第39回文学フリマ東京で売る本 製作日誌6
「もうこれ以上はない」と妻は毎回言い、私は、「じゃあもう完成だね、最後に印刷して見るから、完成のつもりで見るから」と言って、印刷をした原稿に、最後の指摘を入れる。すると妻は、私の最後の指摘を見て、いかに私が話を理解していないか、と不満を言う。データ自体にさらに大きな修正を入れてしまう。
「ようやくわかった、さらに良くなった、もうこれで完成だから」と妻は私に言う。私はそれを出力して、最後のチェックを入れる。その指摘を見て妻は、「直したほうがいいと思った指摘もあったけど、このままでいいところもあった、本当にこの話を理解しているならこんな指摘は入れないはず、もう一度読んで欲しい」と言う。私はもう一度読んで、指摘内容をどう伝えたらいいかを考える。折衷案が見つかり、妻は修正を入れる。私は、じゃあこれで本当に最後だから紙に出力して最後に読むね、と言って紙で読む。それが毎日繰り返されている。
そして私たちはたどり着いた。この私小説のテーマを、真髄をようやく言葉として掴んだ。通雨のように降ってきた。
執筆活動において、最も喜びに満ちた瞬間だった。全ての要素に意味が生まれる一つのセンテンスを見つけた。
製作日誌4で、初稿が完成した時が最も楽しい瞬間と書いたが、修正を繰り返した果てに、ようやく見つけたこの瞬間こそ真の喜びの時間だ、これのために作家は書く。少なくとも私はそう思っている。
この制作日誌の存在は妻も知っているので、これまでの回は、妻の検閲を経て公開している。内容が悪いと、直しが入っていた。しかし、今回は、検閲抜きで公開をすることにした。
偶然だったが、今日は私たちの10年目の結婚記念日だった。本作りに熱中し過ぎたため、今年はお互いに忘れていた、つい先ほど思い出した。
本作りは、書くこと意外の他にも考えなければいけないことがまだまだある。例えば紙だ、紙の選びは本当に重要だ。本文の紙は嵩高紙を使おうと思っている。紙の選びを間違えると途端に何かがずれた本ができてしまう。特にページのめくり感を意識した本作りが大切だと思っている。
それから。表紙のデザイン。本の顔である。できればデザイナーにお願いしたいところだが、家庭内編集部には外注する余裕もなく、こちらの方もどうにかしなければならない、何かいい案があればいいのだが、それは明日以降に考えることにする。
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