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「フェミナチ」という言葉を考える

例の騒動から、自分の中でジェンダー論に対する好奇心が高まっていて、移動中の電車の中や寝る前にジェンダーについて調べることが多くなった。
その過程の中で、世の中には「フェミナチ(feminazi)」という言葉があることを知った。

「フェミナチ」とは、もともと1970年代のアメリカで生まれた言葉で、“妊娠中絶を推進する女性は、赤ん坊を殺している(ホロコースト)している”という捉え方から生まれた言葉のようだ。
これが今では急進的(ラディカル)な女性活動家を指す言葉になっているらしい。
※参考: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/フェミナチ

なるほど、その敵意剥き出しの姿勢、ひたすら被害者であることを強調した活動姿勢、意にそぐわない者は排除する選民思想、いくつか当てはまる点が多いように思える。
「温泉むすめ」や室井佑月氏に攻撃を仕掛ける様は、ズデーデン地方割譲を迫り、ポーランドに侵攻したなりふり構わない姿勢によく似ているし、思えばヒトラーも第一次世界大戦の多額な賠償金に対してひたすら被害者ヅラしていたことから、「被害者ならば何をしてもいいし、聞く耳なんて持たない」という点も一致している。
ナチスのユダヤに対する排他意識は、教科書で習った通りであり、今も現在進行形で行われている“特定のモノに対する徹底的な攻撃”は、ユダヤ人が経営する店を襲撃した初期のナチスの扇動によく似ている。

しかし、個人的にはヒトラーやナチスのような、一時的な大衆の支持を、急進的な女性活動家の皆様は得ることができないだろう。そこにはいくつかの理由があると考える。

1、最初から攻撃性が剥き出しである

これはヒトラーの初期にも繋がる話だが、ヒトラーも最初は攻撃性だけを打ち出していたように思える。
その結果がミュンヘン一揆であり投獄であり「我が闘争」である。
しかし、その後は幾分攻撃性を控えて大衆の支持を得ることを活動をシフトし、アウトバーンの建設をはじめとする国家復興に舵を切った。
つまり、攻撃性を封印しつつ「誰も傷つけない方法」で支持を得ていくわけである。
その後、大衆からの“信任”を得て、第二次世界大戦に突き進んでいくわけである。
ただこれをやるには、いくつか必要不可欠な要素があるのだが、それは第2項で。

一方の今話題の急進的な皆さんは、とにかく他者への攻撃性が全面に出てしまっていて、建設的な動きによる支持集めが何一つできていない。
少し昔なら「弱者への救済」がメインだったので、ある程度支持を得られただろうが、今となってはその色も薄く、攻撃姿勢ばかりを振りまく、ただの危険集団になっている。
このような活動は、大衆の支持を得るには悪手だろう。

2、優秀な演説ができる者がいない

大衆の支持を得るには、とても優秀な演説家が必要である。
ナチスにはヒトラーという演説家の他に、かの有名な宣伝大臣ゲッベルスがいた。
この2人の巧みな手法により、ドイツ人は次第に被害者意識を深めて、気づかないうちに加害者となっていくわけである。

一方、急進的な活動家サイドに、優秀な演説家はいるだろうか?
シュプレヒコールは演説ではないので、これだけでは人の心に響かないだろう。
仲間を増やすためには、何と言っても話術が重要であり、それを間違った方向に活かしたのが、ナチスであり過去のテロリズム信仰宗教である。
彼女たちに優秀な演説家がいないのは、我々にとっては幸福なのかもしれない。

3、マーケットが小さすぎる

ヒトラーが扇動したのは「大戦でプライドをズタボロにされたドイツ人全員」であり「その被害者意識とナショナリズムを高揚」させた。
つまり、傷を負ったドイツ人全員に働きかけを行ったわけで、その“マーケット”の大きさは計り知れない。
ドイツ国内に限らず、ポーランドやズデーデン地方のドイツ民族をも仲間に取り込むことに成功したのである。
さらには一時的にでも独ソ不可侵条約という形で、敵対していた共産主義をも取り込むのだから、恐ろしい。

しかし、急進的な活動家にとってのマーケットは、女性全員ではなく「自分たちと被害者意識が合致する女性」なので、扇動対象のマーケットがあまりにも小さい。
それどころか、手を差し伸べる先輩や政治家、政党を自らの手で切り捨てるので、マーケットが広がるどころか、先鋭化してどんどん狭くなっている。
これではナチスのようなムーブメントを起こすことは到底不可能である。
そもそも“扇動”とは、仲間意識や被害者意識を呼び起こすために行うものなのに、彼女たちの場合は被害者意識が先行しているため、そもそもの順番が誤っている。

まとめ、どうやって立ち向かうか

歴史を振り返ると、その後ドイツは連合軍に完膚なきまでに叩きのめされてしまい、国が分割されるという結果になるのだが、これには1939年にイギリスが見かねて宣戦布告したことが大きい。
つまりはあまりにも多くの人が扇動されてしまって攻撃性に歯止めがかからなくなってしまったため、同じような攻撃的な手段で対抗せざるを得なくなってしまったということである。
この事実を鑑みると、もし急進的な活動家の攻撃性に歯止めが掛からなくなったら、当時のイギリスのようにいつか我々も真っ向から戦う道を選ばないといけないだろう。
それはもはや対話不全を起こしており、このままだとありとあらゆるコンテンツや集団が“焼け野原”になるからである。

しかし、当時の大国であるイギリスが動いたのは、相手の勢力の強大さも理由の1つであり、ちっぽけな集団だったら(1920年代のナチス創設期だったら)大きな対抗勢力は出てこない。
1つ皮肉なのは、活動家サイドに目を向けると、まだまだ当時のイギリスのように大手を振って立ち上がるほど大きな勢力とは言えず、どちらかと言うとこのまま自壊する組織であると言えよう。
ただし、もし攻撃された場合は、徹底的に対抗しないと、その抑圧を勝利ととらえ、それこそ当時のナチスのようにどんどん調子に乗ることは間違いない。
それは、やはり強権的にズデーテン地方を得て、チェンバレン首相の対話を無視した当時のドイツととてもよく似ている。
いや、どちらかというと当時のドイツはまだ対話姿勢を見せていたので、今回のケースはそれよりも早い段階で対話不全に陥っているのかもしれない。

最後に、ここで勘違いしてはならないのが、フェミニズム=フェミナチではないということだ。
今回の騒動で明らかにフェミニズムが敵視されるようになっているが、これはナチス=ドイツ人と捉えるようなもので、(牢獄に入れられたり、亡命する必要性があったりしてはいたが)ドイツ人全員が必ずしもナチ的思想を有していたわけではないことからも、大きな誤りである。
したがって、フェミニズムの中の一部が先鋭化して現れた狂気であり、等式でつないでしまうのは些か性急な結論であると思う。

ただし、今後フェミニズムもっと先鋭化して当時のドイツのように破滅に向かうのか、それとも自浄作用が働いてフェミナチが一掃されるのか、その点には大いに注目していきたいところである。

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