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「言うためだけの言葉」を使うと損する
なんだかいつも喧嘩ばかりしている人がいる。
そういう人の話を聞いていると「言うためだけの言葉」を使っていることがかなり多い。非対称な言葉と言ってもいい。
ものすごく簡単な例でいえば「バカ」がそうだ。
バカと言う方は「こいつ、バカだよな~」と思ってそう言うわけだが、言われる方で「おれ、バカだよな~」と思っているやつはそうそういない。だから、「おまえ、バカだな」と言われたら、言われたバカは「なんだこいつ、何を勘違いしてるんだ」と、怒るか呆れるかするしかない。
言われた方は絶対に認めない言葉というのがあるのだ。
「嫉妬」もそうだろう。たとえば人気セレブタレントのブログのアラ探しをするのが趣味、という人はたくさんいるが、
「それって結局、セレブに嫉妬してるんでしょ」
と言ったところで、言われた方は誰ひとり認めはしない。客観的にはどう見ても嫉妬に狂っているとしか思えなくても、本人には本人の論理があり、自分が嫉妬しているなどとは微塵も思っていない。「嫉妬」とはそういう種類の言葉なのだ。
だから、嫉妬している人に「嫉妬してるね」と言うと、悪意があると思われるし、バカだと思われる。
そういう言葉は、なるべく使わないほうが得だ。
MCバトルのように、あえて決めつけて観客の印象を操作をする戦略があるなら話は違う。そういう場ではそういったダーティな戦略も必要だろうと思う。
コイツ頭固いんだけど、どうにか妥協点を見つけたいな、というときは、非対称な言葉を、言われた方も認める対称な言葉に変換したほうがいい。
嫉妬の例でいうと、セレブタレントのブログに粘着している人の言い分は、たとえばこんな感じだろう。
「私は嫉妬などしていない。嫉妬って、自分より優れてる人に対して湧く感情でしょう。私はこのタレントが優れているなんて思っていないし、羨ましいとも感じない。私はこいつの非常識な行動と態度が目に余るから叩いてるんだから」
「いや、だとしても見ず知らずの他人の生活を逐一監視するのってやっぱり異常だし、歪んだ嫉妬心があるんじゃないの…」というのが素直な感覚だとしても、どんな意見であれ常に「本人にとっての正しさ」があるのだから、グッとこらえなければならない。
また、相手の言葉を勝手に翻訳して自分用の言葉にしてしまうというミスもよく見かける。
たとえば「やっぱり職場には女性社員がいたほうが華があっていいよね」と言う男性がいたとして、それに腹を立てて「あなた『女はそこにいるだけの置き物でいい』なんて言ってますけどね…」とか反論してしまうと、話がややこしくなる。実際そういう発言はカスだとしても、翻訳を挟むことで「は? そんなこと言ってないし」というしらばっくれのチャンスを与えることになるからだ。相手が「言った」と認める範囲内で反論したほうがいい。
どちらにせよ、妥協点を探りながら対話を続けるのは地味だし面倒ではある。グワッと湧いた怒りの勢いもしぼんでしまう。だけど、そうしないと後から損することのほうが多い。
「バカ」とか「嫉妬」とか「キモオタ」「クソフェミ」「脳みそお花畑」「お気持ち」「承認欲求」「発狂」「○○ガー」みたいな、言うためだけの言葉を使いたくなってしまうのは、「斬った」「言ったった」という実感があり、気持ちがいいからだと思う(しかし、そういう言葉を使う人はまさにそれを認めない!)。
「相手は相手なりにどう自分の正当性を確信しているのだろう」と想像する癖があるほうが得だ。
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