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Cheeeeees!〜栗狩と柿泥棒〜(1)

 母、呆れていた。
 いや、呆れを通り越して感心していた。

 なぜ、我が娘は、こうも寝汚いのか、と。

 年頃の娘とは思えない白とピンクのタンクトップとショートパンツと言うなんともだらしない格好で今だ目を開けないままにチーズトーストにさらにパルメザンチーズを振りかけ、それだけで飽き足らずにトマトサラダにコーンスープ、バナナヨーグルトにまでパルメザンチーズをかける始末で一歩遅ければ特製ハーブティーにまで掛けそうになるところをなんとか避難させた。
 そして寝ぼけたまま機械的に口に運んでいく。
「美味しい?」
 母がそう聞くと娘は、赤べこのように首を縦に動かす。
 母は、肩を竦めて特製焙煎コーヒーを口に付ける。
 食事を終えて顔を洗い、メイクを整えて着替えてくると途端に先程までの寝ぼけ娘はどこへやら切長の目の大和撫子が現れる。
 今日は、胸から上が白で下から茶色のTシャツにゆったりとした薄い紫の甲子柄の入ったグレーのパンツ、そして紫のチェックのシャツを羽織っている。
「おはようございます」
 彼女は、眼鏡でも掛けてれば縁に手をかけてクイッと動かしていそうな程の真面目な返事をする。
「それは起きた時に1番に言う台詞だね」
「・・・それは中々にハードルが高いです」
 彼女は、自分が食べ汚したテーブルの上のものを丁寧に片付けてキッチンに運ぶ。
「食洗機にかけといてくれればいいよ」
「分かりました」
 母に言われるがままに彼女は、食洗機に食器を入れ、スイッチを入れてから自分の席に戻る。
 母が新しいハーブティーを淹れてくれる。
 摘んだばかりのラベンダーのようや甘い香りが鼻腔を擽る。
「寝汚いのはいつものことだけど昨日から随分と疲れてるじゃないか?どうしたんだい?」
「寝汚いは、余計です」
 彼女は、むっとしたものの本当のことなのでそれ以上は言えず、ハーブティーを啜って誤魔化す。
 砂糖も蜂蜜も淹れてないのにほんのり甘い。
「実習大変なのかい?」
 彼女は、公立大学の教育学部の3年生で現在、自身の卒業した小学校にに教育実習に行っている。
 念願の小学校の教諭になる為の第一歩を踏み出したところなのだ。
「いえ、所詮は実習生なのでそんな大変と言うわけではありません。それに日々楽しくて充実しているのですが・・・」
「ですが・・?」
 母、首を傾げる。
「実は、昨日困ったことがありまして・・・」
 彼女の話しはこうだ。

 現在、彼女は4年生のクラスを担当している。
 担当といっても実習生だから担任ではない。
 クラスに入って先輩教諭の授業を学び、生徒との接し方や学生時代には見えなかった教諭たちの見えない業務を学ばせてもらっている。
 実に大変だがそれだけに学びと喜びも多い。
 彼女は、この実習期間をとても楽しんでいた。

 そんな時にその"困ったこと"が起きたのだ。

 彼は、とても元気な少年だ。
 とくにイケメンな部類ではない。
 体つきもそんなに大きな方ではない。
 成績は、クラスの平均点には達しており、運動神経も秀でている訳ではないがドッチボールとかすれば活躍するタイプ。
 それだけ聞くとどこにでもいる普通に属する少年だがとにかく彼には愛嬌があった。
 いつも笑顔を浮かべてハキハキと物事に答え、誰に対しても穏やかで優しく、教諭の話しもしっかり聞いてくれた。
 彼女が声を掛けると目を逸らして口をモゴモゴと動かすがいきなり来た実習生に急に話せと言っても無理な話しだろう、と特に気にもしなかった。
 いわゆる人気者の彼のことを嫌いという人間は教諭の中でも同級生の中でもほとんどいなかった。
 そんな彼が昨日の体育の授業で失敗してしまった。

 綾跳びが出来なかったのだ。

 普通跳びも後ろ跳びも難関の二重跳びも出来るのに綾跳びだけが出来なかった。
 クラスのみんなは、出来ない彼を笑ったがそれは馬鹿にするでの笑いではなく"まあまあ"とか"あとちょっと練習すれば"とかの悪気を持たない笑いだった。

「無邪気だね」
 母は、そう言いコーヒーを飲む。
「無邪気・・?」
「子どもの心は、まだ発達段階だからね。相手の気持ちを読み取る力が未熟なのさ。だから自分の気持ちのままに表情と動きに出してしまう。悪気はなくてもね。だから無邪気っていうのさ」
「無邪気・・・」
 彼女は、もう一度呟く。
「それでその子は周りの笑いに傷ついちゃったのかい?」
 母の問いに彼女は、首を横に振る。
「いえ、笑いながら失敗しちゃったよーって返してました。周りの子どもたちも笑って受け入れてました」
 母、感心したように口笛を吹く。
「4年生だってのに大したもんだね。将来大物になるよ」
「私もそう思いました。やりとりを見ていて喧嘩かイジメにでも発展したらどうしようかとヒヤヒヤしていたのですが奇遇でした」
 そうは言ってるのに彼女の表情は、晴れない。
「それで終わりではないんだろ?その後何があったんだい?」
 母は、話しを促す。
「その様子を見て安心した私は、授業後に彼に近づきました。彼に『頑張ってたね、練習するなら手伝うよ』と声を掛けるつもりで。私は、彼が「次は出来る様になる!」と前向きな意見で返答してくれると勝手に思ってました。しかし、彼は私がそう声を掛けると顔を真っ赤にして走り去ってしまったのです」
 母は、唖然と口を開く。
「私は、なぜ彼が走り去ってしまったのか分からず呆然としました。しかし、その答えは放課後に分かりました」
「放課後?」
「はいっ生徒たちが全員帰ったか確認するために校舎の周りを巡回していたのですがその子が校舎の隅っこで綾跳びの練習していたのです。その時に私は気付きました。私は、彼を傷つけてしまったのだ、と」
 彼女は、ぎゅっとグレーのパンツを握る。
「同級生の子たちと実習生とはいえ教諭が言う言葉では受け取る側の重みは違います。きっと彼は私に声を掛けられたことで落第点を押されたと勘違いしてしまったのでしょう。子どもは無邪気で済まされるかもしれませんが私はそうではありません。私はそんな子どもの敏感な機微を読み取ることすら出来ず、彼の心に傷を負わせてしまいました。どうしたら良いのだろうと悩んでいる次第です」
 話しを終え、顔を上げると母は、なんとも微妙な顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「あんた・・・それで悩んでたの?」
「はいっあの子を傷つけてしまったと思い、悩んで眠れませんでした・・・」
 母は、うーんっと唸りコーヒーを飲む。
「多分、それ傷ついたんじゃなくて・・」
「傷ついたんじゃない?」
 彼女は、驚きに目を見張る。
「それではなんなのです⁉︎」
 しかし、母は、それに答えてくれず、目線を上に向け、白い頬を細い指先で掻き、
「・・・それは・・・自分で気づくしかないわね」
 と、はぐらかされてしまった。
 彼女は、怪訝な表情を浮かべ首を傾げる。
「ああっそうだ。貴方にお願いしたいことがあったの」
 ぽんっと両手を叩いて話題を変える。
「また、栗狩りに行ってきてくれない?」
「栗狩りに?」
 話題を変えられてしまい釈然したい表情をしながらも聞き返す。
「この前、大量に狩ってきて全て渋皮煮にしたので今年の分はもう平気なのでは?」
「うちの分じゃないの。私の対価なのよ」
「対価?」
「そう、実はね。後輩くんにとある依頼をお願いいしたの」
 後輩くんと言われて頭に思い描いたのはどんなものも冷たく凍えさせてしまう特異体質を持った青年のことだ。
「彼へ支払う対価がね。モンブランなのよ」
「モンブラン?」
「彼って熱すぎる物じゃないと食べれないでしょ?あんこもお汁粉かぜんざいにしないとダメ出し、ホットケーキも電子レンジで10分以上加熱しないといけないしで」
「そうですね」
 本当に難儀な体質だっと思う。
 それなのにあんなに前向きで好青年なのだから驚くべきことだ。
「だからね。ケーキをちゃんと食べたことないらしいのよ。ケーキなんて加熱したらクリームが溶けちゃうし」
「確かに」
 彼女は、唸る。
「だから今回の対価として私が彼に食べれるケーキを作ってあげることにしたのよ」
「・・・重い対価ですね」
 彼が食べれるケーキなんてそうそう出来るものではない。
「そこまでしないと払えない依頼なのですね」
「そう言うこと」
 娘の緊張感なんてお構いなし笑顔で返す。
「だから美味しいの作って上げたいからよろしくね。もちろん対価は払うわ」
「何を頂けるのです」
 彼女は、温くなったハーブティーを啜る。
「街に売ってる高級チーズをふんだんに使ったレアチーズケーキよ」
「引き受けましょう」
 彼女は、立ち上がるの準備の為に部屋自室へと向かっていった。
 母は、彼女が部屋に戻るのを見届けた後、残ったコーヒーを飲み干す。
 母の脳裏に後輩くんとその彼女の姿が浮かぶ。
 リア充と言って差し支えないあの2人を。
「真面目に育てすぎたかしらね」
 母は、娘の将来を心配して、小さく嘆息した。

#短編小説
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