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「愛は地球を救うのか?」どうかは知らんが、隣人を救う愛はそこにある!いま絶対に見るべき映画『サユリ』の深層

割引あり

 前回の記事では『24時間テレビ』についてのアレコレを綴ったのだが、書き始めた当初は、現在公開中のホラー映画『サユリ』と絡めて語ろうという、方向性で書いていた。

 それは『サユリ』という映画が、今回の『24時間テレビ』のテーマ変更問題に、まるで呼応しているかのような作品だったからだ。

 かねてからその運営方法に疑問が投げかけられ、チャリティー番組としての在り方を問われ続けていながらも、頑なに放映を続けてきた『24時間テレビ』だが、今回は募金の着服という身内の失態を機に「愛は地球を救うのか?」という疑問符のついた形へとテーマを変えて放送された。

 僕が『24時間テレビ』の募金着服から、テーマに「?」を付けまでの流れに一言を投げるとすれば、これに決まりだ。

「悪いことすんなって言ってんじゃないの。ダサいことすんなって言ってんの」

ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』第七話
タカシのセリフより

 ネット上で引用されまくり、もはやクリシェミーム化してしまっているが、それでも男の魂を掴む強い名言である。

 これまで番組の運営方法はどうであれ、そのチャリティー番組としての正当性を明確にした正義の証ともいえるテーマに、疑問符を付けることで、辛うじて番組としての「よさげな建て前」を添えて、視聴者にお伺いを立てるようなダサいマネをするな。

「やらない善より、やる偽善」に真の正当性を見出しているならば「?」など付けずに、「それでも、愛は地球を救う」として、番組を敢行すれば良いのだ。そのほうが何倍も、カッコ良かったと思う(敵は増えたかもしれないが)。

 そんな日和った番組に辟易した気分のまま(今作を見たのは、ちょうど『24時間テレビ』が放送されている9/1の午前中だった)、劇場で観た『サユリ』が、とんでもなく最高傑作だったので、ここで語りあげたいと思う。


 家系ホラー映画でありながら、ホラー系〇〇〇〇映画

 映画タイトルでもあるこの『サユリ』は、主人公一家が購入した一軒家に棲みつく、悪霊化した元の住民家族の娘の名だ。

 『サユリ』という映画は、基本的には『悪魔の棲む家』や『呪怨』のような家系ホラー(ラーメンみたいな言い方で好き)なのだが、そういった作品では「その家についた悪霊をどう祓うのか?」というお決まりの展開がある。

しかし今作では、その祓い方が斬新で、なおかつ整合性と合理性が備わっており、強引でありながらも強く納得させてくれるエネルギーがあった。

 悪霊払いの代名詞的な映画といえば、フリードキンの『エクソシスト』だが、悪魔祓いといえば、十字架に聖水、悪魔の嫌う「祈りの言葉」など、至ってキリスト教的な方法で、悪魔と対峙する(『エクソシスト』は、神父なのでカトリック)。
 日本に置き換えるなら、陰陽師や祈祷師かもしれないが、この『サユリ』は全く違うやり方で、悪霊を払うのである。

 それは聖なる力が宿ったアイテムでも、霊能力のようなスピリチュアルでも、神の力でもない。

 悪霊を撃退する唯一の武器。
 それは「生命力、人間が元来持つ、生きる力そのものなのである!」という至ってシンプルな結論だ。

 これを聞いて「なんだそれ!」と思った方々へ、その戸惑いは、充分わかる。
 なにより、僕もそれを聞かされたとき「マジか……今日の映画、失敗したかもしれん」と思った。

 この映画、実は半分は怖くないことを、ここで告白しておこう(怖さの定義は、それぞれだが)。

 だからいわゆるJホラー的な演出、背筋が凍るようなキンキンの恐怖を求めている方には、この映画は薦められないというのが正直なところだ。

 しかしそうであっても、この映画の前半部分は、昨今のJホラー作品のなかでも、ズバ抜けて怖い。往年のJホラー的恐怖演出の詰め合わせで「白石監督、本気で怖がらせに来てるな!」と、身構えたほどだが、それはこの映画の半分であり、後半で展開するとんでもないジャンルチェンジへの壮大なフリである。

 前半部分が正統派Jホラーの集大成ならば、後半はどんなジャンル映画なのか?

 僕に言わせれば『サユリ』という映画の後半は “自己啓発” 映画だ!

 青春であり、スポコンであり、現代社会を生きるうえで最も必要な、生命力を観客へ与える、ホラー系自己啓発映画である。

「我々はなぜ幽霊が見てしまうのか?」というホラー映画の問いに対する答えとして「それは恐怖のあまり、幽霊の存在を想像してしまうからであり、その場に居もしない幻影を、己の恐怖という自意識が、映してしまうからだ」というロジックだ。ならば、その恐怖を精神から追い出してしまえば、悪霊に打ち勝つことできる、のである。

 この映画で、悪霊と化したサユリと対決するのは、根岸季衣扮する「ばあちゃん」とその孫・則雄(南出凌嘉)なのだが、ばあちゃんの幽霊退治に対する哲学を表したパワーワードが、今作には満載だ。

「相手は死人だ! 生きている我々に、本来叶うわけがない!」だとか「恐れるな! そうやって恐れているから、心につけ込まれるんじゃ! 笑え!」など(著者意訳)、強引ながらシンプルな対立ロジックに納得させられてしまう。

 怖いことを考えるから、それは実際の現象になるのだとするならば、常に明るく、ポジティブで、バカバカしいほど笑えること(そこに中二レベル下ネタも入ってくる!)を考えていることが、悪霊との対決に有利だという主張は、悪霊退治のみならず、現代社会のあらゆる問題解決の根本的な解決に直結している。

 職場や学校のどこにでもいる「気に入らないあの人」などに対して、どんなに相手を変えようとしても無駄であり、神経をすり減らしながらストレスに溺れ続けるよりも、相手と距離を取りつつ、ストレスの中で泳ぎ方を習得し、気持ちを引っ張られることなく、前向きに生きた方が良い。

 そのために「よく食べ、よく寝て、よく動き、明るいことを考えろ」と、ばあちゃんは言うのだ。至極当たり前の対処法であり、それが精神と肉体を鍛え、強くする唯一の手段であり、最大の武器なのだ。

 我々の生きている生活圏の中にも、形は違えど、生きとし生ける者すべての人生の中に、それぞれにとってのサユリという恐怖や不条理が存在し、それが普遍的であるからこそ、観客の心に響くのだ。

 『サユリ』の前半は最恐家系ホラー映画でありながら、後半はホラー系自己啓発映画である。しかしこの映画のすごい所は、こういった奇抜なジャンルチェンジだけではない。

 この映画の深部には、それ以上に重く、壮大なテーマが横たわっている。

ババアVSデブの頂上決戦!それは社会におけるアウトサイダーの闘争だ!

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