『デッドプール&ウルヴァリン』英雄の復活に感涙しながらも、シリーズで最も大切なモノを、ブレさせちゃったので「とっても悲しい」
シリーズ最新作を完璧に楽しむために、いったい何作の過去作と何シーズン分のスピンオフドラマを消化すれば良いのか分からないほど、超巨大マンモス大河ドラマ化しているMCUに、シリーズ3作目にして本格参入(?)したデッドプール最新作『デッドプール&ウルヴァリン(以下:デプヴァリン)』。
今回はこの『デプヴァリン』を忖度なしで語るわけだが、公開開始から三週間でいまさら感が否めないが、とはいえ、公開すぐには書けない内容でもあり、この微妙なタイミングでの記事化です。
さて、デッドプール(以下:デップー)の魅力とは何だろうか?
コメディ満載のおちゃらけたキャラクター性だろうか?
作品間の世界線や我々の現実世界を跨ぐ、第四の壁を破壊する特殊能力(観客に呼びかける狂ったメタ認知)だろうか?
作品全体を通しての自虐ネタや、他作品への嫌味なイジりなど、巧みで遊び心満載のイースターエッグだろうか?
そのどれもが、デップーをデップー足らしめているが、僕にとって最大の魅力は、善人にも悪人にもなりきれず、ブレブレな中途半端さが、最大の魅力である。
勧善懲悪ヒーローのアンチテーゼでありながらも、あくまでも独善的な自己意識で戦い、結果的に英雄的な行いをしてしまうところだ。
世界の滅亡に抗う王道ヒーローとは違い、自らの意思で、恋人や隣人の為に戦う。そのくせ王道ヒーローへの憧れは捨てきれないが、チームで共闘するのも、命令されるのもイヤ。道徳観はそれなりだけど、損得勘定にも弱くて優柔不断。
そんな庶民的で半端者であるデップーも、幸か不幸か不死身の身体を持つバケモノなので、腹を括ればめっぽう強い。
どんな不幸に見舞われても、自殺出来ない悩みを抱えつつ「ま、悩んでも仕方ねーか!」と、二挺のデザートイーグルと刀を操り、死体の山を作りながら、人生を懸命にポジティブに生きている姿に、僕は共感と感動を覚えるのである。
そして今作の最大の魅力は、ヒュー・ジャックマン扮する、ウルヴァリン=ローガンの “帰還” である。
かつての大ヒットシリーズ『X-MEN』がなければ、今日のマーベル映画は存在しない、といっても過言ではない。その主人公にして立役者のヒュー=ウルヴァリンが、最高のエンディングを迎えて終焉した『ローガン』以来の復活の報は、往年ファンを狂喜乱舞させた!(と同時に、多大な不安を抱かせたに違いない――昨今のMCUの整合性合わせのための掌返しには、辟易の方もおられるのでは?)。
そんな魅力がてんこ盛りの今作を、満面の笑みで愛でながらも、眉間に皺をよせ、頭を抱えながら語っていく。もちろんネタバレ有りなので、後半は有料になっております。ご興味のある方は買って下さいませ。
(※ちなみに、僕自身はマーベル映画オタクではないので、今作の世界線がアース何なのかとかは、ほとんど考えてはいませんので、内容に齟齬があるかもしれません。その辺はもっと詳しく、お優しい方は、コメント欄にてお力添えを頂くとありがたいです)
『ローガン』の感動を“犯す”、潔いオープニング
今作『デプヴァリン』のオープニングは、観客をいきなり二つの感情に叩き込む。それは「歓喜」と「怒り」ではないだろうか。
劇場に足を運んだ観客は、ウルヴァリンの復活に胸を膨らませながらも、それをどう描くかに刮目している。その者たちの多くは前作『ローガン』で、ウルヴァリンことローガンが、何のために戦い、どう最後を迎えたのかを、あの切なくも美しい感動と共に記憶しているはずである。
ローガンが命懸けで、未来を託したミュータントの少女ローラが、最後に手向けとして立てたローガンのシンボルでもあるX印の墓を、まさに「不適切にもほどがある」有様とテンションで、掘り返すデップー。
僕は、制作陣からの「今作は、これまでのウルヴァリン関連作品の感動を全て破壊します。でも安心して下さい! 今作はそれを越える超傑作として、絶対の自信があります! とりあえず黙って最後まで観ろ!」という力強いメッセージを、ビシビシ感じて最高だったのですが……。
このシーンに怒る人の気持ちも、すごく分かる。
僕も『ローガン』で、墓石代わりの十字架を、ローラがXに傾けるシーンで毎度、感涙を禁じ得ない一人だからだ。
あの大感動の終焉があったからこそ、ローガンという孤独な戦士は、安らかに眠ることが出来たのだし、あの大団円を迎えてヒュー・ジャックマンはウルヴァリンを卒業したのだから、往年の『X-MEN』シリーズのファンからすれば、あのローガンの墓はまさに聖域である。
その聖域を侵すことは、往年のファンの心を犯すのと同義であり、今作の試みが失敗しようものなら、自身の首を締めかねない危険な賭けでもあるのだ。
しかし、この無礼な振る舞いを、僕はあえて制作陣からの、潔い決意と挑戦の表明として受け取り『デプヴァリン』の顛末を最後まで見届けようと、心で正座し、スクリーンに対峙し続けたのである。
観客を情緒不安定にするカメオの嵐が、物語を煙に巻く
冒頭での墓荒らしを終えると、案外あっさりと登場するヒュー・ジャックマン=ウルヴァリン。
この展開自体、すでにトレイラーやエンタメニュースで、ヒューのウルヴァリン再誕は周知の事実で、登場シーンをもったいぶらなくて良いのだが、その間に様々な小ネタが挟まれ、ファンの心を抉る憎い演出がたくさんある。
僕は、マーベルにわか小僧(年齢は中年)なので、細かい点は反応できなかったが、ある俳優がカメオで出たり、コミックファンには嬉しい様々な世界線のウルヴァリンが出たりと、嬉々としてせわしないネタが矢継ぎ早に展開する。
さらに物語は進行し、ウルヴァリンとデップーは、虚無の世界へと辿りつく。そこでさらにとんでもないヒーローたちと出会う。ここで多くのファンは昇天したと推察する(僕もその一人である)。
この映画の構造上、先にも書いた通り、伝説の英雄であるウルヴァリンの復活は既にアナウンスされているので、観客へは、その期待を上回るカメオ出演のサプライズと、イースターエッグの玉手箱を大盛で提供してくれるサービス精神は素晴らしい。
ただでさえ、MCUシリーズの世界線は複雑なのに、さらに近年のマルチバース営業展開をすることで、わけが分からなくなっている状態(当社比)な上、さらに『X-MEN』シリーズの、ややこしい世界線まで混じってきているのだから、マーベルにわか小僧(中年)の僕からすれば、これはもう脳死を決め込んで鑑賞するしかないのだ。
だがしかし、マーベルがディズニー帝国から植民地化される前のヒーローの登場とあらば、いくら脳死状態の僕も脳汁だだ洩れでテンションが爆上がり、観賞中に感極まってしまった。
仮に、このテンションのままシアターから出て、取材陣からカメラを向けられ「『デッドプール&ウルヴァリン』いかがだったですか?」などと訊かれていたら「『デプヴァリン』最高ーッ!!」など、満面アホ顔で絶賛コメントを叫び、その映像が後日「大ヒット!公開中!」のテロップと共に、テレビCMで使われるという大惨事を招いていたであろう(この手のテレビCMは、もうなくなってしまいましたね)。
それぐらいファンの魂を掴み潰すほどの、小ネタ&カメオの連続で、何か素晴らしいものを観た気になんとなくさせられてしまうのが、今作の非常に巧みにできている点であり、実は、最大の欠点でもあるのだが……。
ここから先は、その欠点について語っていこうと思う。
これ以降、結末までネタバレ有りであることを注意していただきたい。
ここから先は
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