木漏れ日の影の形をとどめる。映画鑑賞記録④PERFECT DAYS
木漏れ日の影の部分ってなんて言うんだっけ。
こかげ?それはちょっとおおきすぎる。
それとも、影と光のあわいを合わせて木漏れ日とよんでいるのかなあ、あ、なんか載ってたな。
うーん、sunlightか、まずいな。
とかなんとか、2時間。
木漏れ日の影にきづかせてくれる映画でした。
それは、太陽と闇夜とかスカイツリーと公式便所のような二項対立じゃなくて、いや、二項対立なんだけど、二項対立のある世界のなかで、うまく言えないな、その重なり合う部分が、手元に落ちてくるときにあいまいさを持っている。うん。
重なり合う部分のあいまいさに僕たちは生きている。
年表に載らない部分の尊さ。
とかくドラマというのはドラマチックに、劇は劇的になる。というか、ドラマチックな部分にピントを合わせる。
僕たちも出来るだけ自分たちの人生が劇的になる(劇的であった)ように思い出し、語る。
なんだけどさ!そんなおもしろいことはあんまり無いわけで、僕はやっぱり昼休みにコーヒーに買いに行く時間を死守して生きていくんです。
それは僕の年表に載ることはないし、いや僕の年表なんてそもそも無い。
でも坂本龍馬が茶をしばく時間も、ジョン・ロックのアフターヌーン・ティーを僕たちは知らないじゃ無いか。
「キャラクター」とか「物語」は人生を大げさにしたいときには楽しいけど、あまりに露悪的なのだ。いや、言いすぎた、ごめん、疲れちゃうのだ。
だってそんな人生無いんだもん!
あるけど、極大と極小だけを画角におさめればの話で、ほんとはその間のなーがーーい紆余曲折とか、紆余曲折もしない日々を日々過ごしています。僕は。
ちゃんとはしてないけどフラットな優しさを持つフリーター、男を引っかけながらもカセットテープを純粋に愛するガール、清掃業者と一線をひきつつもハグを受け入れる妹、高くそびえながらどうしても綺麗なスカイツリー、救われたいけど、救われなくてもたぶん大丈夫な家出娘。
ほんのりいい人とほんのりイヤな人たちと、ほんのりパーフェクトな日々をかくも幸せに生きていくんだ。
平日にこそ時計を付けず、たいらかに生きる。
そうしてファインダーをのぞいた先に、日常を溜めていく。貯めていく?いや、そこまで役には立たない。
……でもそんなことをどちらかというと光側から寝ぼけて羨んで良いのだろうか?
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