細かすぎて伝わらないグラミー賞2023〜クラシック編その2
●ノミネートおさらい・その2《最優秀オペラ録音賞》
今年の最優秀オペラ録音賞(Best Opera Recording)ノミネートは3作品。
この賞は指揮者、アルバム・プロデューサー、そしてメインキャストの歌手陣に授与される。ただし世界初演作品の場合には、作曲家と脚本家(リブレティスト)も対象に含まれることがある。
このところ、米国の現代オペラに関する興味深いトピックが続いている。わがノンサッチ自警団でもリアノン・ギデンズの初オペラ作品『OMAR』が全米オペラ・ハウスで上演されていることや、ジョン・アダムズが自らのミューズと呼ぶジュリア・ブロックのソロ・デビュー・アルバムが素晴らしかったことなどを紹介してきた。2016年、ギデンズ初来日時にインタビューした時に「今、フォークとオペラは再び急接近を始めているのよ」と話してくれて、その時は「へぇぇぇー」と思うばかりだったのだが。その後、本当にフォーク・オペラがどんどん注目されるようになり、また、ブラック・オペラ・ルネサンスの時代と言われるほどに黒人の作曲家や歌手、あるいはブラックカルチャーや歴史を題材にしたオペラがトレンドになっている。リアノンもそのムーヴメントのキーパーソンとして活躍中で、あの時にオペラの話をすることができたのは本当にラッキーだったなと思う。
とはいえ。現地に赴くことも難しい、しかも日本で上演される機会もなさそうな作品ばかりなのはちょっとくやしい。でも、パンデミック中の配信公演とか、ディスタンス対策に伴うパフォーマンスや美術へのデジタル技術投入といった効果も追い風になり、フォーク・オペラのようにメッセージ性の高い作品、映画やポップ・ミュージックのようにオペラファン意外にも注目される作品が増えたこと…などなど、いろんな要素がオペラ文化との融合を始めているのは間違いないし、そういった新しいオペラが支持されることによって、これまでの「おしゃれしたお金持ちが、オペラハウスに行かないと見られないもの」というオペラのあり方も確実に変わってゆくのではないかと期待している。
新しい潮流は、現代の新作オペラに限らない。たとえば昨シーズンのMETで上演されたドニゼッティ『ランメルモールのルチア』新演出は舞台を現代米国の“ラスト・ベルト“と呼ばれる工業地帯に置き換えて、原作の「家族の陰謀で無理やり政略結婚させられる没落貴族の娘」という古めかしい話をオペラ版『ヒルビリー・エレジー』とでもいうべき“分断と貧困が生んだ悲劇”として描いてみせた。
そういった時代の流れも反映してか、今回はノミネートが現代オペラばかり。
しかもジョン・アダムズとかフィリップ・グラスのような現代オペラの大御所作曲家ではなく、気鋭の若手や、映画音楽やジャズの世界からやってきた異色の作曲家の作品ばかり。
もちろん、パンデミックでオペラ上演そのものが世界的に中断されていたわけだから、世界の有名歌劇場がしのぎを削るゴージャスな戦いになるはずもないのは当然だし。意地悪な見方をすれば、アカデミー賞やトニー賞と同様に“今どきの流行”に乗って黒人作品や社会的メッセージ性の濃い作品が有利になっているような可能性もなくはない。が、そういうとこも含めて米国らしい。いいと思う。
そして何よりも、ヤニック・ネゼ-セガンが主席指揮者/音楽監督を務めるメトロポリタン・オペラが3作品中2作品ノミネート。絶対王者のレヴァインが去り、パンデミックという史上最大のピンチに見舞われながらも、オーケストラと二人三脚で(←レヴァイン時代の専制君主性ではありえなかった二人三脚!)メトを盛り上げ、オーケストラの底力を引き出し、新しいオペラの可能性を提示した。
いろいろと追い風の幸運はあったにせよ、「ピンチはチャンス」を絵に描いたような八面六臂の活躍ぶり。
音楽監督としてのネゼ-セガンとメト・オーケストラ、今やメト史上屈指のゴールデン・コンビに成長しましたね。めでたし。
今回、ネゼ-セガン/メトのコンビはオペラ部門だけでなく、9/11全米同時多発テロの追悼コンサートでのヴェルディ「レクイエム」で最優秀コーラル・パフォーマンス賞、そしてウクライナ支援のためのコンサートで最優秀クラシカル・コンペンディアム賞にもノミネートされている。さらにネゼ-セガン個人としては、ルネ・フレミングのソロ・アルバムにピアニストとして参加して最優秀ソロ・ヴォーカルにもノミネートされている。
昨年に続き、ネゼはまたもや「甲子園は清原のためにあるのか」のPL学園清原状態だ。
というわけで、さくっとノミネート3作品を振り返ってみます。
ちなみに、去年の最優秀オペラ録音賞ノミネート作品についてはこちらで。
そういえば、去年は感染再拡大があって授賞式が急遽延期になったのだったなー。たった1年前のことなのに、ものすごく昔のことに感じられる。今、アメリカはイベントやコンサートも全然フツーに戻ってるけど、このまま日常に戻りっぱなしでいけるのかな。もう延期もないかな。どうなるんだろ。
【1】マシュー・オーコイン: エウリディーチェ
『エウリディーチェ』は、日本では昨年2月に松竹のメト・ライブ・ビューイングで公開された。あまりにも素晴らしかったという話や、オーコインの活動もろもろなどをnoteにみっちり書いた。これまた長いんですけど、よかったら。
“冥界の魔物”のメタファーとして、ひと目でわかるマイケル・ジャクソン「スリラー」群舞のパロディを用いるなどしながら、あくまでオペラの矜持は崩さず。たぶんオペラに親しんでいない人にも、現代ものだけでなくいろんなオペラを見てみたいと思わせる作品だった。歌舞伎のことはよくわからないのであてずっぽ(笑)で書いてみるけど、新旧世代から評判のいい新作歌舞伎というのはこういう感じなのかな?
↓松竹によるライブ・ビューイングの公式サイトでの作品紹介ページ
フロストについても、去年の最優秀プロデューサーにノミネートされた時にムダにくわしく書いた。まぁ、もう、家じゅうトロフィーであふれているような大物です。今年もプロデューサー賞にノミネートされていたので受賞すれば26戦20勝。
【2】テレンス・ブランチャード: ファイア・シャット・アップ・イン・マイ・ボーンズ
ある意味、ブラック・オペラ・ルネサンスを象徴する作品なのかもしれない。めちゃめちゃ高評価だったテレンス・ブランチャードのメト・デビュー作。
ただし作品の初演は19年(セントルイス歌劇場)なので、ブランチャードは受賞対象にはならない。けど、まぁ、ざっくり言って、もし受賞したらブランチャードも受賞したようなものと言っても過言ではない。
この作品で彼はメトロポリタン・オペラ創設以来の初の黒人作曲家となった。そのことが上演時も大きな話題になったが。こっち(昔からブランチャードをよく知ってる側の音楽ファンw)からすると「ついにアート・ブレイキー学校からオペラ作曲家が出た!」という衝撃である。もともと映画音楽で注目を集めた頃から「ブレイキーも天国で喜んでいるだろうね」という文脈だったが、まさかメトロポリタン歌劇場で作曲家デビューするとはブレイキー師匠も想像だにしなかったはず。師匠もノミネートの快挙にビックリ大喜びしていることでしょう。ジャズマンとして知り尽くした音楽のパワーを、映画音楽の仕事で培ったストーリーテラー的な視点で爆発させる…。神童として歩んできた道が、まさかオペラにつながっていたとは! ノミネートを祝う師匠の、華やかなナイアガラ・ロールが天上から聞こえてくるようです。
原作はNYタイムズの男性黒人記者による回想録で、#BLM #MeTooにもつながる作品として高く評価されている。ちなみにセントルイスでの『ファイア〜』初演には、ジョン・アダムズが自らのミューズと呼ぶオペラ界のライジング・スターで、先ごろノンサッチからソロ・デビュー・アルバムをリリースしたばかりのジュリア・ブロックも出演していた。
今回のメト版は、ブロードウェイで上演されたマイケル・ジャクソンのミュージカル『MJ』にもマイケル(子供時代)で出演していた男の子が主人公の少年時代を演じた。さすが歌も演技も素晴らしく、本当に難しい役だったけれど見事に演じてカーテンコールでは大喝采を浴びていた。マイケルを演じているのを知ったのは、映画館に見に行った時に近くの席で女性ふたりが始まる前から「リトル・マイケル」についてずっと話していて、休憩時間にも「やっぱりすごいね!」ときゃーきゃー盛り上がっていたので、あの子は有名人なのかな…と調べてみたら、この作品が日本で上演された頃にブロードウェイの『MJ』に出ていた子だったのだった。もしかしたら、あまりオペラを見たことがないマイケルのファンもけっこう来場していたのではと思った。そういう意味では、作品的にもキャスト的にもジャンルを突き抜けるパワーのあるステージだったのかもしれない。
↓米PBSで放映されたハイライト場面の予告編。
この作品は、ブランチャードにとって二作目のオペラ。そして次シーズンでは第一作の『チャンピオン』が上演される予定だ。すごすぎるー。いずれメトで世界初演作品、というのも遠い夢ではなさそう。
↓松竹によるライヴ・ビューイング公式サイトでの作品紹介ページ
【3】アンソニー・デイヴィス: X-ザ・ライフ・アンド・タイムス・オブ・マルコムX
『ポーギーとベス』、『ファイア〜』に続くメトロポリタン歌劇場が次シーズンのオープニング上演(メト初演・新演出)を予定しているマルコムXの伝記オペラ。伝記映画はバイオピック(biopic)という呼称がすっかり定着したので、オペラもバイオオペラ(bio-opera)で通じるくらいのジャンルになってゆくかもしれない。
作曲のデイヴィス(1951年生まれ)は映画やドラマの作曲家としても知られており、2020年にはピューリッツァー賞を受賞しているベテランだ。ただし、この作品の初演は1985年。なので、デイヴィスもブランチャード同様にこの賞での受賞対象からは外れる。
映画や演劇、ミュージカルなどでも題材にとりあげられてきたマルコムX。米国でもっとも重要な歴史/文化アイコンのひとりの生涯を描いたオペラだ。歌劇場の演目として頻繁に上演されるものではないが、初演時も話題となった有名な作品だ。86年にはニューヨーク・シティ・オペラで上演された改訂版が、NYのセントルークス管弦楽団による録音でリリースされている。
今回の録音は、歌劇形式ではなくコンサート形式によるもの。ボストン・モダン・オーケストラ・プロジェクト(BMOP)による、歴史と人種と正義を描くオペラ作品をとりあげる“As Told By: History, Race, and Justice on the Opera Stage”というシリーズの一環としておこなわれたコンサートからのレコーディング作品だ。スウィングやモダン・ジャズ、ラップまでとりこみつつ、オペラティックな世界を繰り広げる、やがてブランチャードらの作品へも続くことになる源流のようなスタイルともいえる。そういう意味でも、今、この作品がノミネートされる意義は大きい。この作品は現在のブラック・オペラ・ルネサンスのルーツ的なものともいえるし。こじつけかもしれないけど、白人作曲家であるデイヴィスの作品がそういうポジションにあるということは、現在のムーヴメントとガーシュウィンの『ポーギーとベス』をつなぐ作品…という解釈もできそうだ。
現時点、この録音を日本でもCDを手に入れられるのかどうかわかりません。が、マルコムXを歌うバスバリトンのデヴォン・タインズが本当に本当に素晴らしい。激しさと、強さと、つつみこむような慈愛と…。
バンドキャンプかサブスクでぜひ。
↓Bandcampに飛びます飛びます↓
↓Spotifyに飛びます飛びます(もちろんアップルでも聴けます)↓
ボストンのコンサート映像とかトレイラーが見つからなかったのですが、昨年、ボストンと同じくデヴォン・タインズが題名役を歌ったデトロイト・オペラ公演のトレイラーがこちらになります↓
かっこいいー。
思えばテレンス・ブランチャードが映画音楽の世界で注目されるようになった大きなきっかけも、スパイク・リー監督の映画『マルコムX』だった。
↓【参考】80年代のセントルークス管弦楽団版はこちら↓。
【おまけ】『エウリディーチェ』のマシュー・オーコインも、21年にギル・ローズ指揮ボストン・モダン・オペラ・プロジェクトw/フレンズの演奏によるソロ・アルバムをリリースしている。こちらも好き好き大好きかっこいい。