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他人に干渉すべきか、否か。お節介の意義と正当性について。

お節介という言葉があります。

辞書やシーンによって定義は様々ですが、一般的には①当人は相手を思い「良かれ」と思ってやっていること②関与されることが相手にとって必ずしも必要としている行為ではないこと、辺りが共通認識でしょうか。

例えば、私が従事している「ソムリエ」という仕事はお節介の集合体で成立する職業だと思っています。

ソムリエというと、ワインの専門家のようなイメージを持っている方も多いと思いますが、半分だけ正解、といったところです。

本当の専門家は「ワイン造り」や「ワイン市場のマーケティング」、「海外からのワインの買付」をしていて、いわゆる0→1のプロジェクトに参戦しています。

一方、私を含めた多くのソムリエは、既に世に存在する「ワイン」というプロダクトを自身の感性と経験、知識を踏まえて「ゲストにとって、より最適な一本は何か?」と熟慮し提案するのが仕事です。

御幣を恐れず別の表現を用いれば「生産者やインポーターをはじめとした他人のふんどしで相撲を取る仕事」とも言えます。

それを踏まえると、少なくとも今の仕事は「お節介」がなければ成立しないわけです。

具体的にいえば、「自宅やレストランでグラスを傾ける瞬間や、ワインを嗜むシーンを”ソムリエ”としての経験を基に想像して、ゲストにとってぴったりの銘柄は何だろう、どんな味わい、フレーバーのワインなら飲み手の満足に繋がるだろう。」と仮定し、提案していくプロセスが重要なミッションとなります。

すなわち、お節介マインドを持ち合わせていなければ、ある種「ゲストの今までの経験に基づいた中から」しか、セレクトを導き出すことしか叶わず、星の数ほど存在するワインからより広い視野を持って最適解に到達することは一生成し遂げることができません。

「まだ見ぬ、より良いワイン」に出くわすも、「限定的な過去の経験値の中から選んだベターなワイン」を選択するのも、ソムリエ側のお節介具合によると言っても過言ではありません。


ここからは少し余談ですが、チームのクールな同僚から「あまり他人に干渉しない方が良いですよ。」と言われます。

仕事においては、「いやいや、多少のリスクは背負ってでも、干渉して心を込めてお節介を焼くのが粋ってものでしょう。」と思っていますが、彼が言うように、上司や部下、先輩や後輩と適切な距離感を持ちながら、互いの長所と短所、価値観に言及しすぎることなく、伸び伸びと業務を遂行することも「新たな発見」を生む上で大切だとも感じています。

何事もバランス、何事も相手へのリスペクトです。

職業柄、2月は閑散期となります。新たな事にチャレンジするには良い時期です。

ドカンと大きな成果を出す才能はありませんが、日々の出来事や出会う人達と丁寧に、誠実に向き合い、信頼する仲間と意思疎通を図りながら、多くの方に「ワインって何だか楽しいじゃん」と思って頂けるような仕事を創っていけるように進んでみます。前回の記事の通り、目標は「走りながら考える。」です。


というわけで、眠れない平日公休の25時より。

自分のできることを少しずつ増やしていける1年間にしてみます!