第39回文学フリマ東京で売る本 製作日誌5
インスタグラムで写真の投稿とともに、添えてある文章に衝撃を受けている。一息で駆け足で一文を綴り、感性だけで推敲もせず、写真投稿のついでに書いたような自己完結型の文章表現だ。女性の投稿者に多く、詩的とも言えない内容だから、その人の頭の中を見てしまったような感じがする。これはもうテレパシーの一種で、チャンネルや周波数が一致し、共感できる人にしか理解できないような文体であり、異質で、不気味だった。
複数人がそういうものを書いているので、これはもう、人類の言語感覚は進化したのかもしれないと思った。誰か元祖がいて、模倣され、自然に広まっているのか、インスタグラムのプラットフォーム特有の自然発生的なものなのだろうか。それとも、昔からこういう書き方があったものの日記の中だけで書かれており、人目に触れなかっただけなのだろうか。
私は、息子を連れて、競馬場に行った。家にいると、妻と本作りに関する問答をし続けなければならないので、気分転換が必要だった。妻は毎日、私に意見を求めたが、しばらく一人で向き合って貰ったほうがいいと思った。妻の書く文章は、先にあげたインスタグラムの文体などと比べ、推敲を重ね、既に読み手を意識して書かれたものになっているので、あとは本人次第だと思ったからだ。
府中競馬場の中央には、こども向けの豪華な遊具が揃っており、これまで様々な公園で見かけた個性的な遊具が一堂に集まり揃っているようなラインナップで、大人たちの欲望の残骸、外れ馬券で集まった予算で作られた子供のための楽園だと思った。素晴らしい循環が起きていると思った。
私は馬券を買ってみた。全く知識がないので、息子と好きな数字を話し合ったり、馬の名前でこれがいいんじゃないかなどと、独自の予想を立てて、購入。レースが始まる。馬がスタートする瞬間を間近に見て、滑らかに馬がコースを走る美しさは、まるで詰まりのない文章を読んでいるかのような気持ちよさがあった。馬と騎手との物語が、一斉に一着を目指して競い合う姿を見て、文学賞と馬のレースは似ているのではないかと思った。私が買った当てずっぽうの馬券はもちろんはずれた。
私は、20代の終わりまで、小説を書いていた。小さな文学賞で二度最終候補になり、取れなかった。大きな文学賞で一度選考を通ったこともあったが、序盤で落とされた。
タイの野外ロックフェスティバルで小説を音楽演奏にのせて、拙い英語で朗読したらことのほか反応が良かった、結構、満足感があった。
帰国して家に帰ると、同棲していた彼女から、「別れるか、結婚するかにしよう?」と笑顔で聞かれた。私がいない間に自分のこと、私のことそしてこれからのことをゆっくり考えたのだと思った。私はその通告から8ヶ月ほど、変わらずマイペースに創作活動をしながら、書店で働いていたが、出版社に転職をすることにし、後者を選んだ。
出版社で働き始めてから、出版の内側を知り、これまで私が信じていた本に関する神秘性が消え失せてしまったように感じたが、心のどこかでは、小説への未練が燻っていた。
今年になり、気まぐれに書いた短編が静岡県のブックコミュニティが開催する文学賞で大賞をとり、その記事が静岡新聞に載った。
今妻が育児エッセイ(私小説)書き始めたことで、私は当時のことを思い出して言葉にし、どうしたら、妻の書いたものが良くなるか、自分のやってきたことを思い出しながら、妻に伝えている。妻の文章は私には書けないものだった。情緒のある素晴らしい文章だった。
私は馬になってみたいと思った。騎手を乗せ、美しく走る馬の力強さに憧れを持った。
息子は「進撃の巨人」が好きだ。馬のレースを見て、調査兵団が馬に乗り、隊列をなして走る場面のことを重ねた。
競馬場からの帰り道、自分が馬になるので、調査兵団として自分に乗ってみない? と息子に言ってみたら、息子は「いいよいいよ、今年のハロウィンはそれにしよう」と言った。
その日以来、私たちの活動が始まった。私は馬になり、息子は緑のマントを着て、私に跨り、壁外の探索ということで、颯爽と深夜の町内を徘徊することにした。私たちは進撃の巨人のテーマ曲を口ずさみ、途中でコンビニにより、明日のおやつや補充用のアイスを購入。また、壁外の探索、そして、巨人が現れたら、息子は信号弾を空に打つ。架空の他の団員に知らせるためだ。
やがて、地域で私たちのこの活動は噂となる。注意喚起の紙が周り、町内の掲示板にも注意の紙が貼り出されることに。
私たちは、壁外から何か成果を持ち帰ることはできるのか。