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監獄と幸福論

世界と比較して、日本は若年層の自殺率が異様に高いという、データがあります。ここまで統計的な違いが出るという事は、構造的欠陥によって発生している社会問題であると考えます。

厚生労働省のデータ

若年層が大半の時間を過ごす場所は、学校です。私はそこで海外(過激な受験戦争が起こっていない国)と比べて自由が無いことが、そういった影響を与えていると思います。


日本や他の受験戦争が激しい国に見られる学校は、パノプティコンと同じ構造だということです。

パノプティコンとは、円形の建造物の中心に監視塔がついた、監獄の名称です。

囚人からは看守を見れなくなっており、
見る/見られるという非対称な関係から、強権的な権力を批判する比喩として使われています。

これは看守が少ない時、または見ていない時でも、監視されているかもしれないという圧力を囚人にかけられることから、秩序を保つコストを下げられる画期的な建築構造でした。

しかし、最終的にパノプティコンは、囚人に対して深刻な精神的ストレスを与えてしまう為に非人道的な支配方法だとされて、禁止されています。

いや、現代の学校に看過できない視覚の非対称性が生まれている事なんて無いだろう。全員がスマホというカメラ(監視装置)を持っているのだから、パノプティコンの様な一方的に
見る/見られるの関係性が生まれる事は無く、許容できる閾値の範囲内で行われていると、思われるかもしれません。

しかし、特定の条件下で閾値を超えた支配がいまだに、存在していると思います。学校のテストではカンニング防止のために、スマホを取り上げられます。背後から見張られ、他者の恣意的な判断で、不審な行動と見做されれば、罰を受けさせられる環境に身を置かなければいけません。

セリグマンの実験によって、自由(束縛を受けない)な環境が幸福の条件である事が証明されています。人間にとって、長期にわたり逃れられないストレスに晒されつづける、束縛された環境に身を置くと、健康を害し、精神も病んでしまうのです。

そもそも、カンニングを禁止するというのも、時代遅れの発想だと思います。Aiの方が賢いならAiを使いこなせる人材が優秀だと評価を受けるべきです。運送業で能力が高いのは、走りが速く力持ちな人材ではありません。トラックの方が多く荷物を運べるし、速度も速いのですから、大型の免許を所得している人材が優秀だと認められる社会が、生産性という観点においても効率的な考え方でしょう。

しかし、極端に生産性を追い求めるべきだという主張ではありません。それだと、強権的な支配によって、規格化された労働者教育をする暴力的な構造を肯定しかねないからです。

生産性(経済的豊かさ)は、全体的な幸福度を上げません。年収が上がるにつれて幸福度が上がるという相関関係を、統計から読み取ることができます。しかし、年収800万程度を目安として、その相関関係に大差はなくなり、逆に年収3000万以上になると幸福度は下降していきます。

おそらく、年収3000万を超えると関係性を持つ社会階層が変化して、幸福の基準となる比較対象が変化する(年収一億と比べて自身を貧しいと感じる)からだと考えられます。


つまり富裕国での所得(生産性)による不幸とは、相対的な関係性の中で生まれるものです。
貧しい国などでは、物質的な資源が不足する絶対的貧困が社会問題になっていますが、富裕層での社会問題は、相対的貧困なのです。

つまり国の生産力が多少落ちて、多少不況になったところで、幸福度には影響しません。

週休2日にして生産力が落ちなかった事例や、パレードの法則や、富裕国でブルシットジョブが37%〜40%を占めているというデータによる仮説、AIの発展などから、労働に対する圧力を緩めても、生産性に対する影響はさほど大きくないでしょう。

少なくとも、国が絶対的貧困になるほど経済が落ち込む事は、考えられないほど低い可能性しか起こらないでしょう。


私が前述した、幸福という言葉は非常に抽象的なものです。説得力に乏しくならない為に、次章から、幸福という現象を合理的な方法で定義していきます。

幸福論

幸福とは、相対的なものです。人の欲求とは、他者の欲求を模倣しているだけだという説もあり、主観だけで幸福論を作ると正しい選択が出来なくなる可能性が高いです。

一般的な人間の幸福論という母数のデータを取り入れた後に、個性(身体的な偏り)という条件を入れて、幸福を目指す為の個別最適化された生活を目指しましょう。

通常より、食事を取る際の環境を重視するなら
味と値段のコスパで優良店を見つけた後に、自分が食事をとる時に望ましい環境の条件を入れて、アルゴリズムによって更に選別し、自分にとってより良い、幸福な食生活を送れる環境を整えることができるのです。

人の人生とは多様であり、条件が揃わないから頻度主義の統計学は使えません。個性(偏り)という条件を入れてベイズ定理を使用して下さい。

注意点として、意識はバイアスがかかるので、デバイスによって相対化してください。意識(精神)の中ではそのストレスを許容していたとしても、身体は無意識下でそれを拒絶していて、身体の許容範囲を超えた時に、精神も崩壊するという事例が多いからです。

Apple Watchで心拍数を測ったり、人間ドックで検査して、特定の条件下で身体がどういう反応をしているのかを客観的視点で見極め、個性(特定状況でのストレス耐性の偏り)への理解を深めて下さい。

ベンジャミンリベットのマインドタイムで、記述されている通り、意識は身体というアクションからのリアクションでしかなく、従属的なものです。

身体という構造に欠陥が発生すると、それに従属する意識(精神)へ直接的に影響していきます。鬱と生活習慣病に密接な関係がある事は、証明されている統計的事実です。

精神が悪くなって身体が悪くなるのでは無く、身体が悪くなって精神が悪くなる事例の方が多いのです。

因果関係を逆転して認識していると、適切な処置を取る事が出来ません。精神安定剤は症状を緩和しますが、根本的な解決にはならないのです。

学校のように社会に出ても、社会資本、人的資本、金融資本が無ければ、直ぐに逃れられない社会構造に組み込まれ身体を害する環境から抜け出さない場合もあり、そういう時には緩和剤が有効です。

強い痛みを伴う、直ぐに治らない重病に侵されている時に鎮痛剤を使うのは当たり前です。

社会的構造や、身体や習慣という構造から病が生まれているという因果関係を理解すれば、どうしようもない状況で無ければ、適切な処置を取ることで、幸福という現象を達成できる場合があるのです。

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