顔合わせ。 (「シバイハ戦ウ」第3話)
役者仲間に会うのが嬉しいのは
コロナで仲間の芝居を観られなくなったからだ。
自粛もあり、中止もあり、だから劇場に来る事こそ久しぶりだった。
12月初旬「シバイハ戦ウ」の顔合わせがあった
場所は三ヶ月後に僕たちが公演の本番を行う「スタジオあくとれ」という劇場だ。
古いマンションの地下にある劇場で、もう何十年もこの場所で芝居が行われて続けてきた
中野駅から線路沿いの商店街を歩きカフェベローチェの手前、見過ごしてしまうような看板、劇場の門がまえと言うよりは地下駐車場への入り口みたいだ。
簡単なアルミ戸が開いていた。細くて急な階段を降りると、寒々とした鉄筋コンクリートの空間がある。
夕闇の中野駅は急ぐ帰宅の人たちに活気があった。
この秋GoToキャンペーンなどが全国的に行われたのもあるのだろう。僕もGoToイートを使って地元のハンバーガー屋さんで挽肉ビーフバーガーを1度だけ食べに行たっけ。
街に人が巡り始めたのかもしれない。
だがつい先日そのGoToのキャンペーンも一斉に取り辞めになった。
舞台の上に長テーブルを5つ並べて半円にソーシャルディスタンスの感覚をとり全員マスクをしながら始まった。
まるで同窓会のような雰囲気だった。
つい先日、本番を終えてPCR検査のことを話している山口雅義さん、中止になった公演を悔しそうに語る池田ヒトシさん、tumazuki no ishiはしばらく観ていないが初めて共演する日暮玩具さん、演出助手をしてくれる松岡マリコさんも途中から加わり、今回の作・演出、プロデュースしているテッピンの吉田テツタさんはみんなのテーブルに持ってきたミカンを紙袋から一個づつ忙しく置いている。
劇場の設備を確認していた舞台監督の横山朋也さんも控えていた。
一通りの説明が行われ、自己紹介があり、出来炊てホヤホヤの決定稿を読んだ。
これからこのメンバーで、芝居を創る。
「今まで観た芝居で、一番は何?」
という質問をテツタさんがした。
なんだろう。
一人一人の話を聞きながら考えていた。
演劇、小劇場、芝居。
なんだか分からないけど興奮した。前のめりに舞台にかぶり突いた。
大きな音響、役者の怒鳴り声、話の筋なんか覚えていない。劇場という空間で人が非占めき合う熱気と興奮の体験。
僕もたくさん観た
面白いと思われるもの、噂、感想聞いたもの
ネットなんてない時代とくに
手当たり次第、足を運んだ
街中の小さい劇場や突き当たりのスタジオ、駅から歩いた大きなホール、神社のテント、野外劇、画廊や古民家、マンションの一室で行われたもの。
僕が観てきた
たくさんの芝居、公演。
でもそれを語るみんなの顔は歓喜していて、
そしてそれぞれ人生の何かを変えていた。
「タッキーは何?」
ついに僕の番が来た。
「こんなところで劇をするのか?」
そうか僕は
プロの作品ではなく在学中の演劇部員が5人くらいでやっていた
高校一年の時に観た演劇部の新歓(新入生歓迎)公演だ。
しかも観たのはちゃんとした劇場じゃない。
でも僕は、感動したんだ。
廊下で渡された手書きのチラシには「くりえいた〜ず」と題されていた。
放課後の体育館ではバスケ部やバレー部が練習している「ソォーレッ!」とか「ヤーっ!」という掛け声。ボールを打つ音や部員たちの行き交うコートの壁際を遠慮しながら仕切りのネットを跨(また)いで邪魔をしないように抜けて
校歌のボードの下は、白い鉄扉の向こうに入った。
不穏な感じ、チラシを何度も見返したが、ここしかない。
しかも、もうすぐ開演時間だ。
緞帳(どんちょう)の閉まった体育館の内側舞台へと上がった。
「こんなところで劇をするのか?」
信じられないまま照明はよく見る蛍光灯。
平舞台に客席のように折り畳みの椅子が並べてあり
「今年の新入生ですね」と案内されるまま空いている一番前に座った。
すでに何名かの生徒がお客さんとして椅子に座っていた。
この環境は僕の思っていた「お芝居」とは違っていた。
幕の内側には何も飾られていない、むき出しの体育館で板間だ。
舞台?中央に、階段みたいな白い木箱が置いてあった。
蛍光灯が消えた。
閉じられた大幕の袖に寄り添う
こぼれた光りの隙間から
ボールの跳ねる音と掛け声が揺れていた。
うっすらと四人の先輩が並んでいるのが気配と影でわかる。
明るくなると大きな音で洋楽が流れ土着的なリズムのダンス。物語が始まり
小気味よいセリフのやりとり、ドタバタだ。もうなんか、奪われていた。
僕とあまり変わらぬ身近な人たちが、弾むように活きていて
すぐそこにいて
とてもかっこ良く見えた。
体育館の平土間に、突然ステージが現れた。
その空間が始まると、もう外の部活動が気にならなくなっていた
物語は、配送の職場に子供が迷い込んできて引っ掻き回す。実はそこは
クリスマスプレゼントの配送営業所で普通のバイト員に見えたのは
実はみんなサンタクロースだったのだ。
赤い服は着ていない。サンタは白髭のおじいさんではなく普通の若い人たちがやっていたのだ。イブの夜にだけ集まり子供たちにプレゼントを渡し存在を知られないまま喜ぶ姿を想像して働いている。
学校という日常の中で「くりえいた〜ず」は
まさに多くの人の目に触れず、ひっそりと体育館の内幕で
しかも熱く上演された。
劇が終わると、
また部活動の声が聞こえてきた。
ほんとに面白かった。
何もない舞台でくり広げられた情熱的な何かに僕も参加したかった。
このメンバーになりたかった。
時は昭和の小劇場ブームが円熟を迎えつつあった1987年。小さな劇団がどんどん大きなホールに進出し、それからイベントを巻き起こし、それを観てきた下の世代「高校演劇」も盛り上がっていった頃、そんなことを何も知らずに僕は新生活に胸躍らせ新しいことを始めたかった。
数日後、演劇部への入部を決めた。
僕の小劇場へのスタートはここだった。
何もない空間が、ひとたび踏み出すと何か違う世界に吸い込まれ
終われば再び日常に帰っていく。
でも自分の歩くテンポが興奮していて胸の奥に揺れるこの熱い灯(とも)し火のおかげで
明日も学校に行ける。
そんな初劇体験だった。
2020年12月上旬あくとれで行われた「シバイハ戦ウ」の顔合わせは、
来年2月からの稽古予定を渡され、ひとまず解散ということになった。
「公演をする3月には、この状態が良くなってくる」
しかし年を明けて関東の1日あたりコロナ感染者数が2000人を越える日も出てきた、1月8日には再び非常事態宣言が始まる。
芝居を簡単に
演ることも観ることもできないコロナ禍という時期。
たくさんの人に観たもらいたいというのは本音。
でも、いろんな人には、きてもらいたくない、と思うのは
コロナという通過儀礼を芝居が試されているからだろう。
今でしか感じられないこと。
共有ができないこと。
永遠に、思える一瞬。
いろんな人ではなく
愛している人たちに囲まれたい。
愛している人たちに渡したい。
リスクを越えて。
そんな願いを
コロナ禍に想う。
シバイハ戦ウ。
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納得のいく答えなんかないけど
僕には、心躰と意思がある
動かさないのは、もったいない。