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『X エックス』が提示したのは、生きる者に必ず訪れる「恐怖」の物語

「本当の恐怖とは一体、なんだろうか?」

今回はホラー映画の話をするが、この言葉は恐怖を題材にした映画を観るたびにいつも思う言葉である。

今作はこの問いに一つの答えを出すに至った作品であり、それは観る人によれば大した問題ではないほど自覚できないことであり、またある人からすれば現在、日常の中にある実存的な恐怖そのものである。

そしてその恐怖はいずれ全ての人に訪れるものであり、それは死によって終幕する、その恐怖とは「老い」である。

今回紹介する作品は『X エックス』

近年アリ・アスターの一連の作品により、斬新なホラー映画プロダクションのような印象が板についてしまったスタジオ・A24の新作である(もちろんホラー映画だけの会社ではない)。

この映画は実は三部作構成の一作目で、その序章となるのが今作『X エックス』である。

【"老い"への想像力が恐怖を加速させる】

舞台は1978年、あらゆる往年の傑作スプラッターを彷彿とさせる映像が特徴の今作。

トレイラーでも分かる通り、印象的な赤いライティングに照らされた老婆のパールが今作のヴィランであり、この老夫婦が住んでいる農場にポルノ映画を撮りにきた若者たちが次々と惨殺されていくという展開である(エロい事すると殺されるお約束)。

パール婆ちゃん!

これまで老婆という存在が恐怖の対象になった映画は沢山あるし、○○ババアといった妖怪や都市伝説の類には枚挙にいとまがない。

しかしこの映画が描いている恐怖は、老人という存在が醸しだす得も言われぬ存在感に頼るような単調なものではない。

「我々も彼らのように老いてしまうのだ」という人生の路線上で避けられぬ地続きの恐怖である。

誰もが知っているはずの自然現象のはずなのに、誰もそれを直視しない。特に若いうちは。

多くの若者(かつての自分を含めて)は25歳を過ぎても運動能力が18歳の頃と大差ないと思っているが、その体力低下は20代後半で始めて自覚し、まざまざとショックを受けたりするのが常である。

30を越えれば徐々に油物を食べられる量が減り、その先には四十肩、五十肩があるのかと思うと気が滅入りそうだ。

我々は生を全うしている以上、徐々に老いと向き合わなけばならず、その現実からは逃れようがない。そんな老いという危機に対してどれだけ現実的に脅威に感じているかで、この映画から得られる恐怖の度合いが大きく変わってくる。

【生(老い)と性のミスマッチの恐怖】

この映画の二つ目の恐怖は、老いと性欲の減退が比例していないことだ。そしてそれは現実にありうる。

僕らはなぜか歳を取ると、性欲も自然になくなると思っていないだろうか?
どれだけの人(若年層)がそう思っているかは分からないが、僕自身漠然とそんな偏見があった。

しかし、後期高齢化社会が加速する日本で高齢者福祉の現場での性処理問題は深刻である。日本性科学会が2018年に発表した調査でも60代以上の男性で70%、女性で30%以上の割合で「性欲はある」と回答している。

はっきり言って「全然衰える気がしねぇ……」が男である自分の本心であり、若干恐ろしくもある。

身体は衰えていくのに対して性欲が残るのは、自然の仕組みとしては種の寿命が長いほうが効率的なのだろうが、肉体と精神がミスマッチが老いるたびに加速していくようで不安である。

この映画ではそのミスマッチに苛まれ、衝動を爆発させて大残酷殺戮ショーを展開してしまうパール婆ちゃんなわけだが、老いに対してそんな恐怖心がある僕は正直パール婆ちゃん側の気持ちで今作を見入っていた。

婆ちゃん頑張れよー!

老いてなお性欲が残ることは悪いことじゃないし、それをどうコントロールするのか、という問題提起をこの映画は観客にブチ込んでくる傑作だ。

【もう一つの恐怖「親ガチャ」問題】

今作のもう一つの恐怖は"親ガチャ"である。
パール婆ちゃんが老年にして性衝動に目覚めたのも、実のところ親ガチャによるところが大きい。

劇中に印象的にインサートされるテレビ映像がある。
キリスト教原理主義的な牧師が信徒に演説をしている映像だ。この映画の舞台はテキサスであり、そのテレビはパール婆ちゃんの家で流れている。

テキサスといえばバイブルベルト(厳格で熱心なキリスト教信者の多い地域。主に保守的で右派的な傾向がある)で最も大きな州である。

つまりこのパール婆ちゃんは元は踊り子だったにも関わらず、キリスト教で最も禁欲的な地域に嫁ぎ、おそらく性的にもそのコミュニティの中で我慢と抑圧を強いられ続けたはずだ。

そしてちょうどこの70年代は魂の解放と称し、若者は生に奔放になり、ヒッピーカルチャーとドラッグが大流行した時代である。

最も食い合わせが悪い価値観が、最も最悪なタイミングでパール婆ちゃんの隣にやってくる。そこからこの惨劇の物語が始まるのは何とも皮肉である。

今まで我慢していた性衝動が、晩年になってそれをあざ笑うかのように若い男女が隣でヤリまくっている。

こんな惨い老人物語が、鮮血と悲鳴の残虐ショーへと変貌する。
生きることへの真の恐怖と、魂の解放のサディズムが共存するこの映画こそ、いま最も怖いホラー映画だと僕は思う。

今作と共に、いまNetflixで話題の台湾ホラー『呪詛』と、先日レビューした『哭悲/THE SADNESS』の三本立てで先日Youtubeでも、熱く語り上げましたので、そちらも見て頂けると幸いです。


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