アメリカ、日常、非日常 #3
ロブと別れ、その足でジャズバーに向かった。ギタリストの戸田に会いに行くのだ。戸田は大学のバンドサークルで出会った友達で、気づいたら夢を見つけて、気づいたらサークルに来なくなって、気づいたらアメリカに住んでいた。サンフランシスコやニューヨークを渡り歩いて、今はブルックリンに住んでいる。バーの前に戸田が立っていて、でかいギターを背負ってこちらに手を振っている。昔から戸田のライブを見る度に、ギターでけえな、と思っていた。小柄な彼女がセミアコのどっしりとしたギターを造作なく弾き倒す姿は、いつもカッコ良かった。初めての会話を今でも覚えている。飲み会でオアシスが好きだと言うと、「そっか、あたしはブラー派だから」と聞いてもないのに喧嘩を売ってきた。なんだお前、そう思ったのを覚えている。ジャズバーに入ると、戸田が現地の友達を紹介してくれた。紹介してもらったドラマーのアロンは、日本語とスペイン語とヘブライ語と英語が話せる爽やかなお兄さんだった。ジャズドラマーとして世界を飛び回る彼は、とっても優しくて、気さくで、「めっちゃ」という日本語が大好きだった。僕の英語を聞いて、戸田が「何だかイギリスっぽいな」と言った。僕の英語は完全にアメリカのアクセントだ。5年前から変わらず僕たちは「何言ってんだお前」と言い合い続けている。
ジャズバーの奥にある、楽器が用意された一角に進む。ソファに座って戸田と話していると、彼女は曲の合間にフラっと立ち上がりギターの元へ向かった。戸田の出番が来たようだ。ちらりと奏者たちと目を合わせて、演奏が始まる。戸田の奏でるソロは、詰まることも、焦ることもなく、とにかく軽やかに流れていく。手練れのコメディアンが笑みを浮かべながら次々とジョークを繰り出すように、淀みない音色を紡いでいた。時折息継ぎをするかのように指を止め、また弾き始める。マイクスタンドに手を置き「どこまで話したっけ」と呟くコメディアンの姿を想像する。演奏が終わると戸田は周りのミュージシャンたちと抱擁を交わし、ソファに戻ってきた。グータッチをして乾杯する。「セッションはさ、社交の場だから。フラッときて、こうやって友達を増やすんよ」とビールをあおりながら語る戸田。彼女は昔から社交的で、それでいて阿ることなど絶対にしない人間だった。
出会った時はブルースギタリストだった戸田だが、サンフランシスコでラテンアメリカ音楽と出会ったらしい。「戸田の中で何が変わったの?」と聞くと「リズムをより意識するようになったかな」と答えが返ってきた。でも私、リズムだめなんだよね。そうおどけて語る彼女だが、僕には(ドラマーのくせに)それが分からない。齋藤さんもそうだが、今まで出会ってきた僕の尊敬する人たちは皆本当に謙虚だ。卑下することはなく、自分のできること・得意なことは正直に認める。それでいて、周りができると思っていることでも「俺は、私は〇〇が苦手だから」と語る。きっと自分の中に設けている基準がものすごく高くて、そこに至るまでの差を感じているのだろう。それは同時に、自分を心から信頼していることを意味している。俺には、私にはここまで到達できる力がある。でも今はそうなっていない。だから何ができるか、何をすべきか考えよう。そんな清々しさを感じる。
次の日は、戸田の家に遊びに行った。アパートの3階にある部屋だ。ルームメイトと猫に挨拶をする。「ウチの廊下にある扉開けるとさ、ナルニア国みたいになってるんよ。んで階段があって、そこから屋上に出られる」戸田にそう言われて、屋上に出た。ニューヨークの景色が見渡せる気持ちの良い屋上だった。日本って、世界って、どうなるんだろうね。そんな話をした。
戸田の家の近くにある公園を散歩してから、Green-wood Cemeteryへ向かう。僕の大好きな作家であるポール・オースターが眠る墓地だ。戸田が入り口まで案内してくれるらしい。途中でダイナーに寄って、ツナサンドとカラマリを注文した。私は腹が減っていないからコーヒーだけで良いや、戸田はそう言った。コーヒーを啜る戸田に、20年後のお前ってどうなってるの? と聞いた。「めちゃくちゃギターが上手いと思う」と彼女は即答した。お前は今でもギターが上手いだろ、ついそう言ってしまったが、きっとそういう話では無いのだろう。戸田は腹が減っていないと言っていたのに、「これ美味いな、烏賊??」と僕のカラマリを食い続けている。
戸田と別れ、1人でポール・オースターの墓を訪れる。目を閉じて、深く呼吸をする。正直に言うと、僕は今悩んでいます。自分が何をしたいのか、具体的なビジョンが持てずにいる。自分に何ができるのか、今まで何をしてきたのかも曖昧で、これから何を磨いていけば良いのか分からない。でも、誰かに教えを乞う訳でもない、結局自分が決めないといけないんですよね。
すると、静寂を割いて一陣の風が僕に向かって吹いてきた。こんな映画みたいな事あるのか、思わず笑みをこぼしてしまう。生きていると、映画のような瞬間の一部になることもある。
ずっとこうして悩みを打ち明けていられたら良いけれど、長居する来客はお嫌いでしょうから、もう行きます。光栄でした。お辞儀をして墓を後にする。
スターバックスに寄ってから、戸田とアロンが待つメキシカンに行く。大量の料理が並んでいて、「食うぞ!!!!」とアロンが息巻いている。日本に行くと、皆アロンのことを「アロンさん」と呼ぶらしい。それじゃ普通すぎるよ、なんかいい名前考えようよ、戸田と僕がギャアギャア騒ぐ。何かないかな、と考えた末に「アロン兄やん」と呼ぶことにした。僕には兄はいないけれど、ニューヨークに素敵な兄やんができた。
満腹になった腹を抱えながら、戸田のルームメイトのケリー、アロン、戸田、僕の4人で年越しパーティーに向かう。戸田の家から50分くらいの場所にある、素敵なアパートだ。土産に持ってきた日本酒を渡すと、ホストの男性が喜んでくれた。もこもこした可愛くてデカいワンちゃんを撫でながら、参加者の人たちに挨拶をする。笑ってしまうほどのイケメンや、笑ってしまうほどダンスの上手いお姉さん、笑ってしまうほど美味しいジンジャーブレッド。僕は1対1のコミュニケーションの方が絶対に得意だが、パーティーも好きだ。気づけば2024年も残り1分。誰かが始めたカウントダウンに乗っかり、2025年の到来を祝う。
3, 2, 1, Happy New Year !!
そう言って乾杯した相手は、背が高くて綺麗な女性だった。ニューヨークで俳優をしながら、映画製作に携わっているらしい。「自分の演じる役と、自分自身との距離をどう保っているんですか? 役に引き込まれすぎて自分の生活が侵食される、そんな恐怖が俳優業には付き纏うのかなって想像するんです」そう尋ねると、大きく頷いて自身の体験を話してくれた。
「この前舞台があってね、『あんたはめちゃくちゃ明るいから、鬱屈とした女性を演じてみなさい』って言われたの。それで演じてみたんだけど、もうほんとにしんどくて。数ヶ月抑うつ気分だったわ。でもね、こんな職業だからこそ、自分の時間を大切にしているの。自分だけのために作ってあげる時間をね」
充実した日々を送るには、自分の機嫌の取り方を知っている必要がある。常に明るくあり続けることが人生を楽しむ秘訣なのではなく、落ち込んだ時にどうすれば良いか、それを知っていることが大事なのだと学ぶ。
パーティーを後にし、Uberに乗り込む。完全に疲労困憊した僕は、車内で眠りに落ちた。アロンと戸田の「こいつ爆睡しとるで」という笑い声で目を覚ます。戸田の家に着き、アロンと別れの挨拶を交わす。部屋のソファに横になり、気づいたら眠りに落ちていた。
目覚めたら昼になっていた。今日、ニューヨークを後にする。散歩をして、メキシカンを食べて、戸田の部屋に戻ってきた。「お前と夢とか世界とか、そういうデカい話したことなかったから良かったわ」そう言ってくれた戸田に、「まあそんな機会ないもんな」と返す。また連絡するわ、ありがとう、元気で。そう言ってタクシーに乗り込み、空港へ向かう。
僕がこの街で出会った人々は、皆綺麗な眼をしていた。希望と喜びに潤んだ眼、それでいて世の中に蔓延る矛盾や絶望を見逃さない、鋭い眼。その眼で自分を、世界を、未来をくまなく見つめていた。僕の眼はどうなっているだろうか。
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ワシントンD.C.に飛び、ホテルで一夜を過ごして、早朝発の日本行き飛行機に乗り込む。隣に座った女性が日本の作家の小説を読んでいる。僕も同じ作家の本読んでるんですよ、そう言うとはち切れんばかりの笑顔で「素敵!!」と言ってくれた。デス・キャブ・フォー・キューティーの照明をやっている彼氏に会いに、日本に行くらしい。何てこった、明後日彼らのライブを見に行くんです。そう伝えて、「なんて偶然」と笑い合う。
飛行機が離陸する時には、必ずフー・ファイターズの"Learn to Fly"を聴く。7年前ボルチモアを離れる時も、5年前ニューヨークを離れる時もそうだった。アメリカに住んでみて、海外を飛び回って暮らしたい、そう思うようになった。見たことのない景色を見て、会ったことのない人に出会って、話して、仲良くなって。そんな風に生きられたら。原点とも言える思い出が、アメリカに来て蘇った。
旅に結論を見出すことなど陳腐であり、その点では旅と人生は似ている。でも旅に出て気づくことはある。夢を決めて、それに向かって必要なことをこなしていく。これまでそんな風に生きてきた。社会人になって、答えのない世界に足を踏み入れて、「必要なこと」を自分で見つけ出すことの難しさを痛感した。もやもやしたままアメリカに来て、答えが見つからないのは当たり前だと気づいた。アメリカで出会った人々は、答えのない世界で、もがきながらもできることを探して、その先にある幸福に手を伸ばしている人ばかりだった。そして皆、常に自分と向き合う恐怖を受け入れ、立ち向かっていた。20年後の僕はどうなっているのか、まだ分からない。多分、相変わらずもがいているんだろう。でも、それで良い。それで良いんだと思う。
アメリカで過ごした8日間は日本での毎日と地続きになっていて、飛行機の着陸と共に滑らかに日常に引き継がれる。非日常は日常に接続している。それは同時に、日常が非日常に接続していることも意味している。生きていれば、映画のような光景を目にすることもあるし、その一部になることもある。そうやって日々は続いていき、そうやって僕は歳をとっていく。日常と非日常、幻想と現実が目まぐるしく混在する中で、自分と向き合いながら生きていく。それはとっても難しいことだ。難しいけれど、そうやって皆生きている。またアメリカに戻ってくるかも知れない。もしかしたらその頃には、アメリカでの生活が日常になっているかも知れない。また帰ってこよう。そう思いながら、飛行機を降りる。乗務員さんが笑顔で見送ってくれる。
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僕の日常が始まって、同時に僕の非日常も始まる。
(終)