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#65 いつかのソウルでの再会を心待ちに袖を通さずとってある赤いユニホームの話

4歳と0歳児を持つ父親です。子供たちの成長の様子を記すことで将来の息子たちのプレゼント(酒の肴)になればと筆を執っています。Wカップシーズンなのでお父さんの昔話満載ですみません。

さて。昨日お母さんはママ友飲み会だったので、夜はキミたちとお父さんの三人だ。4歳児のキミは「ママー、ママー」とお母さんが出発した後泣いていたけど、「よし、じゃあ焼き鳥を買いに行こう」とお父さんが誘うと少し落ち着いて「うん」と頷き、上着を羽織った。

朝は雨の中、お父さんのサッカーに付き合い、「あーシャワーみたいな雨だー」と叫びながらグランドから慌てて逃げ帰り、そのあとはお父さんの買い物に付き合い、で一日頑張った。よし、キミの大好物の焼き鳥を買いに行こう。

お父さんは4歳のキミからもらい泣きをしている0歳児のキミを抱っこ紐にセットすると、4歳児のキミの手を引いて近くの焼き鳥屋さんへ。小さな4歳のキミと、もっと小さいな0歳のキミと一緒に歩く(0歳児は歩かない笑)何気ない週末。いつもは足早な通勤の道だけど、今日はとても賑やかでお父さんは楽しい。
(もはや、キミがどちらかわからなくなってきた、、連想ゲームのようだ)

4歳児のキミは「ママ、大丈夫かなぁ」とお母さんを心配している。キミはどうやら寂しいというわけではなくて、ママが心配みたいだね。自分が一緒だったら何かあったら守ってあげられるのに、今はママは一緒にいない、大丈夫かなぁ、と居てもたってもいられないという心境だ笑。4歳でもお母さんを守るんだ、と。
「ママは大丈夫だよ(今は飲んでるよ笑)」と言ってキミが大好きな焼き鳥をお父さんと合わせて10本買って、お店の人に、ありがとう、を言ってまた3人で手を繋いで家に帰ってきたね。キミはすっかり落ち着いていて、車道ぎりぎりを歩くお父さんに「パパあぶないよ」と優しく声をかけてくれる。

心配してくれてありがとう。今はお父さんがキミを守る立場だよ、大丈夫。

Wカップに因んで、今日はキミたちに赤いユニホームの話をしよう。赤いユニホームカラー、それは韓国だ。お父さんはこの赤を纏って韓国の友達と一緒に戦かった。もう10年も前の話だ。

お父さんがモスクワで仕事をしていたころ、日本人のサッカーチームはなかったのでサッカーのできる環境を探していたんだ。
ロシア語もままならないときだったので、どうしようかなぁとウロウロと近くのグラウンドを歩いていたときに出会ったのが韓国人チームだ。
ゴツゴツしてデカイロシア人ばかりと町ですれ違っていると笑、アジア系の人たちがサッカーをしているのはとても親近感があり、お父さんは一緒にやらせてくれ、とちょっと緊張しながら話しかけたんだよ。

とても気さくな連中で毎週土曜日の午後にみんなで集まってサッカーをしていることを教えてくれたので、翌週から混ぜてもらうことにした。

当時20代後半だったお父さんと同じくらいの年齢のプレーヤーが多かったかな。でもチームの年齢層も広く結束力が凄く強くて、学生からおじさんたちまで、よくコミュニケーションをとっている素晴らしいチームだった。異国の地だから余計に団結するのだろうね。

土曜日の練習後は、年齢の近い韓国人の仲間と、近くの韓国料理屋に行ったり、おじさんたちも含めた飲み会に参加して韓国式の飲み方を教えてもらったり笑、これまた前回のドイツのときとは様相が異なるけど(酒を飲める歳かそうでないか笑)、全身で韓国文化をモスクワで学ぶ、という稀有な経験をさせてもらったよ。

ある大学が主催する各国交流戦があって、韓国チームの皆様(勝負事に本当に熱い)はこの大会にも例外なく熱く準備していた。何か国くらい出ていたのかな。もう忘れてしまったけど10チーム以上は出ていた。応援も凄かった。日本チームは存在していなかったので未出場だ。

お父さんは、この日、韓国の赤いユニホームを手渡され、韓国チームの一員として開会式で赤いユニホームを着て行進をし、韓国チームのために力の限り戦った。韓国のサッカーは推進力がある。数的優位を作ってしっかりボールを回して、という感じよりは、1対1なら勝負してナンボ、そこで勝ってナンボという雰囲気(語弊がないように、このチームの雰囲気)もあり、お父さんはこれまでの日本のサッカーとも違う雰囲気(これも語弊がないように、お父さんのやってきたチームの雰囲気ね)を彼らと楽しんだよ。

お父さんの少しアニキ世代にサンヒョンというフォワードのプレーヤーがいた。どっしりしていてシュート力も強い。そして何より求心力がある。みんなを束ねるリーダーだ。日本人のお父さんにもよくコミュニケーションを取ってくれる優しいジャイアンタイプ。歌は聞いたことがない。

お父さんはパスの配給係だったので、サンヒョンによくパスを出した。4年くらいこのチームでやったので、もう動き方もクセもお互いよく理解している。お父さんのパスからゴールを決めたときには、いつも笑顔で駆け寄ってきてくれる気配りを忘れない熱血漢。

彼がモスクワからソウルに戻るというのを聞いたのは突然だった。みんな母国に戻るので順番なのだけど、気心の知れた相棒がいなくなるのはとても寂しい。このチームの得点力も落ちてしまうだろうな。

明日のフライトで発つという前夜は平日にも関らず、みんなで集まって夜ご飯を食べて、暗くなっているのに、どことも名の知れぬ公園でサンヒョンやチームのみんなと一緒にボールを追いかけた。完全に夜の帳が落ち切って、近くの住宅の電気がひとつ、またひとつと消えて行っても、まだボールを追いかけ続けた。いい加減ボールが見えないし、疲れてきても、それでもまだ街灯の下に移動してみんなでボールを蹴った。もう24時を回っているよ。
アニキ肌の彼と一緒にボールを蹴るのは今日が最後、誰も「帰ろう」と言わない。お父さんもサッカーで繋がった仲間たちとこの幸せな時間をずっと続けていたかった。
相変わらずサンヒョンは得点を取っていて、お父さんは彼にボールを配給し続けた。1点でも彼に多く点をとって欲しい。
彼にパスを出すのは今日が最後だ。

「よし、もう行こう」と言ったのは彼だった。ずっとボールを蹴っていたい。誰も言い出さない言葉を、アニキは自ら発した。最後までリーダーシップを発揮して、この世代の輝けるモスクワでの韓国サッカーに終止符を打った。チームは続くけど、メンバーは変わる。世代交代だ。公式戦ではなく、彼を慕うみんなが集まった公園の草サッカーが最後の舞台だった。
後ろ髪を引かれながらも前を向き「行こう」と発言した彼の力強い言葉はお父さんの耳に今も焼き付いている。お互い強い握手をして笑顔で別れた。

数年後、ソウルでみんなと再会した。お父さんたちの日本人チームと昔お父さんが所属してした韓国人チームの親善試合だ。サンヒョンは相変わらずゴールゲッターとして手ごわい。チームは変われど、あの時のように熱くひたむきにボールを追いかける姿は変わらない。ソウルの青空の下でお互いに力を出し切って、試合後に両チーム肩を組んでみんなで焼肉を囲んだ日はお父さんの忘れられない一日だ。

さて、Wカップの初戦。韓国は引き分けだった。赤いユニホームが、前に前にボールを運ぶ姿を見て、あの推進力を見て、モスクワのグラウンドで、モスクワの名も知れぬ公園で、サンヒョンが力強く前を向いてシュートに行く姿を思い出す。お父さんは呼吸を合わせて何度も何度も彼の右足にボールを届けた。

次に一緒にボールを蹴るのはいつになるかな。
最後にボールを蹴ってからもう6-7年経つ。
またチームに混ぜてくれるかな。お父さんの球質がずれると韓国のみんなは茶化してくるだろう。「年をとって衰えたねぇー」と。

お父さんが日本に帰任する日、韓国代表の真っ赤なユニホームにチームメートが寄せ書きをしてプレゼントしてくれた。全員で集合写真を撮るときにお父さんは一度だけこのユニホームに袖を通した。お父さんとサンヒョンを、そしてチームメートを、繋ぐ宝物だ。未だ袖を通さずにとってある。
次に一緒にボールを蹴る日まで、ね。

赤いユニホームを纏って彼らの前で恥ずかしいプレーはできないからお父さんは今日もトレーニングを続けている。彼らもやっているかな。

ボールは世界を繋ぐ。そして時間を繋ぐ。

日本代表も、韓国代表も、そして夢を掴んだ全てのサッカー選手が大舞台で力を出し切れることをこの上なく願っています。

完全にキミたちへの手紙ではなくなってしまったね笑。将来の酒の肴に。
サンヒョンにソジュを奢ってもらって。昔、それぐらい彼にパスを通したから安いものだと思うよ笑。

これから羽ばたくキミたちへ。今晩の番組争いはコスタリカ戦なので、4歳児のキミに絶対に譲らないよ。



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