論語と算盤~第7章 算盤と権利~
論語にはよく、「仁」という言葉が出てきます。「仁」とは、人としての道、道徳という意味合いがあります。人として正しいことと思うのであれば、例え師匠であっても折れてはいけない、ということでしょう。
今の世の中は、間違いなく昔と比べれば平和です。最近、この本を読んでから自分が改めようと思っていることが、「簡単に人の意見に流されないこと」です。感情に流されないことも意識し始めています。職場の人は敵ではない。仲間です。その仲間の意見を、一個人の感情で、「いや、自分の考えている方が正しい!」と反発することに対しては慎重になる必要がある、と思っています。もちろん、明らかに市民に迷惑がかかる決断であれば、声をあげて止めるべきですが、相手方の意見に対して考えようともせず、「自分の意見が正しい!」と鼻を折るのは間違い、と思っています。
「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」-孫子の兵法の有名な言葉ですが、相手の考え方を知ること、そして自分の考えを知ることができれば、必ず穏やかに、そして建設的に物事が進むと信じて、職場の仲間を大切にし、仲間の意見を吟味し、私の意見を作り上げ、今後の広報のあり方を慎重に考えて進めていこうと思っております。
上司、部下がともに思いやる気持ちを持ち続けることができれば、その部署はなんと素敵な部署なのでしょう。しかし、そのためには自分から率先して相手を思いやる必要があると私は考えています。
市役所の仕事は部署を異動すると、新人と変わらない知識からスタートします。もちろん、一日も早く仕事に慣れ、覚え、貢献することは誰もが当たり前の心がけとして身に着けるべきものですが、それ以上に大切なことがあるのではないか、と思います。それが、「相手を思いやる心」だと思います。
皆は異動したての人に対して、「以前の部署での活躍した人だ」あるいは、「以前はたくさんヘマをした人だ」とか「年数の長い人だから」など様々な理由で見られます(これまでの評価というものでしょう)。しかし、異動した本人は、前の部署の態度や考え方が染みついてしまっています。
そのため、「自分は〇〇で市民の役に立ってきたんだ!だからこのやり方を変えずに市民の役に立つんだ!」と思いがちです(私がそうでした笑)。
しかし、この考えのまま進めてしまうと、当然、周りには馴染めず、孤立無援状態を迎えるでしょう。
周りの人も、考え方はそれぞれありますが、市民のために仕事をしているのです。当時の私はそこに気付くべきでした。
もちろん、人には悪い考え方を持った人が上に立つことがあり、そうなった時はいくら思いやりの心をもってしても、見下されるだけになるでしょう。
それでも、人を思いやるべき、と考えます。堂々と。毅然と。年数はかかりますが、人を思いやることで、相手の人となりがわかってきます。
私はこの、「思いやりの心」-相手がどうしてほしいか、どういう行動をすれば相手に笑顔が見られるか、を考えて接することを心掛けて仕事に励もうと思っています。
これは、自分自身の戒めのためにも文章を書きました。捉え方はそれぞれありますが、「仁」-「人としての道」-「相手への思いやりの心」と思って、小善を積み重ねていけたらいいな、と思います。
「無税国家こそが真に目指すべき政府の姿である」。これは、松下幸之助氏が松下政経塾を開くにあたって、軸とした考え方です。無税国家になれば、私たち一国民は単純にとても喜びます。しかし、今の世の中はどうでしょうか。
消費税の増税、法人税の増税、相続税の増税…。増税続き、という現状です。これではいくら経っても無税国家にはなりません。
税金を使って、何をしているのだろうか?と思うのです。私は、お金持ちから金を取り、貧しい者に分け与えている、と見ていますが、それでは、「お金を稼ぐことが悪」という発想になりはしまいか。声を大にしてこの流れは止めるべき、と考えます。
今の時代、増税をしてしまっては、益々お金持ちが少なくなってしまいはしないか。お金を稼ぐことは悪いことなのか、生活を豊かにすることは悪いことなのか…。今一度、お金の使い方を見直し、正しい富の配分を心掛けていただきたいな、と思う一国民です。
どうか、政府が無税国家を実現し、市民や国民自らが「これだけのお金を納めてください。このお金を使って、〇〇という事業を成し遂げてください。」と自然と政府にお金が集まり、将来の子どもたちや貧しい人を救済するなど、お互いが手を取り、全体を思いやれる関係を築く努力をしてほしい、と節に願う次第です。
この考えは、私も好きな考え方なのですが、一つ吟味する必要があると考えます。それは、「親に対する徳」です。
平和になった世の中、親も命を奪われることは無くなり、安心して富を築くことができる時代になりました。そうなると、最も恐れるべき「甘え」という感覚が生まれます。「甘え」は恐ろしいものと考えます。身近な例でいうと、「料理は作ってくれ」「洗濯物は干してくれ」「次は畳んでくれ」「テレビのリモコンをとれ」「家の掃除をしておいてくれ」…。など、甘えが始まるとキリがないです。
私は、大阪の親元から離れた愛知県で公務員として働いています。その理由は私自身が「自立したい」と強く思ったからです。親元に帰ると、甘えてしまうと思いました。
ところが、親が私を大阪に戻そうと必死になった時期がありました。「お金も準備するから戻ってきなさい」「仕事を辞めて次の職が無いんだから一旦帰ってきなさい」…。当時弱かった私はその言葉に揺らぎ、前職を辞めた直後で、今の奥さんがいる愛知県でアパートを借りる契約をする直前、大阪に引き返そうかと揺らぎました。しかし、奥さんの「あなたはどうしたいんだ」という一言に目が覚めました。自分は自立がしたいんだ、親に迷惑をかけずに、立派に働きとおしたいんだ、という思いを再認識しました。
前職を辞めた当時は次の仕事は無く、無職でした。しかし、今の奥さんの鶴の一声があったお陰で、大阪に戻ることなく、愛知で再起を図ることができました。
それ以降、いまだに親からの理解は得られていませんが、私は自分の決断は誤っていなかったと自信があります。
私は、親孝行は、親のそばにいて、なんでもしてあげることではない、と思っています。20代前半までの自分は親に対して、何でも言いなりでした。反抗期もなく…。それこそ、「親孝行こそ仁の道」という言葉をはき違えていました。
本当の親孝行は何か-人それぞれの考え方がありますが、私は自分自身が金銭面で自立をして、なおかつ親の考え方が誤っていた時は正すことができ、お互いが思いやる関係を築くことです。後者2つは出来ていません。親も人間です。間違った考えを持つこともあります。親の言うことを聞くことだけが子としての役割ではない。
自分の考えを親に理解してもらえることは出来ませんが、それこそ遠くにいながらできる思いやりの心を忘れず、親子関係の努力を続けていこうと思います。