、身体を直立させながら右の踵を左の踵に鳴らすように激しく合わせた。そして、右腕を横へと弧を描かすように放り投げると、次には手を光から翳すように額へとピシリと当てて、ハキハキとした口調で申し上げていた。
「ゐえっさあっ!天鈿女様っ!!」
「うん、分かればよろしくて…。さあ、行くわよ。」
もしかすると、天孫と言われている間柄に決められた独自の合図のようなものなのかと岳は思いながら二人の後を続いて足を進ませた。
背姿美しく、堂々と煌びやかに歩く天鈿女の横で、背姿は堂々とさせているのだが、足元がどこか覚束なく映る吉備津彦の姿を可笑しくてしょうがなかった岳は、その感情を誤魔化すかのように声を上げて、距離を縮ませ走った。
「お二方っ!!待って下さいっ!!!」
その掛けられた言葉に、二人笑顔で振り向かせながら、同時に親指を立てた仕草を見せてきたが、やはり岳には理解できなかった。
しかしながらどこも嫌な気も感じない、寧ろ肯定する雰囲気に包まれながら、漸く二人に追いついた。
服部一族の秘密 1 おしまい 2に続く