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仏教はrational

一部引用します。

それにしても落ち込む人が多いんです。僕は自分の電話を公開してますので、色々と落ち込んでいる方々から電話がかかってきます。本当にみんな落ち込んでいるんです。好きで落ち込んでいるんじゃないかと少し疑ってしまうくらいに落ち込んでいるんです。落ち込んでいる人を見ると、かわいそうになります。それで、どうにか次は失敗しないようにしたほうがいいとこっちも思うじゃないですか、そこで対策を考えようと思うわけです。それで、次に落ち込まないように、今どういう対策をやろうとしているのかって聞くと、これがどうにも進んでないんです。自分がダメな人間であるという落ち込みに集中しまくっていて、肝心要の次は失敗しないように練習を積む、という作業には全く向かってないんです。ちょっと僕も心配になってしまいます。こうなると、当然、練習をしてないんですから、次も失敗するわけです。そうすると、どうなるかというと、もういい、死ぬ、みたいな話になっていくんです。
坂口恭平note広く浅く生きる効能 その1  適当に生きるには

私も以前似たようなことをしていました。そして今もたまにやります。
「対策せず落ち込むことに時間を使う」

これって結局バランス崩れている状態だといまは整理できました。
落ち込むという感情に流されて、そっちに時間使いすぎている。合理的に考えるなら以下だと思う。
①休む(疲れるとネガティブになりやすい。)
②できる対策を考えて、できることから実行する
③②についてはひとりで考えるのではなく第三者に相談する方がより良い
④実行してみて、どうなったのか確認しつつ適宜微調整する

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仏教(宗派仏教ではなく釈迦の教えとして、苫米地英人さんの解説から学んだ話)の教えの一つに
中観思想がある。要するにほどほどに、バランス良く、極端になるな
と理解している。(中道ともいう?)

中観が真ん中として、
仮観(けがん)と空観(くうがん)が両極端としてある。
(けがんは、現実主義者というか理屈どおり物事がある、お金大事!みたいな感じ。くうがんは、一切は幻で意味も意義も何もないという感じ。どっちも一理あるけど、偏るのは危険だなと思う)

この考え方、世界観はまさに
英語のrational(合理的)ではないか。
rationalの語源は
ratio + nal で
ratioが比率、比という意味で
良い比率(バランス)ということになるらしい。合理的とは比率が適切でバランスが取れているとなると
仏教はまさに合理的。
中道は偏りすぎないでねだから。

毒矢の例え
という釈迦の説法はまさに体現している気がする。
(毒矢が刺さったら、まず抜きなさいというもの。いろいろと考えたりしすぎてないで、今目の前のやるべきことに集中してねと解釈しています)

改めて日本人として
自分の宗教は仏教です、と言える気がしています。


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